死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

夢よ再び―Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART Ⅲ KADODE ~ 徳島公演に行ってきました―

 2/2(土)、私は『わぐりすらん』に参加するため千葉県松戸市へと向かっていた。何をするイベントなのか、前情報はほとんど持ち合わせていなかった(我ながら調べろよとは思う)。精々、前年に田中さんが足をつったことぐらいしか知らず、しかし「7人が7人である」機会には可能な限り立ち会いたい思いはあるから、とりあえずチケットに応募したら当たってしまった、というのが実情である。「鷲崎さんにも会えるなんて、全くお得なイベントだな」ぐらいの認識であった。

 始まってみると、わちゃわちゃして面白いバラエティコーナーあり、いつものように楽しいライブコーナーありと、短いながらも濃密な時間を過ごさせてもらった。他ユニットの様子を見るにつけ、異文化に触れるとはこういうことか、と思ったものである。「アイドル」なのか「声優」なのか「アニメ」なのか。それぞれのユニットが持つ背景は、似ているようで異なる。その差異がそのまま、それぞれの持つ雰囲気にも表れているのだろう。その点、私は数あるユニットの中で、好きになるべくしてWUGちゃんを好きになったのだろうと感じた次第である。(言うまでもなくユニット間に優劣をつける意図はない)

 そのように、一観客としては「楽しかった」と一言で済ませられる時間であったのだが、それでは何か足りない気がする。いつも通りあえて付言すれば、「3ユニット合同のスペシャルイベント」と銘打たれたこの『わぐりすらん』は、その実DIVE II entertainmentを挙げたWUGちゃん送別会であったと言えるだろう。もとい、裏になっていない裏テーマと言ったほうが正しいかもしれない。この時間は誰のためにあったのか。初参加のRun Girls, Run!の晴れ舞台ではあった。i☆Risのイベントでもある。しかし、Wake Up, Girls!の花道としての役割を非常に強く感じたのは私だけではないはずだ。イベント後の余韻が、純粋な楽しさだけで構成されていないように感じられる理由はそこにあると思っている。

 この点、出演者の方々による言葉の影響も大きい。WUGちゃん自身も含めて総勢16名で行われたMCは、送る言葉と感謝の言葉の応酬であり、特に夜の部は山北さんの「(解散が)もったいない」とのコメント*1で始まったことも相まって、もはや各人が終演時間を気にすることもなく*2、想いの丈を激しく吐露していた。

 なかでも印象的だったのは、田中美海さんの言葉である。(なお、大意として私が記憶しているのものであり、真意を誤解している可能性があることは予め申し上げておきたい。)

もどかしいけど、解散が決まってから本当にたくさんの人に愛されているのを知って…嬉しいんだけどそれがもどかしくて……

  私の観測範囲において、基本的に田中さんは「解散」に対して元気で前向きなイメージを投げかけ続けている。解散発表時のぺらじ・WUGちゃんねる、発表後最初のFIVE STARS、Part1のパンフレットにおけるコメント。これは意識的にそうしているのだと思ってきた。そうするのが田中さんらしいからである。

 だからこそ、こういう想いの切れ端は重い。文字通り読み解けば、これまではそれを知ることが叶わなかったということであり、どのような気持ちでこの言葉を紡いだか、私に想像ができようか。そして今のタイミングで知られたことを、せめて幸せに思ってくれているだろうか。そうであることを心から願いたい。

 ところで、田中さんの言葉が重く感じられたのは、その直前の山下七海さんの影響によるところも大きい。山下さんは瞳に涙を浮かべつつ、しかし笑顔でこう仰った。

解散を決めた今だからこそ、見ることのできる景色もあると思う。

  現状をしっかりと認識した上での、とても素直で強い言葉であると私は感じた。これを朗らかに言うことができる、彼女の強さの根源は何であるのか。私は、徳島の生んだ奇跡こと、徳島の女神こと、徳島の誇りこと、徳島の姫こと山下七海さんのルーツを探るべく、海路徳島へ向かうこととした。

