死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

仕事帰りの道すがら学園祭学園が演奏していたらきっと楽しいだろう

 仕事の帰りにストリートミュージシャンゾーンを通る。正しくは、ストリートパフォーマーゾーンかもしれない。最近では、楽器を持っていない人も見るようになった。けれども、やはりメインは音楽だろう。ギター片手に、あるいはヴァイオリンを携え、またはベース一本で、誰かが何かを奏でている。

 それらを聴くために、大勢が足を止めているわけでもない。ちらほらは居る。しかし、人の行き路帰り路。ここにいる人の多くは、別れを惜しむ酔っぱらいか、明日の仕事で頭がいっぱいの労働者だろう。それでも彼ら彼女らは音楽をやめない。

 もうすぐ23時になろうというところで、私はいつものようにゾーンに足を踏み入れた。誰かが演奏していれば、その瞬間、何かしらの音が耳に入ってくる。この日、一番に聞こえてきたのは、アコギ一本で中島みゆきの『糸』を歌う女性シンガーの声だった。

 中島みゆきのようにハキハキとした歌唱ではなく、よりしっとり、溢れんばかりの情緒でもって歌っている。BPM10%減で「たぁ~~~~てのぉぅいとぉぅはぁあぁんなたぁんああ~~~~~」という感じだ。もしかすると、Bank Band版をもとにしているのかもしれない。

 疑いを挟む余地はなく、彼女の歌は上手い。しかし、その日の私には響かなかった。彼女には責任がない。一番の理由は、単に私が疲れていたからである。

 しっとりした歌を聞くのに一番適した身体・精神状況は何だろうか。疲れているときに重い内容の創作物を読むと、気分も重たくなるだけである。歌はどうだろうか。そもそも、別にしっとりしているからといって、その歌が重いわけではない。もとい、重い歌とは何だろう。陰気か陽気かという話か。

 ともあれ、申し訳ないながら、私の疲弊した頭には、しっとりした『糸』を聞く余裕はなかった。では、どういう種類の音楽が聞こえてきたら、何が聞こえてきたら、鬱屈した会社からの帰り道、心うきうき胸躍るだろうか。

 電車に揺られながら考えてみる。そもそも私は聴覚からの情報に強くない。疲労が溜まると、むしろ音の情報をすべてシャットアウトしたくなる。あらゆる音に対する感情が「うるさい」で統一され、何かが聞こえること自体で余計に疲れるのである。イヤホンで音楽が聴けるかは、自分の健康度合いを測るわかりやすいバロメータだ。

 そうすると、あまり騒がしいのはよくないだろう。しかし、上記のとおりしっとりしているのもダメ。身勝手な消費者である。

 加えて言えば、演奏しているのが一人なのも影響しているだろうか。何となく物寂しさを感じてしまう。疲れているところに寂しさを感じると、やはり疲れる。ストリートミュージシャンとは、少数単数であるものとも思うが、一方で、例えば駅前でジャズをかき鳴らしているおじさんバンドを見ると、「これこれ!」という感じにもなる。

 そうすると、私が仕事帰りのぼーっとした頭で歩いているところに聞こえてきてほしい音楽(音)は、うるさすぎず、しっとりしすぎておらず、バンド形態で演奏されているもの、と言えるだろうか。抽象的な分類に抽象的な分類を重ねてさらに抽象的になっているような気もする。

 そんな音楽が存在するだろうか。しないわけはないだろう。自らの浅い音楽経験の箱を探っていくと、ぴったりするものが見つかった。

 

 

 学園祭学園だ

 

 

youtu.be

 

 正確に言えば、学園祭学園の『ユートピアをさがして』だ。この曲が聞こえてきたら、たとえ疲れ切っていたとしても、私は音のする方向に足を向けてしまうだろう。

 

 想像してみよう。

 平日の23時すぎ、一点を見つめて早足で一心不乱に歩く男がいる。私である。マスクの下で、世の中のあらゆる事象に対し文句を言いながら、前傾姿勢でアスファルトを蹴りつけていく。

 頭の中は明日の仕事のことでいっぱいである。しかし、今はとにかく家に帰りたい。帰って寝たい。寝る前にお風呂に入りたい。お風呂に入る前にご飯を食べたい。ともあれ早く帰りたい。

 サイドステップを駆使して、密集した男女グループの壁をすり抜けていく。楽しそうなのはいいけれど、マスクはずらさずに惜別してくれへんか。そして気前の良さそうなおっちゃん三人組が談笑している横を通る。もうちょっと声を小さくしてもらってもええんやで。

 目の前にミュージシャンゾーンの入り口が見えてくる。ここからラストスパートやぞ、と早歩きのギアを上げようとした瞬間、遠くからギターの音が聞こえてくる。

 

 

ジャッ! ジャッジャッジャッジャ! ジャジャジャジャジャ! 

ジャッジャッジャッジャ! ジャンジャンジャンジャン!

youtu.be

 

 

 これは……!? と、私は楽しげな音に、思わず歩くスピードを緩めてしまう。この音はどこから聞こえてくるんだろう。ホイッスルの音があたりに鳴り響く。耳を頼りに、その出どころを探す。もともとそう広くはない空間である。辿ってみれば、ストリートミュージシャンにしては大所帯の、おじさんおにいさんの姿がすぐに見つかった。

 彼らを斜め前にして、一つ一つの音に耳を傾ける。丁度よいとはこのことだ。元気すぎず、かといって落ち着きすぎず。楽しい、けど楽しすぎない。我ながら、何と個人的な感覚に基づく評価だろうか。しかし、人の音楽に対する感想ほどに、個人的なものはない気もする。

 いずれにしても、目の前の人間が、楽しそうに音楽をしていることは紛れもない事実であり、結局のところ、それによって自分が救われているのかもしれないと思った。こと創作においては、深刻そうにするよりは、楽しそうにしているほうがよい。

 

 

 残念ながら想像は想像でしかない。

 今日も私は一心不乱に夜を歩く。もしかして彼らが居るのではないか? 当然のごとく、期待は裏切られる。それではこちらから会いに行こうか。行けるかは分からないけれども。

 ゾーンが近づいてくる。今日聞こえてきたのは、ヴァイオリンで弾かれたジブリメドレーだった。その音を背に、私は歩くスピードを速めた。