ひきわり算盤

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

ぽこあポケモンから感じる寂しさ

 いつからかポケモンとの間に距離が生まれ始めた理由は、その世界の在り方を自分の中で消化しきれなくなったからだ。どうしてポケモン同士を戦わせるのか。その目的がよくわからなくなっていた。もとよりそういうコンセプトの作品であるということであって、そこに目的も理由もないわけだが、何かの拍子に心に引っかかるようになったのである。

 それでもたまにポケモンに帰ってくるのは、その世界の在り方に魅力を感じてもいるからだ。やっぱり冒険がしたいのである。新しい街に訪れたいのである。ただ、そこにポケモン対ポケモンの勝負が伴う必要性は、やはりない。ポケモンを捕まえる必要性も、レベル上げという無用な目的のために野生ポケモンを痛めつける必要性もない。ポケモンがいてくれたほうが世界の彩は増すが、ゲームとしてそこに付随する要素はおおむねなくてもよいのである。

 ぽこあポケモンは、そういうポケモンであった。発売前は懐疑的であった。ポケモンだけの舞台も、それはそれで苦手なのである。ポケモンのバディは人間であってほしい。これは私が人間であるからこそのカルマである。感情移入の対象を用意しておいてほしいのだ。しかし、そのような懸念は杞憂であった。この世界にポケモンはいる。しかし、ポケモンを戦わせる、捕まえる人間はいない。ポケモンとは友達になればいいの。それでいて、冒険はある。メタモンが、私の代わりに冒険してくれている。

 パサパサこうやでゼニガメに出会った時、とても安心した。画面上に体力ゲージがなかったからだ。そういうUIがどこにも見当たらなかったからだ。まだチュートリアルだからかと、最初は疑っていた。どこかのタイミングで、急にハートのアイコンだったり、緑色のバーであったり、そういうものが出てくるのでないか。しかし、これもまた杞憂だった。

 メタモンは倒れない。疲れるだけだ。高いところから飛び降りても、その先に地面がなかったとしても、問題ない。非常に強い。傷つかないのである。そして誰かを傷つけることもない。その意味で平和な世界だ。その意味では平和な世界だ。

 しかし、ここでこの世界の在り方が際立ってくるような気もする。どうしてそのように平和なのか。それは結局、そこに人間がいないからではないか。人間がいないからこそ、結果的にポケモンたちは平和に過ごしているのではないか。

 一方で、本作に登場するポケモンたちは、それほど人間に悪印象を抱いていないように見える。人間に扮しているメタモンを見ても、怖がったり、非難したりすることはない。本来的に人間とポケモンの関係性はそうであったのかもしれないし、人間と良好な関係性を保てていた種だけが生存しているのかもしれない。人間も人間で、ポケモンを残して避難せざるを得なかったのだとしても、ポケモンを生存させるためにポケライフを構築しようとする気概を見せたわけである。ともすればポケモンによって星の環境が改善する可能性を見越していたのかもしれない。あるいは、自分たちだけが避難しようとする姿勢への言い訳かもしれない。それでも、行動で示すことは何よりも重要だ。

 そもそも異常気象は避けられない運命であったのか。ここに、現代を生きる我々は率直な疑問を抱く。そんなわけはないだろう。人間たちは自身の行いによって、その運命を引き寄せたに違いない。どうしてもそう思ってしまうが、これもまた定かではない。仮に人間が自ら招いた結果だとしよう。それでも、人間はポケモンを救おうとはしたのである。そこに人間の善性を感じることはできないだろうか。人間とポケモンはパートナーであったのだ。だから、人間はポケモンを救おうとした。そして、今度はポケモンによって、人間が救われるのである。