 というわけで、2/9(土)に開催された『Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME - ~ PART Ⅲ KADODE ~』の徳島公演(昼・夜)に参加してきました。ななみんワールドとは何なのか、どのような世界が繰り広げられるのか、期待で胸をいっぱいに膨らませて行ってまいりました。以下、ライブのネタバレ、長文(15000字程度)・乱文、ライブに無関係の諸々、こじらせた文章を含むため、お読み頂ける場合には予めご了承いただけますと幸いです。なお、全体のうち4割は徳島紀行文なので、ライブの記述のみ目的とされる方は、見出し「会場へ行く」から読んでいただくと便利です*3

海路徳島へ

 和歌山港へ行く

 「そもそも徳島ってどうやって行くんだ?」から始まり、車(バス)・電車・フェリーと豊富な選択肢をネットから提示された私は、「折角だから」といういつもの漠然とした理由で、和歌山港から徳島へ渡ることに決めました。

 和歌山港へは南海難波駅から特急で1時間。そしてフェリーに乗って2時間。計3時間あれば徳島へ渡ることができます。案外近いものですね。今思うと、この全体的にゆったりとした行程が、徳島での体感時間をさらにゆっくりしたものにしてくれたのではないか、と思っています。

 フェリー搭乗

 「そもそも和歌山に港ってあったんだなあ」とバカなことを考えながら搭乗口へ。そして遭遇するワグナーonウィンドブレーカ。フェリーで見てもあんまり違和感ないものですね。また、途中の連絡通路では、徳島をPRするポスターが飾られているのですが、一際目を引くufotable阿波おどりポスターと『おへんろ』。私、マチアソビには行ったことがないのですが、地方にこういう文化が共栄的に根付くのは一オタクとして嬉しいなあと感じました*4。やはり東京一極集中は良くない(とりあえず言っていくスタイル)。

 なお、そんなマチアソビの影響かどうかは知りませんが、南海フェリーには萌え風味のキャラクタが存在しており、船室へ向かう我々を出迎えてくれます(何なら船体にもラッピングされている)。私は阿波野まいちゃんの「和歌山生まれ徳島育ち」という設定が好きです(何で普通に徳島生まれにしなかったのか)。

 加えて、着港時に船内に流れる楽曲が旅情に溢れてとても感動的だったので宣伝に貼っておきます。(配信して…)

www.youtube.com

 揺れない・静か・安い(片道2000円)・(良くも悪くも)混んでないの四拍子揃った海の旅は非常に快適。本を読んでいる間に徳島港へ到着していました。さあ人生初の徳島。意気揚々と足を踏み入れました。ここが姫の生まれた地であるか。

 

 徳島散策

 徳島市営バス(IC決済のできないことに焦る焦る)に20分程揺られて徳島駅に到着。駅前から阿波おどり会館にかけてはヤシの木が植えられており、南国の情緒が漂っています。とはいえ季節は冬。海が近いこともあるのか風は強くて体感温度は低い。早々に荷物をホテルに預け、昼食処を探すがてら、ぶらりと歩くことにしました。

 まずもって目に入ったのはポッポ街商店街。何で「街」が二回続くんだよ*5と思いつつ足を踏み入れると、そこはまさしくシャッター通り。おどろおどろしいフォントで彩られた飲食店の看板に、放送で繰り返される『うれしいひなまつり』。少し進めば南海ブックスが鎮座しており、区間の終わりには「徳島に来たらカレーを食え」と主張するカレー屋。県のポータル駅近くにこのような空間が構成されていることが何とも面白く感じられました。もう少し元気になるといいな。

 (料理はとても美味しかったです)

 

 余談ですが、後になって山下さんがこちらに通われていたことを知りました。いやあここの前通ったよ。看板見て「こういうところでレッスンしてたのかなあ」とか思ってたよ。いやーすごいなあ。ここからスターが生まれたんだなあ。すごいなあ。

