死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

どこかにはいて、どこにでもいるが、ここにはいないVTuberなるもの

 引退した、あるいは契約解除されたVTuberのグッズを販売することは可能か。ここで想定しているVTuberとは、企業所属のタレントであり、かつ現実で人体での活動をしないタレントを指す。一般的に企業はタレントの名称について商標権を登録しているところ、仮に引退等をし表舞台から姿を消したとしても、基本的にはそれらの権利を存続させるだろう。それは当該タレントが復活する可能性を留保してるからとも言えるが、実態としては、他者に当該名称を使用されることを避けるための、資産保護の一環である。

 事業としてのVTuberは、タレントビジネスと、いわゆるIP・コンテンツビジネスの良いとこ取りをしている(悪いとこ取りをしているとも言える)。タレントの人気が軌道に乗れば(これが一番難しいのだが)、多種多様なグッズ展開が図られ、半ば無尽蔵に収益手段が開発され、確保される。ファンには、購買意欲をそそられないグッズを買わない選択肢も与えられるが、「購買して応援する」こと自体が購買意欲になるので、あまりに消費者を舐めた商品でなければ一定は売れるように見える。それは人間のタレント(アイドル)でもそうだよ、と言われれば確かにそうで、人間のブロマイドとVTuberのアクスタ(人間もアクスタになるので比較対象としてはよくない)のどちらが粗製乱造感があるかといえば甲乙つけがたいが、例えばボイス商品なんかはVTuber特有に思われ、それはアニメの文脈があるからこそな気がする。人間がよくわからないシチュエーションボイスをやっていると思うと、私はちょっとキツいなと感じてしまうもろもろも、キャラクターがやっていると思えば一定受け入れられてしまうのは、VTuberの持つ視覚的な要素と、消費者側のオタク的な素養がマッチングしているからだろう。

 VTuberはキャラクターであるか。その昔、と言っても2022年頃だと思うが、その頃は企業側もまだ「キャラクターと現実にコミュニケーションがとれる」のを一つの売りにしていた覚えがある。それがコンテンツとしてのコンセプトだった。しかし、VTuberをキャラクターたらしめている要素が何かを考えたとき、結局は視覚的な部分が多勢を占めるように思われる。声だけではキャラクターにならない。最初にアニメ的な外形を認識しているから、その後音声を聞くだけでも、頭の中にキャラクター像が浮かび上がるのである。そうすると、その作用は別にVTuber特有のものではなく、イラスト化された配信者でも歌い手でも同じことである。では、VTuberとそれらイラスト化された人間との境界線を考えると、そのままで恐縮だが、VTuberは実在する人間をイラストにしたものではない、との認識があるかどうかになるだろう。とすれば、やはりVTuberはキャラクターなのである。

 キャラクターは実在しない。しかし、実在しないからこそ、商品展開として採れる選択肢も豊富である。そして、それらの商品を通じて、私たちはキャラクターとのつながりを見出す。それはVTuberに関するグッズの消費行動を左右する、重要な要素である。ファンたちは、単なる商品を購入する以上の意味をグッズに見出す。それは、好きなキャラクターとの繋がりを感じる手段であり、その存在を肯定し、彼ら/彼女らの世界を一部自分のものにする行為である。ところが、そのような行為をすればするほど、現実との乖離は広がる。つながりを留めようとした結果、反対に、彼ら/彼女らが実在しないとの感覚は強くなる。

 引退した、あるいは契約解除されたVTuberと、我々の世界は、比喩表現でなく断絶する(ここでは生命的な死を想定していない)。今もどこかで元気にやってるよ、と思えるかどうかは、彼ら/彼女らがいた世界をどの程度まで現実のものとして捉えられていたかによる。そして、その現実感を向上させるのは、思っているよりも難しい。表舞台から姿を消したVTuberは、文字通りこの世界からも消えてしまう。VTuberに触れる行為は、異世界を内在化する行為なのだと思う。その手段として配信があり、グッズがあり、ライブがある。それらを通して、私たちは存在しない世界を、キャラクターを自己の中に取り入れ、彼ら/彼女らを実在するものとして取り扱う。そして、彼ら/彼女らがいなくなる時、そのような現実が存在しないことを思い出すのである。

 引退した、あるいは契約解除されたVTuberのグッズを販売することは可能か。キャラクターは歳をとらない。死を迎えない。いつまでもそこにいるはずである。しかし、VTuberはそうではない。いつか明確に終わりが来る。その矛盾は技術的なものでなく、心情的なものであるから、時間とともに解消される見込みは薄いが、むしろそのような矛盾こそがVTuberの魅力の根源でもある。どこかにはいるが、ここにはいないのである*1

*1:これは消費者側特有の感覚であることを留保する