 そう思って、私は少し寂しくなる。なぜならば、現実世界にポケモンは存在しないからだ。あらゆる他の種族を地球に残し、宇宙のどこかへ避難するとしよう。その時、私たちは、人間以外の生物を保護するような仕組みを地球に残す、などということを試みるだろうか。できるできないの話を措くとしても、到底そのようなことは行われないように思う。そして、そうであるから、自ら積極的に人類を助けようとしてくれるパートナーも存在しない。幸運によって仮に遠い宇宙から戻ってこれたとしても、それを喜んでくれる相手は、どこにもいないのである。

 

選挙の年にメタファーをプレイする;『メタファー:リファンタジオ』感想

以下はネタバレを含む感想である。

 

誰しも為政者には優しくあってほしいと思うんじゃあないのかい

 為政者は他人に優しくあってほしい。人の痛みがわかる人になってほしい。そう思う心は万人共通であろうか。少なくとも私はそうである。強者が強者のために政治を行っては、いずれその社会は立ち行かなくなるように思われる。絶対的な弱者は言うまでもなく、相対的な弱者も順次に排除されていくとしよう。最終的に生存するのはどのような集団であろうか。そもそも、弱者/強者と明確に二分できる状況がどれほどにあろうか。よく言われるように、今の弱者を排除すれば、いずれ今の強者も弱者となりうる。

 利己的な思考であることを隠さず、私は自分が圧倒的な弱者となる可能性を常に懸念している。何かが起こることに恐怖しながら、何も起きないでくれと、将来の生活が今の平穏な生活の延長線上にありますようにと、日々願いながら生きている。それは過剰な心配かもしれず、ただただ自分を苦しめるだけかもしれず、しかし考えをやめることもできない。世界に、社会に、自分の生活に、どうか壊れないでくれと懇願しているのである。

『メタファー:リファンタジオ』をプレイした。本作は選挙をそのテーマに含む。折しも、2026年は選挙の年であった。空想と現実を重ね合わせることは不合理だろうか。少なくとも本作においては違うだろう。選ぶとはどういうことか、支持とは何に支えられているのか、民衆とは何か。選挙の年にこのゲームを遊ぶと、そういう問いが妙に現実味を帯びて迫ってくるように感じられた。

 

 主人公の理念は素晴らしいように思える。公正・自由・平等。生まれによって差別されず、争いはなく、格差もない世界。そうであったほうがよいに決まっている、はずである。実際のところ、大衆もこれを拒否していないようにみえる。他候補者との討論において、主人公に賛意を示すのは、決して被差別層のパリパスだけではない。たしかに支配者層は染みついた差別意識を隠さない。それでも、主人公の理念は、誰にとっても到底受け入れられない絵空事とまでの扱いを受けているわけではない。しかしながら、すぐに多くの賛同を集められるわけでもない。

 当初から支持を集めているルイの思想はどうか。ルイの考えはシンプルである。力がすべてを決める、弱肉強食の世界だ。しかし、そのような世界は具体的にどのような帰結を生むか。先に述べたとおり、いつか自らも排除されうる世界であろう。バジリオが言うように、力による平等は、力による差別を生むだけである。では、ルイの支持者たちは、そのような世界を具体的に望んでいるのだろうか。例えば自分は排除されない側に属することを前提に、闘争が闘争を生む世界を望んでいるのだろうか。

 ルイの思想はグレートリセットに通じる。一度すべてをゼロにする。ゼロにしてしまえば、自分の置かれた苦難をも取り払うことができる。今の苦しみをゼロにすることができる。ただ、ここで問題なのは、ゼロにした先にプラスがあるのかはわからないことである。マイナスをゼロにした先に待っているのは、さらなるマイナスかもしれない。それでもなお、ルイが支持されるのは、支持者たちが自分だけはプラスのほうに行けると思い込んでいるからではない。それほどに今がつらいからに他ならない。そもそも、命を命と扱われない人々がいる。

 具体的にゼロになった状況がどうなるかまで想像していない層もいるだろう。現実に照らせば、多くの人はこちらに属するように思われる。程度にかかわらず現状をよしとしていない、何かを変えてくれるかもしれない、そのような期待を持たせてくれる対象を支持しているのである。

