死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

あなや、穴屋

 駅の改札をくぐり、時計を見るとちょうど21時を示していた。大晦日だというのに、何一つ特別なことはなく、こんな時間になってしまった。今日ぐらいは早々に帰るつもりだったのに、現実がそうさせてくれない。仕事があるのは良いことだが、ありすぎるのも困ったものだ。とはいえ一番困った存在は、そのような状況を良しとしている自分自身かもしれない。

 などと言いつつ、実際のところいつもよりはだいぶ早い帰りだ。無事に仕事も収まった。年を越す前にそばをすする余裕は十分にあるだろう。その前に、風呂にも入れるはず。今年の汚れは今年のうちに落としておきたいものだ。

 寒さに身を縮こませながら歩いていると、ふと目の前の光景に違和感を覚えた。光景といっても、薄暗くてよく見えないのだが。しかしその薄暗さが、いつもとは違う気がする。違和感の正体に気がつくまで、そう時間はかからなかった。街路灯に照らされた道が、昨日よりも少しだけはっきりと見えるのは、その建物の電気が点いているからだった。

「若和久湯」は長きにわたり周辺住民に愛された銭湯だったが、世の多くの銭湯と同じく、5年前にその役目を終えていた。建物も煙突も残っており、また店の横には薪木が積まれたままである。しかし、浴槽に湯が張られることはもはやないのだろうと、誰もが思っていた。

 それにもかかわらず、店の電気がついている。これはどういうことだろう。私が知らなかっただけで、実は毎年大晦日だけは営業がされていたとか。だとしたら、何とも粋な話ではないか。そう思って、誘蛾灯に引き寄せられるがごとく、私は明かりの方へと近づいていったのだった。

 店頭の明かりは看板を照らしていた。やはり営業しているのか。しかし、よく見るとそこに書かれているのは「若和久湯」の文字ではなかった。

 

『あなや、穴屋』

 

 見慣れた明朝体で書かれたその名称を、私は頭の中で繰り返した。あなやと驚いている意味もわからなければ、そもそも「穴屋」が何なのかも分からない。看板の前で立ち尽くしていると、入り口のすりガラス越しに、動く人影が見えた。

 再び時計を見た。ただいま21時7分。あまり寄り道していると、そばも風呂も間に合わない。しかし、穴屋とは何だろうか。気になった私は、年の瀬特有の高揚感も相まって、普段では到底見られない大胆さにより、穴屋の引き戸を開けたのだった。

 

 店内に入ると、すぐに番台に立つ男性と目が合った。

「どうもこんばんは」

 男性は穏やかに笑みを浮かべながらそう言った。歳は40台後半に見える。下半身は隠れているが、天井が低く感じるぐらいに背が高い。この寒さにもかかわらず、白い半袖のTシャツ1枚とデニムのオーバーオール出で立ちで、立派な口ひげを携えている。袖の先から伸びた二の上では筋肉隆々であるが、それなのに全く威圧感がないのは、柔和な表情のおかげだろう。

 面食らった私は、一瞬の間を置いて笑顔を返した。

「こんばんは。銭湯が開いてると思って懐かしいなと、つい入って来てしまったんですが、銭湯ではないんですかね」

「そうですね。今は銭湯じゃないんですよ。私の代になってからは、穴屋でやらしてもらっています」

「そう、それが気になってたんですよ。看板も拝見したんですが、『穴屋』というのは一体何なんですか?」

 聞かれ慣れているのか、店主は少し苦笑いしながら答えた。

「やっぱり分かりにくいですよね。いつも皆さんから言われるんですよ。何の店だか分かりにくいって。でもこれ以外の表現が思いつかなくて。ここはお客さまに穴を掘っていただく場所なんです」

