『小説家と夜の境界』を読んだ。以下、ネタバレを含み感想を羅列する。
夏は不穏な小説を読むのがよい。本書は7篇の短・中編からなっており、どれも不穏である……というわけでもない。『怪と幽』で連載されていたと言うから、全体的にホラー風味なのかしらと思って手を取ったのだが、真正面から怖さを感じる本ではなく、『精神感応小説家』などは清々しさを感じるほどだった。余談ながら幽が廃刊していたことも、山白朝子が乙一の変名であることも本書を通じて知った。
作家である主人公の目を通じて物語が進められるが、そうであるがゆえに真相は藪の中なこともある。モキュメンタリー風味といえる。しかし語られる内容は主人公の視点でなくてもよいような気もする。主人公が聞いた話、あるいは見た話として取り扱う必要がどの程度あるか。言い換えれば、それぞれが独立した話として展開されていて、「小説家に関わる短編集」としてもよかったものを、「私」という主人公を置いた理由はなんだろうか、と気になった。
インタビューとの体裁をとることで、話を書きやすい、展開させやすいといった志向があるのだろうか。そう考えながら、はたしてそのような実利的な目的だけなのかとの疑念も渦巻く。本作で一番情報が少ないのは「私」についてなのである。
大ヒット作に恵まれた訳ではなさそうだが、決して短くない時間を作家として生き抜いていそうで、業界内でそれなり顔も利く。「バランスよく全体を見渡して、一人で作品を生み出せる」とも評される。自虐しがちながら、しっかりとファンは付いており、少なくとも作家業だけで食べて行けているような存在。それは決して有象無象の作家像ではないだろう。しかし、性別や年齢すらもよく分からない。「私」とはいったい誰であるのか。このような物語の形式を取っている以上、それは山白朝子=乙一自身だろう、と解してしまうのは容易いが、名乗ってすらいない「私」をそのように捉えるのは、安直で誤っている気もする。別に山白朝子である必要もないからだ。