 本作の開始時点でルイが大きな支持を得ていたのは、ルイ自身の思想によるものというよりは、実際にニンゲンへの対処を行っていたからだろう。何もしてくれない行政に不信を抱き、理念云々以前に、日々の生活と生命を守ってくれる存在に信頼を預けるのは極めて合理的だ。

 一方で、主人公はまだ何もなしていない状況からのスタートである。主人公が抱く理想は、作中の様々な出来事を経てその想いを強くするところはあれど、当初から変わっていない。ただ、仮にその理念がいかに素晴らしいものであろうとも、一人で物事を遂げることはできない。そのため、協力者が必要になるが、本人に資質が伴っていなければ、その力を借りることは難しい。この点、ストロールとヒュルケンベルグが短期間で信頼を寄せたことを思えば、本質的な彼の能力は明らかだ。ただそれだけでは足りない。ともかく、その理念を広く届ける必要がある。

 本作では、その役割の一部を各支援者が担うこととなる。支援者たちもまた、自身の理念をもって、他者を導くことができる存在である。すなわち、彼ら/彼女らに対して、さらに信頼や想いを寄せている人々が存在する。いうなれば、彼らは中間団体であり、その支持を獲得することによって、各々の集団全体からの支持を獲得することになる。

 他方で、そのような支援者たちのサークルに入らない人々ももちろん存在する。そして、絶対数でみればむしろそのほうが多いのだろう。彼らは明確な支持基準を持たず、その場の流れや空気によって支持対象を変える。その姿はどこか身勝手にも見える。

 大衆を身勝手な一団として描く手法は、そう珍しいことではないだろう。近い時期の作品として、都市伝説解体センターが思い浮かぶ。SNSという装置を通じて、これでもかというほどに大衆の醜悪さを表現していた。その時も感じたことだが、プレイヤーの多くはそれを見て嫌な気持ちになるのだろうか。すなわち、私たちは、身勝手で思慮が浅く表面だけを捉えて感情的に判断を行う無責任な集団に対して、どのような感情を抱くのだろうか。

 本作においても同様の疑問がある。物語終盤、ルイによって強制的にニンゲン化させられた主人公を目の当たりにした大衆は、次々とその支持を翻し、主人公の支持順位は続落していく。場面転換の度に低下する値を見て、私は相応にイラつきを覚えた。素晴らしい演出である。

 ここで、私はいったい何に心を乱されたのだろうか。一つ思いつくのは、支持を失う理由の不明瞭さである。もちろん、この世界において主人公が持つ文脈を無視してはならない。エルダ族という被差別種族の生まれであるのに加え、現在進行形で多大な生命被害を生み出しているニンゲンの正体だ、と目の前で喝破されたかのように映れば、それが多大にネガティブな感情を生み出すことは感覚的に否定できない。一方で、支持を獲得する際の具体さと比較して、その結果が非常に抽象的に感じられたのである。具体的な目の前の人を助け、そこから得られた信頼に対して、失われる支持はあまりにも抽象的だ。この過程においても、具体的な根拠に基づく支持までが失われているわけではない。支援者を通じて得られた支持は、おそらくこの時にも失われていない。それはひとえに、支援者たちが、主人公自身のことをよく知っているからだろう。

 最後の最後まで、ルイへの支持はなかなか覆らなかった。最終的には、主人公の理念が大衆に届き、人々の不安を取り除けたからこそ、ルイへの支持を上回り、そしてルイを倒すことができた。それはそうなのであろう。しかし、顔石を見ると、その差はそれなりに拮抗しているようにもみえる。もちろん、ルイによって、民衆の不安が意図的に増幅されていた点は見過ごせない。しかし、ともあれ主人公は、その不安を完全に和らげることができたわけではないのである。