 昼食後は阿波おどり会館へ足を進め、隣の眉山天神社へお参りをしました。しかしまあ、道真さんはどこにでもおられますね。遠征する度におみくじを引くのもどうなんだと思いながらここでも引いたところ、今年初めての大吉が出たのでこれを信じて行こうと思います。

 なお、眉山天神社には「姫宮さん」と呼ばれる恋愛成就や安産にあらたかな神様が祀られているのですが、ここでガチ恋勢が推しとの未来を願ったかどうかは定かではありません。(何の話)

 

 眉山チャレンジ

さて、明日はWUGツアーの徳島公演ですっ

私はもう地元徳島をたくさん感じてまーす♪

眉山にて、たくさんの著名人の手形レリーフを見つけました☆

(引用元:WUG公式ブログ2月8日記事

 なるほど。

 

  なるほど。

 

眉山の山頂までは色々な登山コースがありますが、徳島駅から近く、よく利用されるロープウェイに沿って登るコースを選びました。

コースデータが見当たらないため、ロープウェイの全長から概算して、天神社から山頂の展望台まで、距離900m、高低差240m、1時間ほどのコースとなっています。

想像していた楽々コースとは、ほど遠く、結構、息切れるほどの登り坂が続きます。まず、最初に出てくる石段が、驚きの400段ほどあり、その後の本格的な登山道も、勾配が結構ありました。

(引用元:360@旅行ナビ

  

  行くしかない。

  と、生半可なノリで挑んだことは間違いだったと言わざるを得ません。最初の石段は何の問題もなかったのです。道端に建てられているお地蔵さんとか、謎の夢の国要素*6とかを見て楽しみながら登ることができました。しかし、山道に入ってからは別の意味で笑いが止まりませんでした。とりあえず運動着で来ないとあかん。あかんでこれは。

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(序の口はまだマシなのだが…)

 

 比較的登りやすいであろう、でこぼこの少ないルートは角度がきつく、この日の靴では滑る可能性もあったため避け、ひたすらに木の根っこと岩で作られた段差を登っていきます。次はどこに足を伸ばせばいいのか、手を使わないボルダリング状態です。春以降はここにスズメバチが加わることになると考えると、かなり厳しい気がする。

 とはいえ、登り始めてしまえば、あとは下るか登りきるかしか選択肢はありません。ひいこら言いながら歩みを進め、20分程度で山頂(?)に到着しました。

  達成感ある。

 よろよろの足で辺りを散策。眼に入る風景に徳島のコンパクトさを感じつつ、「この土地で山下さんは育ったのか」と例によっての感動を覚えていました。すごいことだと思うんですよね。「何が」と言われても困るのですが、眼前に広がる街の中に山下さんが居たわけなんですよ。この場所があったからこそ、山下さんという存在が今居るわけなんですよ。それは言いすぎかもしれないなと思いつつ、しかしやっぱりそうだとも思う。ああ面白いなあと感慨に浸っていたのですが、段々と空模様が心配になってきたので長居はせずに下山することにしました。なお、衛生面を考慮し山下さんとの間接手合わせは実施しておりません(謎の潔癖要素)。

 登ったからには降りなければならない。シンプルかつ厳しい事実によって、私の膝は破壊されました。途中こけそうになったりこけたりしつつ、無事麓に到着。次に来る時は是非ともロープウェイで…。(マチアソビのときにも徒歩客は一定いるのだろうか)

 阿波おどり会館で一呼吸付いた後は再び街中へ。足がパンパンになってきていたこともあり、早めに阿波尾鶏をかっ食らい、ホテルへと戻りました。美味い。

 

会場へ行く

 休日の朝っぱらから鳴門行の電車に乗るのは、部活に行く学生かワグナーぐらいしかいない、かどうかは分かりませんが、ワンマン列車の中はワグナーが多くを占め、イベントへ向かうシャトルバス感がありました。そして思う。これ、帰りは絶対に輸送能力をオーバーすると。

