「まったくもーまったくもーまったくもーだよまったくもー」
そうつぶやいたのは阿良々木月火ではない。私である。誰もいない、22時を超えたビルの一室で、成人男性のアニメモノマネがつつがなく行われたのだった。
自分が月火ちゃんになっていたことに気づいた私は、その状況をいかんともしがたく思っていた。年明けから度重なる時間外労働に追われ、たしかにまったくもうと思う状況ではあったが、だからといって労働中に月火ちゃんになってよいわけではない。いや、なってもよいのかもしれないが、それは職務専念義務に反している可能性もないではない。ただ、コスプレしながらの業務がよいのであれば、月火ちゃん化して仕事をしても何ら問題はないようにも思える。議論がやまない中一つ明確なことがあるとすれば、私は疲れているということであった。
思えば、過去にも兆候はあった。東京への出張から帰ってきた折、ぼーっとしながら下車をした私は、同じく下車する乗客に紛れながら、寝逃げでリセットを歌っていた。私は柊つかさだったのだ。嘘である。そのときの私は柊つかさではなかった。柊つかさのモノマネをしている人間。真顔だ。しかし、歌い方は柊つかさそのものである。ただ、その歌詞は本物と異なる。なぜならばちゃんと覚えていないからである。だめでぽやぽや寝て起きて伊万里だったら全ての言葉の海で。むちゃくちゃである。でもおふとんが幸せすぎることは覚えている。頭の中には、カバージャケットが浮かんでいる。黄色いカバージャケットが浮かんでいる。
喧騒の中では、人一人が多少声を出しても気づかれない。あるいは、気づいているとしても、そこに注意を払おうとは思わない。そのような環境で周囲に聞こえる程に声を上げている人間は、基本的に関わらない方が良い。だってなんか怖いし。だからそれを逆手に取ればよい。人がごった煮がえして、数百人の足音が響き渡っているからこそ、声をだしても気づかれない。私が柊つかさに扮していても、誰も気がつかない。気がついていても、異分子として無視してくれる。
そう、疲れていたのだった。もっとも、回復できる程度の疲れであろう。月火ちゃんになれるぐらいではあるのだから、寝れば戻ってくるだろう。しかし、これは加齢でもあると思う。でもそう言われると加齢側も不満だと思う。何でもかんでも加齢のせいにするなと。たしかに一理ある。一リアル。見よこの言葉遊び、これが出来損ないの西尾維新だ。偽物ですらない。しかし、何者でかはある。私は私であると、確固たる自信を持って言えるようにはなったのだから、それは加齢のいいところであろう。やっぱり加齢のせいではないか。そのようないい歳になってきた私において、思考のフィルタを外してまろび出てくるのは、かつて見た2000年代のアニメーションなのだ。いや、偽物語は2010年代なのだけれど。