 

 そうであるから、私はモアからのメッセージを少し複雑な気持ちで受け取ってしまう。遠い異郷でありながら、しかし嫌にこの現実とリンクしている幻の記憶は、私にとっての希望になるだろうか。そもそも主人公のようなヒーローは、我々の世界にいない。そしてそのヒーローでさえ、すべてを解決できたわけではない。

 それでもなお、希望を持てということだとも思う。もとい、希望とはヒーローを指すのではなく、支援者を含む我々大衆を指すのではないか。本作において大衆は不安に打ち勝ち、主人公を選んだ。もちろん、そうなるに至ったのは主人公の力による。しかし、大衆が希望を持たなければ、主人公は選ばれなかったのである。熱に浮かされやすく、勝手に失望して、右往左往する私たちであっても、世界を良い方向に変えようとすることはできるのである。本作はそれを示しているのではないか。そしてそのことこそが希望といえるのではないかと、私は思うのである。

 

その他感想

・遺都シンジュク

 何やら現代とのつながりが見え始めた際に、「遺都シンジュクのパターンか?」と思っていたら、本当にビル群が現れて「遺都シンジュクやないか!」となったが、もはや当時のBGMは忘れてしまっていたため、もったいないながらその感動を完全に受け取ることはできなかった。

 アトラスが東京を破滅させるのはいつものことといえど、一時期に比べて、そのような未来が起こりうるとの感覚がより強くなっているように思える。私は戦中どころか冷戦期も知らないから、世界の破滅を身近に感じられたことがない。それが今になってどうかといえば、それが大げさだとの指摘は甘受するとして、このような結末はそう遠くないところにあり続けると思うようになった。

 

・腹黒お嬢様

 ユーファのキャラ付けはあまりにも狙い過ぎていると感じるが、これですわこれこれとの気持ちも抑えられない。おそらく、腹黒とは表現を誤っている。芯の強いお嬢様といったところだろう。世間知らずなところが庇護欲を湧き立てる一方で、彼女は守られるだけの存在ではない。おじさんはこういうのに弱いんですね。要するに黄金の太陽のメアリィである。といいながら、メアリィがどのような性格だったかもおぼろげであるから、実はあまり共通点もないかもしれない。おおむねミロへ投げかけた率直な発言のせいである。

 ジュナとの対比的な描かれ方をしているようにも思われるが、似ているともいえる。レラとの関係では妹であるジュナが、ユーファとの関係では(友人かつ)姉のような印象になり、よい。ジュナはジュナで、印象ほどに気丈に振る舞うわけではなく、むしろ素直に不安を吐露してくれるので、ああ支えなければと思わされる。とんがり帽子があまりにも似合い過ぎているが、被った姿をじかに見るまでその印象を抱かなかったのが不思議である。それもまた魔法であろうか。それはそれとしてメインヒロインはガリカ派。

 

・託す行為について

 意思を継ぐ、想いを託すといった行為が随所に見受けられるのは、選挙とは本質的にそのような行為であるからだろう。為政者は個人でありながら機関でもある。大衆との関係は本来的に緊張感のあるもので、近時比較されがちだが、その点で推し活とは趣旨を異にする。しかし、当然ながらミロを支持する大衆もいるのだ。

 

・諸外国との関係

 本作はあくまでも一国内部の物語であり、海を挟んだ外界の存在が隠されていない。キャゼリナがしているように、国境を越えて行き交うことも可能なようである。王の試練が諸外国からどのように映っていたのか定かではないが、若年の王権というのはいかにも脆弱そうに見えるのではと、怖い。そもそも狭い世界で物語が繰り広げられていたのだなというか、仮にユークロニアが関東近郊の立地にあるのだとすれば、外洋を超えた先はどうなっているのか。内政が整えば、次に問題となるのは外交であり、エンディングの映像を含めてDLC警戒となるのはあまりにも仕方がない。