「穴を掘る?」

「そう。だから『穴屋』なんです」

 分かるようで分からない。得心しない顔をしていたのだろう。店主は少し困った顔で説明を続けた。

「本当にただそれだけなんです。そこにあるスコップを使って、地面に穴を掘ってもらうんです。やってみてもらったほうが早いと思いますよ」

 店主が示す先を見ると、スコップが整然と並べ立てられていた。店主はそのうちの一つを持って来ると、私の目の前に差し出した。

「はい、どうぞ」

 普段の生活でスコップを目にすることがないからか、目の前で見るそれは、思った以上に大きく見えた。

「ここで穴を掘るんですか?」

「そうですよ。こんなに日に来ていただいたのも何かのご縁と思いますから、是非とも掘っていってください」

 何が何だかという気もしたが、差し出されたスコップを見て、ここで受け取らないのも勿体ないように思えてきた。穴を掘るとは、つまり穴を掘るのだろうか。好奇心に負けた私は、気合を入れて、やけに重そうに見えるスコップを受け取った。スコップは見た目に反して非常に軽かった。

「軽いでしょう? お客さんに気持ちよく掘っていただけるように、一応道具にはこだわっているんですよ」

「はあ、そうなんですか」

「まあまあ、御託は抜きにして、とにかく掘ってみましょう。そうだ、服は着替えなくて大丈夫ですか? 掘る過程で結構汚れてしまいますので。作業着もお貸しできますよ」

 穴を掘るなら当然汚れるだろう。しかし、服を着替えるとなると、何だか大げさな気もする。

「いえ、どうせ年明けでクリーニングに出す予定なので今日はこれでいいですよ」

「そうですか! では早速掘りましょう。こちらへどうぞ」

 そう言うと、店主は店の奥へと向かった。その後ろを、スコップを持って付いていく。

 店主が引き戸を開いたその先には、浴場があったはずだった。全面タイル貼りで、浴槽が三つ。そのうち一つは電気風呂で、幼い頃にびくびくしながら手をつけたのを思い出す。しかし、今私の目の前に広がっているのは、だだっ広い茶色の空間だった。等間隔に電柱と街灯が立ち並んでおり、その明かりに土が映し出されていた。

 鏡も蛇口も浴槽も、全て撤去したのだろうか。いや、そもそもおかしいではないか。この空間はあまりにも広すぎる。仮に男湯と女湯を繋げたのだとしても、このような面積にはならないはずだ。それとも、穴屋を営むにあたって周辺の土地をまとめて取得でもしたのか。だとしても広い。何せ壁が見えないのだ。

 後ろを振り向くと、広大な空間に、くぐってきた引き戸の枠が浮いている。その先には脱衣所が見えた。しかし、そのほかは、どちらを向いてもただ地平線が見えるだけだった。

「広いでしょう? 一人ひとりが掘れるスペースを大きく取れるようにしてるんですよ。やっぱり他の方と近いと集中できないって意見もよく聞きますんでね。それに、最近は感染症対策も大切ですからね」

 ニコニコと説明する店主の言葉を咀嚼しながら、しかし理解が及ばない。

「ここは一体どうなってるんですか?」

「いや、正直なところ、かなり費用はかかったんですよ。でも、結果お客さんには喜んでいただけているので、やって正解だったなと思っています」

 それは、答えになっていないのではないか。しかし、この点を問い詰めても、にっこり笑った店主が答えてくれる気はしなかった。

「それじゃあ、一時間したらお知らせしますので、自由に掘っていただければ。あ、お代金はいただきませんのでご安心ください。初回は無料にさせてもらってるんですよ。そうじゃないと、なかなか掘ってみようという気にはならないと思いますんでね。あと疲れたらその場でも、脱衣所でも、好きに休んでもらって大丈夫ですよ。飲み物もご用意しています」

 まだ掘るとも掘らないとも答えていないのですが、と言うより先に、店主は引き戸を閉めて番台の方へと歩いていった。

 時計を見る。21時15分。一時間掘ったとしても、まだまだ年越しには間に合いそうだ。奇妙な状況に浮かされてもいたのだろう。私はもう、穴を掘る気でいたのだった。

 

 穴を掘る。事務仕事で生計を立てる私にとって、それは思った以上に重労働だった。土は柔らかく、スコップという利器もある。そう力を入れず、刃先が地面に突き刺さっていく。しかし、そうは言っても一すくいで掘れる量はそう多くない。もとより道具の使い方に慣れていない。この掘り方でよいのだろうか。もっと効率の良いやり方があるのではないか。考えながら地面を掘っていく。

