死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

夜に鳴くセミ

 通勤時、異常にセミが鳴いている一画を通る。その周辺だけ明らかにボリュームがおかしく、寝ぼけた頭に轟音が響く。住居の植木に大量に止まっているようだ。クマゼミの大合唱である。

 セミゾーン(と安直に名付けた)はさながらセミのトンネルであり、くぐり抜ければ、セミなど最初からいなかったのように静かになる。もともとここは閑静な住宅街であり、ある意味セミは異質な存在と言える。

 調和のとれていない歌声は、蒸し暑い朝にさらなる気だるさを与えてくれるが、それで私が得られるのは「世界よ終われ」という感情である。あるいは、もう終わっているのかもしれない。

 実はもうこの世は終末を迎えていて、すべてが幻覚の中、ただセミだけが本物であり、人間のいなくなった住宅街で元気よく鳴いているのではないか。週末を目前にそんなことを考えるのは私の頭が終わっているからだが、仮に世界が終わっていても、目の前の仕事は終わっていないので、結局やることは変わらないのである。

 

 往路も復路も同じ道を通るが、一つ違うところがあるとすれば、帰りはセミが鳴いていない点だ。夜の9時も過ぎれば、さすがにセミは鳴いていない。もとい人間すら歩いていないし、家の窓から漏れる光も少なくなっている。私の目先を照らしてくれるのはせいぜい街灯ぐらいで、もう街が眠りに入っていることがよく分かる。

 今週も無事に終わった。今月もなんとか生き延びた。と、歩いていると、セミゾーンが近づいてくる。すると、いつもと違う状況に気がついた。セミが鳴いている。クマゼミである。

 夜にセミが鳴くのはルール違反ではないだろうか。そんなルールは無いのだが、直感的にそう思った。

 

 おそらくは一匹だけが声を上げている。セミにだって色々あるだろう。人間ですらそうなのだから。昼に鳴き足りなかったのか。昼夜逆転しているのか。空気を読まないヤツなのか。周辺住民への配慮など一切せず、ただただ鳴き続けている。

 とはいえ、誰もセミに抗議しようとはしない。好きにさせておけ、とまで意識しているわけでもなく、夏にセミは鳴くものなのだから。電車で泣く赤子を見たときと同じだ。夜に鳴いてはいけない、などというルールはない。鳴きたいように鳴けばよい。

 

 朝よりも静まりかえった街に、セミの声は響き渡っていた。セミゾーンを抜けても、音は小さくなりながら、けれどもしっかりと聞こえてくる。

 しかし、ルール違反ではないものの、セミは夜に鳴くものだろうか。ないことはないのだろうが、不思議な感じもしないではない。そういえば、ここは現実だったのだろうか。人はおらず、電気は消え、セミの鳴き声だけが辺りにこだましている。

 現実であろうがなかろうが、生きている以上は生きていく必要があり、やはり何も変わらない。そもそも考えてみれば、人生自体が夢を見ているようなものではないか。冴えない頭で考えながら歩いて行く。セミはまだ鳴いている。