 そんなことを考えている内に鳴門駅に到着。会場はここより徒歩15分。近からず遠からず、歩くには丁度いい距離です。迷うこともなく会場に到着。近くには撫養川が流れており、非常に開放的な空間でした。

 強風吹きすさぶ中で物販に並ぶ気力はなかったので、周辺をうろつきながら開場の時間を待ちました。ちなみに、会場敷地内には譜面が刻み込まれており、何の曲かなあと思っていたのですが、確かめてみたら第九のメロディでした。そもそも鳴門市と第九(というかドイツ)の間には深いつながりがあるらしい(詳しくは調べていない)。

 

 

入場

 盛岡公演のときに「奥野さんにこれだけ多くの花が寄せられるのだから、(同じくファンの愛が強そうな)山下さんのときはどうなるんだろうなあ」と思っていたのですが、結果的には想像を超えるものでした。設置されたフラスタの数は30以上。一部を除けば*7その全てが山下さんに贈られたもの。これだけでも、すごくいいものを見られた気になれるのは何故なのでしょうか。これもまた、人の感情の発露だからでしょうか。

 花の鑑賞もそこそこに客席へ。全体的に決して狭くはないのですが、単に開館年が古めであることが影響しているのか、これまでの会場の中で最も「市民会館感」があって落ち着きました。これが私の知っている市民会館だ。

 

開演

 (昼:に列右 夜:あ列中央)

 「山下さんだからできること」とは一体何でしょうか。と、問いを投げかければ、山下さんファンの皆さまからは様々に答えを得られるのではないかと思っています。しかしながら、私には思いつくことができませんでした。実のところ、青山さんにしても奥野さんにしても、(それが当たったかどうかは別として)「こういうことをするのではないか」、と想像できる余地があったのですが、山下さんに関しては予想すること自体ができませんでした。そもそも「ななみんワールド」という概念自体が漠然としている。何なんだそれは。

 しかし、終わってみれば「これがななみんワールドなんだ」と得心がいく時間でありました。「ななみんワールド」を明確に定義づける必要は全くない。というか、山下さんの醸し出す雰囲気を何とか言語化したのが「ななみんワールド」ということなのであって、その要素を紐解くことは無粋なのでしょう。

 と言いつつ、本公演を振り返りますと、「感動」と「楽しさ」が非常にいいバランスで織り交ぜられていたなと感じています。どちらか一方に偏ることはなく、自然体で進んでいく舞台上の世界。それを構築できるのは、わぐりすらんであのような言葉を発せられる、底知れぬ強さと素直さを持つ山下さんだからこそでしょう。そんな山下さんの力が回りにも影響を与えたのでしょうか。この日の7人はとかく伸び伸びとしたパフォーマンスを見せてくれたように感じています。

 前説

〔HOMEのお勉強〕

 今回は菜々美と藍里が担当。ちゃーむずである。菜々美の行動が"HOME"に引きづられてしまい……というお話。ここで語らざるを得ないのは、最後の菜々美のセリフ、「みんな! ただいま!」 半拍もしないうちに客席からは「おかえり!」の声。いいじゃないですかこういうの。しかしここでふと浮かぶ「私たちは誰に対しておかえりと言ったんだ?」という疑問。言い換えると、最後の「ただいま!」は誰が言ったのかということでもある。

 私個人としては、山下さんと菜々美の両方に言ったのだと捉えています。というか、そういう認識だった。しかし、何を今さらという話ではあるが、菜々美に対して「おかえり」と言うのはちょっとおかしい気もする。それでも表面的には違和感を覚えなかったのは、キャラクタと声優の壁が瓦解し始めていることの表れでしょうか。*8

 なお、ラストにおいて二人は"ファミリー"マートに向かうところ、会場の最寄りコンビニは同じくファミリーマートであったものの、会場内で運営されている売店は惜しくもローソンでした。

 

〔大田さん〕

 今思えば、昼の部における「菜々美……おかえり…」との大田さんの発言に対し、拍手でもなく笑いでもなく、どよめきが生じたところから、既にななみんワールドの影響は始まっていたのかもしれない。

