死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

行くな船長、その道は修羅の道(『美魔女の真実 -マリンの秘宝船-』感想)

 8月11日にリリースされた『美魔女の真実 -マリンの秘宝船-』は、日常侵食リアルホラーゲーム『つぐのひ』と、ホロライブ所属の人気VTuber宝鐘マリンさんとのコラボレーション作品である。つぐのひ自体が配信における定番作品であるところ、本作もVの方を中心に方々でプレイされており、特にホロライブ内では、リレー配信というわけでもないのに、結果として一時間間隔で各メンバーが本作の配信をスケジュールするなど、大きな盛り上がりを見せた。

 本作のジャンルはホラーであるにもかかわらず、泣きゲーとも称される。その理由の一つには、登場人物が醸し出す悲哀があるだろう。自分でもプレイしてみたところ、非常に哀れみの気持ちに襲われたので、どうしてこうも悲しくなるのだろうとの感想を書こうと思った。

 以下、ネタバレを含み種々記載する*1

 

 

 本作のストーリーは至ってシンプルだ。主人公の青少年が船の上で目を覚ます。どうやらこの船は宝鐘海賊団船長の宝鐘マリン(17歳)が保有・管理しているらしい。かわいいマリン船長からの薫陶を受けつつ、船員としての仕事をこなす主人公。しかし、自分以外の船員がいないことに違和感を覚え始め、一つの疑問に行き着く。マリン船長は本当に若いのか? 小さなほころびから次々と真実が明らかになっていく。すなわち、マリン船長は17歳の美少女ではなく、時間停止能力の乱用によって無碍に歳を重ねてしまった78歳の老婆であり、結婚できない無念から亡霊と化した存在である。そして船長は異世界から若者を誘拐して結婚を迫り、拒否した者を永遠にこの世界に閉じ込めてしまうのだ。(シンプルか?)

 宝鐘マリンさんが普段から自身の年齢と結婚をネタにしがちであることからすれば、良くも悪くも、その色をふんだんに入れ込んだ作品と言えるだろう。コラボ作品として上手く練られた設定であるようにも思われる。

 一方で、冒頭で述べたとおり、本作は泣きゲーとも言われる。私と言えば、後半に向かうに連れて、面白いより痛ましいが勝ってしまった(もとより怖くはない)。その意味で、本作はプレイヤーの感情をしっかり揺さぶる仕上がりになっているとも言える。

 

 現実の宝鐘マリンさんはYoutubeチャンネル登録者数約260万人を擁する大人気VTuberである。しかし、私の暮らすこの世界であっても、誰もがその存在を知っているわけではない。VTuber自体が世間に浸透しつつあるとはいえ、まだまだ一般層まで認知が及んでいるとまでは言えないだろう。一方、見方を変えれば、少なくとも約260万人は船長の存在を認識しており、程度に差はあれど、本人の持つ魅力や純粋な「すごさ」みたいなものを理解しているとも言える。

 この点、本作の主人公はその260万人に含まれるだろうか。彼は高校生*2らしいと明らかになるが、宝鐘マリンを(有名人ではなく彼女自身が言うままに)宝鐘海賊団船長としか認識していないように思われる。例えば「あの宝鐘マリン!?」みたいな反応もない。そうすると、主人公は、かわいい外見であること以外に、マリン船長へのポジティブな感情を持ち合わせていない。主人公からすれば、マリン船長は「見た目がかわいい人」であり、それ以上でも以下でもない。

 そもそも、この世界における宝鐘マリンはVTuberだったのだろうか。もろもろの小ネタを始めとして、本作はプレイヤーがVTuberである宝鐘マリンさん自身と彼女の配信内容を知っている前提で作られている。しかし、作中に彼女がVTuberだと示唆するものはない。船長が命の危機を迎えて見た走馬灯にも、彼女がインターネット上で大活躍している姿は映し出されない。

 ではVTuberでないにしても、後世に名を轟かすような大海賊であった可能性はどうだろうか。これも同じ理由で否定される。結局のところ、配信者のファンとしての一味も、海賊団の一員としての一味も姿を見せない。何らかの人徳があればきっといるだろうマリン船長を慕う存在が、どのような形でも現れないのである。