 掘れば掘るほどに、胸が脈打ち、普段の運動不足を痛感させられた。息が上がる度に手を止め、呼吸を整えなくてはならない。当然ながら、その間穴は深まらない。そうして、掘って休んでを繰り返していると、背後から声が聞こえた。

「お客さん、一時間経ちました」

 振り向くと、店主が脱衣所の引き戸を開けて立っていた。

「もう一時間も経ちましたか」

「思っていたより早いでしょう。皆さん最初はそう仰っしゃります。お客さん、スコップを使った経験は?」

「いやあないですね。少なくともこの大きさのスコップは」

「やっぱりそうですよね。現場仕事をされている方は別なんですが、多くの方はまず道具に慣れるところからです。でも、大丈夫ですよ。すぐに慣れてきますから。どうします? もう少し掘っていきますか?」

 一瞬の思案の後、私は答えた。

「もう一時間だけ掘ってもいいですか?」

「もちろんです! また時間が来たらお声がけしますよ」

 それでは、と言って店主はまた番台へと戻っていった。

 一時間だけ、と言ったものの、はたしてどの程度掘れるだろうか。そう考えている時間すらもったいない。私はあらためて、できかけの穴に目を向けた。掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘って、掘っていく。

 

「お客さん、一時間経ちました」

 顔をあげると、店主がしゃがみ込んでこちらを見下ろしていた。

「もう一時間経ちましたか。さっきより早く感じますね」

 私は純粋に驚きを伝えた。

「そうでしょう。皆さんそう仰っしゃります。最初の1時間より、次の1時間って。でも、それが掘っていくとまた変わってくるんですよ」

「そうなんですか。掘っていかないとわからないこともあるんですねえ」

「ええ、お客さんにもその過程を楽しんでいただけたらと思います。どうします? もう少し掘っていきますか?」

 私は時計を見た。23時30分。流石に潮時だろう。これ以上やると、そばも風呂も間に合わない。

「いえ、ちょっと今日はこのへんで切り上げようと思います」

「そうですか。たしかに、最初からやりすぎるのも体に毒ですからね。それに今日は大晦日ですから。しかし、だいぶ掘られましたね。はしごを持ってきますので少しお待ちを」

 穴の深さは私の身長をゆうに超えていた。それでも、穴の中から出ようと思えば自力でも出られそうではある。しかし、スコップを持つ腕が震えていた。筋肉が悲鳴を上げているのだ。おとなしく店主を待ち、持ってきてくれたはしごに足をかけ、途中で落ちないように穴の外へと登っていった。

 上から穴の中を見ると、より一層深く見える。これだけの穴を掘ったのかという達成感と、この穴の中にいたのかという不安がないまぜになった。

「そういえばお客さん、年越しそばは食べられますか?」

 藪から棒な店主の言葉に面を食らいながら、その意味を理解しようとした。

「実はサービスでお出ししてるんですよ。よかったら食べていかれませんか?」

 

 そばをすすりながら、天井から吊り下げられたテレビに目を向ける。どうやら紅白歌合戦が終わったらしかった。除夜の鐘の映像に変わり、レポーターの声が聞こえてくる。今年ももうすぐ終わる。

「お客さん、今年はどんな年でしたか?」

 番台から店主が聞いてきた。彼も私と同じように、そばをすすっている。

 はたして、どのような一年だっただろうか。変わらないと言えば変わらない。色々あると言えば色々あった。器に目を落としながら、私はひとしきり考えて、こう答えたのだった。

「トンネルを掘るような一年でしたね」

「トンネルですか。それは大変おつかれさまでした。無事に開通はしましたか?」

 どうなのだろう。崩落の危険も乗り越えて、掘って掘って掘って掘り続けた。光は見えた気がする。しかしまだ、掘り終えてはいないような気もする。

「あまりはっきりとは言えないのですが、まだ繋げられてはいないと思います。でも、もうすぐな気もしますね」

 テレビからも、店の外からも鐘を撞く音が聞こえる。こういう妙な年越しも悪くはないかもしれない。おいしいあまり、そばの出汁を飲み干した私は、ふっと一息をついて再び器に目を落とした。すると、その底には店の名前が書いてあった。