 なお、どよめきが収まるまでは大田さんの次のセリフが流れず、会場は何とも珍妙な空気に包まれることになった。

 

夢よ再び

 幕が降りて現れたのは、Part2の衣装…ではなくPart1の黒衣装に身を包んだ7人でした。というのも、Part2の衣装はPart1のそれにマントを付けたものであると今日(2/11)知った私は、観賞当時「FANTASIAの再来や!」という勘違いのもと非常に興奮していたのです。今となっては全く意味のないことですが、2/9に私が何に興奮していたのかを書いておこうと思います。

 もともと熊本公演で少女交響曲を聴いたときに、「これはFANTASIAで見た夢が続いているのではないか」と感じられました。というのは、FANTASIAのアンコールラストが少女交響曲であったため、それをKADODEの頭に持ってくることに、どこか連続性を感じずにはいられなかったのです。

 とはいえ、そうなったのは『素顔でKISS ME』に繋げようとしたからでしょうし、基本的にたわ言だと思っています。そう思っていたところに、(ほぼ)Part2の衣装を身にまとってPart2ラストの曲が演じられるなんてことになったおかげで、「(少なくとも今日の公演に限っては)あの夢の世界が再び現出しているのではないか」との想いを強く持つに至ったのです。

 また、これにはタイアップコーナーの選曲も影響しています。Part2一曲目を飾った『スキノスキル』に、アンコール二曲目であった『ハートライン』。いずれもPart2における印象的な楽曲です。

 極めつけは、山下さんによる企画コーナーのテーマ性。この点、内容については後述しますが、ともかく登場する要素がPart2を示唆しているように感じられた結果、私は期せずして興奮の渦に巻き込まれていたのです。が、最初に申し上げたとおりそもそもPart2の衣装とは言えないので、いつもにもまして妄想以外の何物でもありません。本当にありがとうございました。

 

7 Senses

 Part1のアンコールラスト曲だったことの影響が多分にあると思っているのですが、演じられるタイミングが変わっても「この曲は(そこそこ)ふざけても大丈夫」という感覚が、(観客含め)場にいる全員にあるように思っています(7GWもそうなんですけど)。青山さんの暴走に永野さんが引きずられ、間奏パートの入りで高木さんが重ねるという様式美。この流れが本当に好きなのですが、実際のところその流れがあったのは『U.S.A』と『Study Equal Magic!』ぐらいだったでしょうか。という話を前にもした気がしますが、だから今回、高木さんが目の前で阿波踊りをする姿を見られてとても嬉しく思った次第です。もっとやっていきましょうそういうの。

 

言の葉青葉

 行くぜ盛岡(気持ちの上では)

 

ハートライン

 少なくとも、HOMEの中ではもう観れないと思っていたのです。可能性があるとすれば最後のSSAですが、とはいえ曲の立ち位置からして、そこでのセトリに組み込むことは難しいのではないかと感じておりました。

 だからこそ、ここでのハートラインは驚嘆。再びハートライン可愛すぎ問題を論じられる日が来たことを心より嬉しく思います。

 ハートライン可愛すぎ問題

 可愛すぎるんですよ。ダンスも曲も。なんですかこれは。なんなんですか。そして相変わらずステージ二階を使った時のパワーが強い。上下階に分かれることによって、もの凄く映えるんですよね。広がった空間がよく似合うといいますか、(4thのBDでギュッと詰まったハートラインを見ていたから余計になのかもしれませんが)舞台上を広く使うことで、そこから7人から発せられるエネルギーが360°にブワッと広がっていく感覚が得られるんですよ。イメージは『大神』の大神おろしです。でもやっぱり間奏中のダンスも見たいというジレンマ。贅沢な悩みだな。