 そうすると、本作における宝鐘マリン船長の人物像は以下のように思われてくる。VTuberとして一世を風靡するなどはもってのほか、人生の中で特に何かを成し遂げたわけでもなく、「時間を止める(遡行する)」といったとてつもなく強力な能力(≒才能)を得ながらも、それを活かすこともなく、ただただ人生を浪費し、そうしているうちに若さを失い、自分を慕ってくれる他者はおらず、結婚に執着する可哀想な人。数多くあった選択肢は一つも残らず、今あるのは老いた自分のみ。持って生まれた美貌に頼り、内面を磨くことをせず、何らの経験を積み重ねてこなかったがゆえに、年齢の割に言動は幼く、人としての魅力に乏しい*3

 書き出してみれば、もはや宝鐘マリンであるかどうかなど関係がない。そこあるのは、言ってしまえばありふれた人間像であり、そうであるからこそ私のような一般プレイヤーの心を抉ってくる。今このゲームをプレイしている私も、いつかこうなってしまうのではないか。このままいたずらに歳を重ねていき、気づいたときにはもう遅く、ただただ後悔の念にかられながら、しかし様々に物事を諦めきれず、執着し、不格好にあがく。それもまた人生だろうが、悲しくないと言えば嘘になる。

 私は作中のマリン船長を通して、未来の自分の姿を、未来の自分がなりうる姿を見てしまう。こうはなりたくないと思う一方で、こうなってしまうのではないかと考える。併せて、そうなってしまった船長の、もはや取り返しのつかない姿を見て、寂しさにも似た悲しみを覚えるのである。だからこのゲームは泣きゲーなのだ。

 

 作中の船長がいつから人をさらうようになったのかは分からないが、見積もれるだけで、被害者は主人公を除き6人にものぼる。そしてその全てが「若者」と称されている。つまり、船長は単なる結婚に執着しているわけではなく、あくまでも「若者との結婚」に取り憑かれているのである。それは後悔によるものだろうか。いずれにしても今の自分を顧みれない点で、状況はより悪く、見るに堪えない。

 さらに言えば、船長は78歳になってもなお、若者から性的な視線を向けられることを自ら望み、また自身の性的魅力を用いてその目を惹こうとする。これを非難するのはエイジズム的かもしれない。しかし私は見ていられなかった。そうするのが当然であるかのように行動する船長の姿は、78歳になってもなお、それ以外に他者から愛される方法を知らないと言っているかのようで、どうにも痛ましいのである。

 ところで、本作は宝鐘マリンさんの生誕ライブで発表された。同ライブではオリジナル新曲『美少女無罪♡パイレーツ』のお披露目もあった。この曲では、宝鐘マリンさんが保有する船上においては超法規的に美少女は(何をしても)無罪だと高らかに宣言される。であれば、宝鐘マリン(78歳)はどうだろうか。いかに美しかろうとも、もはや少女ではない。そのようなルールがあったとしても、相手の承諾なく連れ去り監禁する行為は、今となっては有罪である。

 

 本作のラストで、船長は主人公から明確に拒否されながらも、結局罪を重ねてしまう。犠牲者たちを背に、力強く出航と叫ぶ姿は、今後も犠牲者が増える未来を想起させる。もはや彼女を止めてくれる人はいない。それは本当の意味の孤独である。しかし、彼女はそれに気づいていない。いや、気づいているのかもしれない。自ら「たすけて」と漏らしてしまうのはその証左である。しかし、自分で止まることもまたできないのである。

 

 どのように老い、死にゆくか。本作は、プレイヤーにメメント・モリの精神を印象深く思い出させてくれる。私の心の中にも、あるいは私の人生の分岐先にも、宝鐘マリン(78歳)は存在するのだ。そして常に語りかけてくる。決して生き急ぐ必要はない。しかし、時間を無駄にしてはならず、今を精一杯生きるべきなのだと。そうしなければ、はたしてどうなってしまうか。彼女は身をもって私に教えてくれているのだ。

 

*1:現時点において本作のネタバレを忌避する方がどの程度いるかは分からないが

*2:遵法精神にあふれる船長のことなのでおそらく成人しているだろう(でなければ婚姻できないので)

*3:誤解なきように念のため付言すると、あくまでも作中における人物像ということである。