 

『あなや、穴屋』

 

 ああ、そうか。穴屋とはつまり、穴を掘る店であるのだ。

「店主さん、ありがとうございます。これでやっと、開通できました」

「そうですか。それは良かったです。来年からはどうされますか? また新しく掘り始めますか?」

 私は少し悩んで首を縦に振った。

「そうですね。次はもっと深いところまで行ってみようと思っています。そうですね……10メートルくらいでしょうか」

「おや、それじゃあまだまだですね。うちのお客さんたちは30メートル以上は当たり前ですから」

 なかなか手厳しいことを言う。

「では、お客さん。良いお年をお迎えください。是非とも、また来年お会いできることを楽しみにしています」

「ええ、こちらこそ。良いお年を」

 そう言って、私は穴を出たのだった。鐘の音はもう聞こえなくなっていた。

 

4月に読んだ本など

 

 4月……ですか? いや、今年は顔を見てませんが……。彼女に何かあったんですか?

 

 

【4月に読んだ本】

メタバース×ビジネス革命 物質と時間から解放された世界での生存戦略

 数えて3,4冊メタバース関連の書籍を読んだ。何かを知りたいときは、関連する本を数冊読み通すとよいらしいが、それは実際そうである。

 課題としてあげられている事項は書籍間で共通しており、現実世界をメインに生きている人々を連れてこられるだけのコンテンツがあるのか(できるのか)に加えて、ハード的な側面にも常に言及されている。大量のNPCを同時に表示するマシンパワーも、通信インフラも現時点では十分でない。

 あとは統一的なメタバースが作られうるか、もよく聞く。A社のメタバースで使用しているアバターやアイテムを、B社のメタバースで使用できるか(そもそも「○社のメタバース」って何だよ)。言い換えれば、どの世界でも同じ自分として活動ができるか。3Dモデルの統一規格が作られていくにしても、全くデザインの違うモデルが共存できるのは、統一感を必要としない世界だけなのではないか。それは結局どのようなコンテンツなのだろう。マストドンやミスキーのようなものだろうか。ここの想像が私には難しい。ところで、ロックマンエグゼのインターネット世界はメタバースと言えるのだろうか。

 その場に行かなければ体験できない、といった物事を解放してくれるのではないか。もともと私がメタバースに抱いた期待はそういうものだ。端的に言えばライブのたぐいである。我々はいつまでチケットが取れないだの、ホテルが高いだの、休みが取れないだのと言わなければならないのか。ただ、それで回る経済もあるのだよなと今となっては思うところもある。

 先日TVを見ていたら、GLAYの20万人ライブの映像が流れていたが、これを電脳空間でやろうとするのは今のところ非現実的だ。さらに言えば、そもそも電脳空間でやる必要はあるのか、ということもある。むしろ問題の所在はやっぱり後者なのだろう。

 

私小説

 意図せずして金原ひとみ作品に触れる機会がある。この前は『文学2022』を読んだ時で、『ハジケテマザレ』が収録されていた。よくよく考えなくとも、それが初めての金原作品だった。蛇にピアスのイメージしかなかった(しかも読んだことはなく「舌にピアスを開けている人が出てくるんだろうな」という適当な印象しかなかった)私にとっては嬉しい驚きだった。めっちゃ面白いやん……。会話のリズムが小気味よく、つい耳を傾けてしまうような。登場人物のやっていることはギャング的なのだが、まあこういうことがあってもいいよねと、納得してしまう。何よりも、登場人物の声が聞こえてくるのだ。という経験を経ての『ウィーウァームス』だったわけだが、独特なすれ違いの感覚がムズムズする。自分が深く考えすぎなのか、それとも相手が何も考えていなさすぎなのか。実際のところは、思考の矛先が根本的に異なるだけなのであって、それに対して「どうしてそうなるの」とイライラするのも勝手な態度なのだろう。