 夜の部では青山さんと吉岡さんのソロパートを山下さんに歌わせるというサプライズ演出。素で驚く山下さんと、鳴り止まない「ななみん」コール。終わった後にした、山下さんの清々しい表情が忘れられません。天を仰ぎながら目をつむり、満足感に溢れた(加えて、少しの呆れも添えられた)笑顔。こんなに多幸感のある人の姿を見たことがない。もしこの光景がライブブロマイドとして世の中に流通するのであれば、世界はもう少し平和になるでしょうし、個人的には是非とも手に入れて部屋に飾りたいと思います。

 

 始まるパレード(未了)

 『想い出のパレード』と『さようならのパレード』が生まれた今、ハートラインが持つ意味合いも大きく変わったのではないかと感じるところがあります。「解散を意識した今」と捉えたほうが適切かも知れません。一方で、それは単に私が気づいていなかっただけではないか、という気もしています。いずれにせよ、もはやハートラインはただ単に可愛すぎる曲ではないのです(それも元から私が言っていただけですが)。

 これまで私は、ハートラインを日常での人間関係形成における心の機微、あるいはWUGちゃんたちの仕事に対する想いを描いたものであると認識していました。「君」と「僕」というのはメンバー内の話であり、ここで描かれている世界は私たちには開かれていないとのイメージ。しかし、WUGの曲において「私」ではなく「君」と「僕」が現れるときには、WUGちゃんとワグナーの世界観として捉えたほうが、据わりが良くなることが多いと感じられる今となっては、より一歩踏み込むことで、また異なる解釈ができるのではないか、と考えています。具体的には、今の「別れ」を起点に、これまでの全てを振り返って何かを確かめあっているイメージを受けるわけです。

優しいってなんだろう

難しいかもね

受け止めてくれること

嬉しくなること

  WUGちゃんたちはよくワグナーを「優しい」とか「温かい」と評してくれます。しかし、演者からして「優しいファン」とは一体どのような存在なのでしょうか。例えば私は、公序良俗にでも反しない限り、基本的にWUGちゃんのすることを肯定するでしょう。褒めることしかしません*9。その意味では優しいファンと言えるでしょう。

 しかし、そんなファンは演者からしてありがたい存在と言えるのでしょうか。何を出しても正解であるかのような反応が返ってくる。しかし内実、本当にそうであるかはわからない。演者にとってライブは一つの答え合わせの場になるところ、特に初期においては今よりも何倍も大きな不安に苛まれながら舞台に立っていたことでしょう。何が正解なのか分からないままに(観客だって何が正解かは知らないのです)、ひたすらに正解を探し続けなければならない。

進んで 止まって

歩幅合わせて

with you

悩んで出した正解を

君と一緒につなごう

 そんな中、苦しみながらも、メンバー同士、そしてワグナーとも手を取り合いながら答えを探していく。「はじめまして」を広げれば広げるほどに提示すべき正解の範囲は大きくなり、複雑化する状況の中で進んだり止まったりしながら、歩みを止めることなく進んできて今を迎えることができました。そして最終的に出した答えは「解散」。

悩んで出した正解を

君と一緒につなごう

みんなに届くようにつなごう

 「はじめましての瞬間を忘れない」とか、"you"とは誰なんだろうとか、考える対象は山程あるのですが、あまりまとまっていないのと記事の本旨からズレてしまうのでまたの機会に譲ろうと思います。

 

 企画コーナー

 タイアップコーナーが終わった流れで企画コーナーへ。さあ、いよいよななみんワールドの本領を見られるときがやって来ました。楽しみ楽しみ~と思って山下さんに視線を向けていると、山下さんは客席をニコニコと見つめながら首でリズムを取り始めました。あ、これあれだわ。絶対あれだわ。だって4拍とってr

 

 オオカミとピアノwithすだちくん(昼)

  シャンシャンシャンシャン!!!(怒号)

 歓喜のシャンシャンが会場に響き渡りました。個人的には大宮で聴いたのが最後ですが、その時は確か山下さんは2階席で歌われたはずで、「歌っている姿を見る」のはかれこれグリフェス以来となります。当時の私はキャラソン(というかほとんどの曲)を認知しておらず、会場で初めて聴くことになったのですが、会場の一体感と、テンポが上下する構成にとても胸を打たれた記憶があります。あれもまた「ライブってすごいんだなあ」と思った要素の一つですね…。

