死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

君たちはどう生きるかは問いであるのか

 空いた時間に思い立って公開スケジュールを見るとタイミングがちょうどよく見に行ってきた。私にしては考えられないフットワークの軽さである。

 公開から数日、インターネット上で飛び交っていたのは、基本的には宮崎駿という作家に紐づけた論議であるように感じている。私といえば、すべてのジブリアニメを見ているようなファンではなく、また現実のスタジオジブリに関わる人々自体には特段の関心も持っていないから、「ここは駿のこういう思惑が出ててね……」といった談義はまったくできない。それはそれとして私は普通に泣いてしまったのだけれども、みんなはどうだった?

(以下、ネタバレを含む感想の羅列。)

 

 

 初っ端から階段を高速で駆け上がる眞人とか火事のシーンとか、動きが激しく、フルアニメーションみたいにぬるぬる動くので、ジブリアニメってこんなんだったっけと驚いた。映像への驚きもつかの間、映像としては平和な場面が続く。

 ナツコ(字がわからないので以降も全てカタカナになる)さんは母親の妹だそうで、つまりは叔母が自分の新たな母になるという。後妻として近親者を迎える眞人の父は工場の経営者であり、資産家的立ち位置なのだと思うが、こういったことは当時よくあったのだろうか。しかもすでに父の子を身ごもっている。今の(もとい私の)感覚からすれば、何だか父親が節操なく思われるが、特にそれについて周りからどうこう言われる雰囲気もない。そんなものか。

 お屋敷で登場したアオサギに「君が君生きバードなのか!?」と疑念を募らせる。ここらへんから少しずつ雲行きは怪しくなり、女中方の醸し出す怪しい雰囲気も相まって、何かが起こりそうな予感がする。とにかく不穏である。眞人はPTSD気味だし。何かこう、嫌な雰囲気がずっと漂っている。しかし何も起きない。と思ったら起きた。アオサギである。

 眞人がのっけからアオサギに敵意を持っていたのはなんでだろう。木刀で殴りかかったのは、アオサギが窓から「眞人助けて」と悪ふざけをした後だったか。いずれにしても、眞人がアオサギを危険物認定していた理由がよくわからない。喋る鳥は怪しいと言われればそうである(この時点では幻聴の可能性もある)。いずれにしても的確に一閃しようとする眞人は怖い。

 アオサギと対峙しながらカエルに包まれて、ナツコさんの矢で難を逃れる一連のシーンはワクワクした。最初に眞人が塔へ赴いたときの女中さんの反応からしてそうだが、関係者は何かを認識・理解しているが主人公は知らない。これは不穏である。ナツコさんが適格に矢を放ったのも、つまりアオサギがよろしくない輩であることを知っているからで……と思ったが結局そうでもないのか。ナツコさんはアオサギ(鳥ではない)を認識できていないようにも思われたので、であればどうして矢を打ったんだろうかという気もする。

 そもそもアオサギと対峙するだの矢を打つだのは、全部幻想であったのかもしれない。ただ、これはナツコさんの部屋に弓があったり、木刀が粉々になっていたことからすれば否定されるのだろう。この屋敷では妙なことも起こるんでねえとの女中さんの言葉に、やっぱり眞人以外は全部わかっているのでは? とやはり不穏。 

 

 ナツコさんが失踪し、自分も探すと屋敷の外へ急ぐ眞人の姿は、冒頭の火事のシーンと重なる。森の奥にある根城は、アオサギのいた塔とは別の建物ですよね? ここで、少なくともキリコさんはもろもろの事情を知っている様子がうかがえる。ただのタバコ婆さんじゃなかったね。アオサギがおっさんであると分かると、君生きバードのビジュアルはいたく美化されたものであったのだなあと気が抜けた。

 

 下の世界に到着し、ここから異世界冒険が始まるのかと身構えた。墓の主とは何なのか云々よりも、単純に後ろから近づくペリカンが怖い。動物には表情がない。

 ここから説明があるようでないような世界が加速していくように思われた。キリコさんは結構色々と喋ってくれる。下の世界は死んでるやつのほうが多いとか、わらわらが飛んで上の世界で生まれにいくんだとか(二重らせん構造で飛んでいってていかにもな感じですか)、またペリカンがここは地獄だと言ったり(これは例えか)、ぼんやりと下の世界がそういう世界なんだとは示される。それはとてもわかりやすく、説明的であるとすら感じる。

 わらわらはわらわらしている。木霊やまっくろくろすけその他を思い浮かべるのか、それともドラえもんの地底人かは人それぞれとして、ともかくかわいいやつらである。本作は音楽と映像をマッチングさせる演出が散見されたが、ここでもわらわらの「お~」の声がうまく映像にはまり込む。かわいいといえば、女中さんの人形も土産物屋の商品のようで欲しくなってしまいましたね。

 

 インコに恨みでもあるのだろうか。と思うぐらい厄介な存在である。動きが人間的で、もうそれはインコではない。単にインコの姿をした人間と捉えるのがよいのか。どうして下の世界でインコの勢力が大きくなりつつあるのか。食欲第一で健康的な奴らだが、その食材はどこから手に入れているのだろうなどと思う(魚はいるみたいだが)。

 ヒミは初登場のシーンからして、眞人の母と関係することは推察されたが、本人とは思っていなかった。ヒミもキリコも、いつから下の世界で何のために何をしていたのか。大叔父様と長らく会っていなかった様子だし、インコとも敵対関係にはありそうだし、なんだろうか。

 と悩んでいたらインコ大王が登場し、ムジュラの仮面を思い出した。デクナッツ城みたいですね。そう言うと、エルデンリング味もありますね。そして石を見て、いやBloodborneだなと思い直す。

 

 産屋関係は本当によく分からず、ナツコさんは下の世界で出産をしようとしていたのか。大叔父さんを継げるのは血縁者だけらしいので、大叔父さん自身が身近で産ませようとしたのか。でもそういう強行的な手段に出るタイプの人でもないと思うのだよな。別に眞人になんとしてでも継がせようとしていたわけでもなさそうだし。石がざわめいていたのを見るに、石側の思惑だろうか。ナツコさんが眞人を拒否するのは本心かあえてか。どちらもある気はする。連れ子が悩むなら、継母だって悩むでしょう。

 

 時の回廊の扉は、あくまでも眞人の一族に関わる時間軸へ繋がるものか。最後のヒミの言葉、ここが私の泣いたシーンです。最初母親がラスボス的な存在なのかなと思っていたので、余計に胸に来ました。ただのいいお母さんでした(ほんとに?)。

 

 下の世界の存在は、上の世界で存在できないわけではない。姿を変えはするが、インコはインコとして、キリコさん人形は実体として戻る。ではペリカンは? そしてアオサギは? もとからアオサギの羽は消えてしまっていたか。

 

 分からない。

 

 しかし、分からないままに、そのうち忘れていくのかもしれない。そしてそれでも人生は続く。

 宮崎駿が、作品が、お前らはどう生きるんだと視聴者に問うているわけでもなく、一人の少年が母親の死をどう乗り越えたか、それを示しただけなのではなかろうか。と、そのような単純な理解をして、あとは批評家にお任せする。