 

走馬灯交差点

 面白かった……のだが、設定が個人的に地雷だった。こういうこともある。手間に感じても、あらすじを調べてから読みましょう。人格転移はあきません……あきませんの……。でも読み切りました。

 

ぼぎわんが、来る

 いつかのフェアで購入し積んでいたもの。積んでいたら映画化されていた。それでも読まずにいたのはただの怠慢である。

 映画化される前に読んでいたら、頭に浮かぶのは柴田理恵の姿ではなかったのだろうか。今となっては柴田理恵以外ではありえない。文字で読んでも柴田理恵である。

 ホラー小説にはミステリ的な側面があるとはこれまたよく言われることだが、謎解きの流れが軽妙で良かった。読んでいてなんか変だなと感じていた部分が、しっかりと後で回収される。意図された違和感は気持ちがよい。

 しかし、どうして違和感を覚えるのか。これは考えるとなかなか難しい気がする。意図的に違和感を呼び起こさせるとは、つまりどういうことなのか。秀樹パートを読んで覚えたのは、違和感というかは単にいけ好かない感情かもしれないが、何かこの人は認知が歪んでそうだなあと思うわけだ。思うわけなのだが、それはなぜだろう。読み返すのが怖いので、この謎は永遠に解かれない。

 

ずうのめ人形

 調子に乗って、ぼぎわんの流れで読んだ。ぼぎわんの後だと、何があっても最終的には比嘉の姉ちゃんが解決してくれるだろう、といった安心感がある。しかしその安心感が役に立つとは限らない。

 ぼぎわんでも思ったが、感じが悪い人間を感じ悪く書き表すのがとてもよいし、感じの悪い人間がしっかり痛い目に遭うので後味がよい。でも作品としては後味が悪くてよい。

 これも信頼できない語り手と言ってよいのか。ぼぎわんよりも、歪みを感じやすかった。それがヒントというものなのかもしれない。自分だったら、の仮定であるのかも。つまり、自分が同じ場面にいたとしたら、またはその場面を近くで見ていたとしたら、そのような感想にはならないだろう、といった具合である。この登場人物が得た(ている)実感・感想はどこかおかしい。そして、謎が紐解かれた時に、やっぱりそうだったんだと思えるのが、よくできた物語だと言えるのか。

 

 

予言の島

 調子に乗って、ずうのめの流れで読んだ。祟りか人間か、と考えて、手品か魔法か、を思い出した。うみねこって古き良きテーマだったんですね。

 さておき、本作も冒頭から違和感が散りばめられている。しかし、それが違和感だったとわかるのは、やっぱり読み終えた後になるのである。変な文章だなとか、何でここだけ妙な表現になっているんだろうとか、そういう感触を得ても、そういうものだとして読み進めてしまう。きっとこれも作家の個性の範疇だろう、といった具合である。これは伏線ではないか……? と疑いかかって何の伏線でもなかった時の肩透かし感も避けたいが、これでは何も考えずに読んでいるに等しく、我ながら単に物語を消費してしまっているように感じた。引っかかる部分があっても、ある種自分を納得させて、読み進める方を優先している自分がいる。これは資格勉強ではセオリー的行動かもしれないが、小説を読むには適さない。

 

【4月にプレイしたゲーム】

Ghostwire: Tokyo

 面白かった。現代日本の街並みを歩くのは楽しい。ただ、道が入り組んだり、バイパスで高低差があったりするのはゲーム的には良し悪しなのだろうか。スキルを得て簡単に屋上間の移動ができるようになるまでは、動線が分かりにくく迷うこともあった。さっさとこれらのスキルを取ったほうがよい。

