死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

ツナマヨを二つ買うべきなのか

 お昼をコンビニで済ますなら、おにぎりを食べるのが最適解と言われている。腹が減るなら米を食え。じゃあお弁当でもよいのでは? 正論である。しかし、せっかくお弁当を買うなら、飲食店が売ってるやつとか、惣菜屋が売っているやつとか、そういうのを買ったほうが満足度が高いはずで、むしろせっかくコンビニを使うのであれば、やはりおにぎりを買うべきである。コンビニは、地域におにぎりを供給するために存在している。

 ちょっと高めのおにぎりは魅力的だが、ちょっと高めのおにぎりを買うぐらいなら、ちょっと高めのお弁当を買ったほうがよい気がするから、結局、定番三角おにぎりに手を伸ばすことになり、それでよい。一個では少ないが、三個では多い。とすれば二個がちょうどよい。アリバイ作りにサラダも買おう。食べないよりは食べた方がよい。

 おにぎりを二個買うなら、味は変えるべきだろう。せっかくである。ツナマヨを選ぶなら、もう一つはマヨではないものがよい。昆布でも梅干しでもよい。似たものではなく、反対のものを選ぶ。その方がバランスが取れている。

 寿司は味が薄いものから食べるらしいが、おにぎりは味が濃いものから食べるのがよい。おいしいからである。そしてツナマヨを食べた時に思うのである。もう一個ツナマヨでもよかったな、と。思い返せば、幼少期に母が作ってくれたおにぎりの具は、すべて同じだった。おにぎりを二つ食べるなら、味を分けなければならない。そんなルールは、原始人間の社会には存在しなかった、社会の発展とともに設けられた、しがらみの産物である。食いたいものを食う。それが本来の人間の姿なのではないか。

 しかし、だからといってツナマヨを二つ買ってはいけない。それは罠である。ツナマヨを二つ買う。これは非常にアナーキー。反権威主義的で、信念を持った、愛すべき尊い行為であるが、二つ目を口に入れた瞬間に思うのである。ツナマヨは一つでよかったな、と。