夏の風物詩であるセミだが、近年は種別ごとの生息数に格段の差が見られるようになり、聞こえてくる鳴き声と言えばクマゼミのものが多い。夕方になればヒグラシの声も遠くから聞こえるが、かぼそく今にも消えてしまいそうである。それでも、アブラゼミやニイニイゼミのように、本格的に姿を見なくなった個体と比べれば、まだその存在を身近に感じられる。しかし、ヒグラシもいずれはどこかへと行ってしまうのだろう。
8月に入り、まだまだ暑さは続いているものの、涼しい風の吹く時間が増えた。地球はまだ、一応、暦のめぐりを覚えているようである。そんな中、巷でまことしやかに論じられるようなのだが、どうも聞き慣れないセミの声がするという。その声がするのは決まって朝の時間帯であり、しかも平日だけで、週末にはぱったりと聞こえなくなるという。
どのような鳴き声かといえば、これもまたなんとも言い難いようなのだが、多くの人が表現するところでは、どうやら「イヤイヤ」と聞こえるらしい。大抵の場合「イ‐ヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤーイ」と、最初は強く、終わりは弱く、フェードアウトしていく。少し休んだあと、また「イ‐ヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ」と鳴き始める。お昼に近づくにつれて、声の数は段々と減っていき、夕方までには聞こえなくなるようである。
あんな鳴き声のセミは聞いたことがない、と誰もが口を揃えて言う。早くも誰かがSNSに鳴き声をアップしたところ、付いた名称は「イヤイヤゼミ」。それ以外には無いかのようなネーミングである。
近年のどうしようもない暑さのせいで、セミ取りをする子どもの姿は全く見なくなったが、イヤイヤゼミが現れたとなれば話は別なようだ。アミとカゴを手にして公園を駆け回る様子は、10年以上前の夏の風景を思い出させる。一つ問題だったのは、どれだけ子どもたちが探し回っても、イヤイヤゼミの姿をついに見つけられなかったことであった。
そもそも、イヤイヤゼミは公園のような空間にはいないようであった。鳴き声が聞こえてくるのは、決まって住宅街であったり、駅やバス停の周辺である。木々の存在は関係なく、どこか特定の空間に足を踏み入れると聞こえてくるようであった。そうすると、イヤイヤゼミは生物ではなく、現象ではないかと論じる向きもあった。つまり、イヤイヤゼミと呼べる生物がいるのではなく、近隣の構造物や環境によって、「イヤイヤ」というように聞こえているだけではないのか。
しかしそのような言説も、数ある話題の一つとして面白半分に消化されたのち、夏の終わりとともに散っていった。時を同じくして、いつの間にかイヤイヤゼミの鳴き声も聞かれなくなっていた。