 戦闘は単調な部分もあるが、しっかりガードしながら攻撃を叩き込むリズムは楽しかった。どのエーテルをどういうふうに使うのが正解なのか未だによくわからないが、水か火の範囲攻撃でまとめて削った後に、個別には風を打ち込んでいく。初期は敵が固く感じられるが、各スキルを強化するとバランスが良くなってくる。ただ、その強化のためには経験値を集める必要があり、方法の一つが幽霊の転送になる。転送の前には式への吸収が必要で、その速度もまたスキル強化により向上するのだが、ここは最初から速くしておいてくれてもという気はした。加えて、印を結ばないと吸収できない霊も出てくるが、これが途中から煩わしくなってしまった。総じて、パッシブスキルで補う部分を、最初からもう少し上積みしておいてもらっても良かったのかなと感じた。

 あとは世界観的に仕方がないのだが、NPCが(多分)皆幽霊であり、寂しかった。ゲーム内であっても、生きている人間がいないとこういう感覚になるのだなあ。

 

TACOMA

 面白かった。同スタジオが制作したGone Homeをプレイしたことがあったので気になって積んでいたもの。Gone Homeが面白かったかどうかと言えば、私には合わなかった。原因はストーリーに対する期待の方向性で、伝奇的ミステリ的なアレだと思っていたらそうではなかったのが大きい。かといってフィンチ家みたいな内容だったとして、それはそれで戸惑うが、いずれにしてもあらすじはちゃんと読みましょう。いや、Gone Homeに関しては読んでもわからないか……? 

 うにゃうにゃ言いつつ、Gone Homeも演出や雰囲気は好きだったので、舞台が宇宙船というなら多分大丈夫だろうと、またあらすじを読まずにプレイした。パズルもなく、さくさくと物語を進められて良い。思ったほど不穏さはなく、落ち着くべきところに落ち着いて良い。エンディングでニッコリ。

 

 

The Complex

 面白かった。何ヶ月かに1回、実写のインタラクティブゲームがプレイしたくなる。映画版もあるらしく、評価があまりよろしくないのだが、たしかにストーリー単体で見るとそうかもしれない。そこはゲーム性によってカバーされている部分と言え、そうするとゲームとしてあるべき形を示しているのかもしれない。ストーリーが良いゲームというのはそれだけで素晴らしい存在だが、はたしてそれが良いゲームなのかと問われると必ずしもそうではない。別にゲームの形式で表現しなくてもよい可能性だってある。その点、本作はゲームで良かったということだろう。

 

AI:ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ

 とても面白かった。5月9日まで前作も含めてSteamその他でセール中である。買いましょう。ついでにZERO ESCAPEシリーズも買いましょう。

 冒頭から「前作の犯人を知っていますか」と聞かれ、しかし「前作と今作の事件は関係ありません」とも言われ、この時点で揺さぶりをかけられる。本当に関係ないんですか。しかし私は無垢で善良なゲームプレイヤーなので、疑わずにプレイした。

 思えば、本作も小さな違和感の積み重ねである。何かおかしいなと。おかしいのはストーリーが破綻してしまっているからなのかなと。だめじゃないかそんなもんを売り物しちゃあと思っていると、最終的にそれらの違和感が答えに結実していく。気持ちが良い。結末を見て降り出しに戻るワクワク感は何にも代えがたい。

 元も子もない気もするが、本作の良いゲーム体験に、早送り機能は大きく寄与しているように思った(それこそZERO ESCAPEもそうだったっけ)。画面を見ていて面白い訳ではなく、演出も鈍重だからだ。相変わらずQTEに爽快感はない。ダンスはクドい。キャラクターの外観はみな魅力に溢れているが、モデルが精巧なわけではない。動きは硬いし、フォトリアルでないのはもちろん、原神のようにトゥーン側に振れた綺麗さもない。しかし、早送りによって、そういったイライラを我慢する必要がない。

 ビジュアル的な魅力ならば、メッセージウインドウ横のキャラクターイラストと声優の演技で十分に事足りている(声はビジュアルではなかろうが)。悪ノリでもいやらしくなく、ついつい笑ってしまう。そして相変わらず黒沢ともよの演技が非常に良い。気持ちが昂ぶっているときもそうだが、みずきのちょっとした一言にうなり続けることとなる。

 

Pineapple on pizza

 あなたに時間があるならプレイした方が良いが、あなたに時間がないのならプレイしなくても良い。

 

 

【その他】

知的財産管理技能検定

 無事2級に合格した。合格率を見ると今回は50%ぐらい? 易化してる? かは措いといて、なおのこと落ちなくて良かったね。少し準備すれば取れる資格を取る必要があるのか、との意見もあろうが、少し準備すれば取れる資格なら取っておいたらええやんの心持ちである。

 3級までの区分がある資格は、概ね1級から難易度が跳ね上がる印象がある。本検定もそうである。1級と一口で言っても3分野に分かれるのだが、どれも難しい(合格率的に)。そもそも問題集等がないのが致命的である。門外漢ではなく、実際に実務の場に身を置いている人を対象にしているのだろう。なので1級を受けることは、残念ながらないと思われる。

 ともあれ、この合格をもって、昨年度に立てた資格関係の目標は無事に全て達成された。よかったよかった。今年度もできるだけ取れるものは取っていこうと思う。なにかの足しにはなるだろう。

 

Speakという英語学習アプリ

 ChatGPTを活用したアプリとの触れ込みで取り上げられた際に課金したものの特に取り組むことなく1ヶ月が過ぎたのであらためて向き合ったもの。今のところは初級編ということで、特定の場面設定のもとでのロールプレイが中心。飲食店の客になったりスポーツショップの客になったりしている。

 さすがにAIくんの頭はよく、文法が壊滅的に破綻していたり、使用する単語を誤ったりしていなければ、こちらの言わんとすることを汲んで対応してくれる。super 慮りpersonである。日本人の英語発音を聞き取ってくれて、かつ非ネイティブの言いがちな表現(Aと表現したいがためにA’のように少しずれた英語を使う)を理解してくれるので、いわば何年もステイ先として留学生を受け入れてきた人のような安心感がある。逆に、AIくんにこちらの意図が伝わらなかった時は、よっぽどおかしい英語を発したんだなと気付く。すみません。

 使い始めの頃は、文章をひねり出すのに大層時間をかけてしまっていたが、このアプリの使い方としてはおそらく正しくない。そう気づいてからは、多少無茶苦茶でも、とりあえず文章を作る努力をして言葉を発するようにしている。AIくんは健気にもこちらの意図を掬ってくれている。それで英語を喋っている実感は沸くのだが、上達しているかは定かでない。この練習で英語マインドなるものを多少形成して、人間相手の英会話教室に進むのが良い気もする。

 英語で話そうとしてひしひしと感じるのは、そもそも会話とはなにかということだ。AIとの会話は、基本的にラリー形式で行われる。当たり前じゃないか、と思うかもしれない。しかし、私の場合、日常会話において、そこにラリーが発生していると意識することはないのである。決して、どちらかが一方的に言いたいことを言っているわけではない。それは無意識か意識的なのかの違いだろうか。母国語であれば、会話は無意識的に行われている? それが非母国語になると、全ての受け答えが意識的になる? 全く言語化できていないが、現在進行系で面白いなと感じている。

 

本棚を空ける/UNISON SQUARE GARDEN

 一時期は800冊程度あった蔵書(と書くとかっこいいですね)も減らしに減らして今や200冊に行くか行かないか。その過程でついでに本棚も捨てた結果として、本を置くスペースが足りない。

 冊数を減らしたのは、あまりに死蔵されている感が強かったためであり、結果すっきりしたので減らしたこと自体は正解だが、しかしなかなかやりくりが難しい。そうして、連休に応じて改めて本棚を見ると、陳列の汚さが目についたため、整理したら1.5段ほど本棚が空いた。4S活動は私生活でも重要である。

 スペースが限られるので、読み返すだろう本だけを残すこととしている。それもあって漫画や小説は電子書籍に切り替えたのだが、すぐに手放すのなら普通に書籍版で買ったほうが色々と賢い気もする。しかし今更だろう。

 

「風邪引いた時に見る夢」を見たことがない

 単なる悪夢でもないんだよな

 

VTuberのオリジナル曲とキャラソンの違い(後で書くかも)

 キャラクターと称される存在が一体何なのか、から考えなければならない。