 そうして会場が盛り上がりを見せるなか、真っ赤なマントをなびかせてセリフパートで颯爽と現れるすだちくん! 昼は右席だったため、下手から大きいものがヌッと出てくるのが見えた瞬間、私の気分は最高潮。「すだちくん!」と喜びの声を上げました。なぜいい年になっても着ぐるみで興奮してしまうのだろうか。

 地元のゆるキャラに登場してもらうというのは、実は熊本公演のときに私がやってほしいなあと思っていたことでした。要するにくまモンが出てきてくれたらめちゃくちゃ嬉しいだろうなあと思っていたのですが、残念ながらその願いが叶うことはありませんでした(もずやんにもそばっちにも出てきてほしかった)。それをこの日回収してもらえたことに心より感謝申し上げます。いやもうほんと興奮した。すだちくんかわいいし。

 何と言ってもすだちくんのダンスですよダンス。あの笑顔とフォルムで、オオカミとピアノにおける山下さんのくねくねダンスを完コピ。すだちくんって踊れるんだね。全然知らなかったよ(というかあんなスーパーマン的な衣装だってことも初めて知ったよ)。

 その後も他メンバーと共に舞台上に残り、『千と二百の物語』を歌う山下さんを見守るすだちくん。魅力に溢れすぎているので早速ラインスタンプがないかストアで検索しましたら、WUGポーズっぽいものもあるし、また、泣いても怒っても笑顔なところに「いつでも微笑んでいるドール」っぽさも感じるところ、この日すだちくんが来てくれたのは必然だったのではないかという気さえしてきました。やっぱり長年マスコットやってるだけの地力がありますわ。ししゃもねこと一緒に、どうかこれからも笑顔でいてくださいね。

 

 オオカミとピアノwithヒーロー吉岡(夜)

 シャンシャンシャンシャン!!!(怒号)

 再び歓喜のシャンシャンが会場に響き渡りました。

  昼と違い、一番の終わりとともに様子のおかしくなる山下さん。眠たそうな顔を見せながら、ついに舞台の階段上で眠りについてしまいます。ああ、眠り姫となられてしまった。「えっこれどうすんの?」という心配をよそに、舞台袖から次々と現れる他のメンバーたち。「一度でいいからステージ上で寝てみたかった」と後のMCで語る山下さんの突拍子もない発想*10によって生まれたのは、「山下さんの夢の中で他メンバーがオオカミとピアノを歌う」という代物でした。何やそれ。もっとやっていきましょう。

 2番のサビ前でようやく目覚めた山下さん。軽やかにサビを歌い、セリフパートへと進みます。「すだちくんすだちくんすだちくん」とすっかりすだちくんの魅力にあてられた私を捨て置き、舞台上に現れたのはマントを羽織った吉岡さん! すだちくんじゃない!? 呆気にとられる私を尻目に展開される宝塚。あっ、これはいいものだ。よく見ておこう。曲終わりで姫の手にキスをするヒーローの姿に会場内は今日一の盛り上がり。色々感想はあると思うのですが、WUGちゃんの中のヒロインってやっぱり山下さんなんだなと感じました。(意外とヒーローは誰でも収まりそうな気がする)

 ところで、吉岡さんが出てくるのは山下さんが目覚めた状態、言い換えると夢の世界ではありません。むしろバックで歌う他5人が夢の中の存在であり、(曲中における)現実には吉岡さんと山下さんしか存在しないことになります。でもこれは妙です。なぜならば7人は7人として存在しているからです。そもそもオオカミとピアノの世界観は幻想的であり、到底現実世界を舞台にした歌とは思えません。だからこの世界は二重夢なのではないか、と思えてくるわけです。これが、「本公演はFANTASIAの夢の続きなのではないか」と考えた一要素であります。つまり、ななみんワールドとは「山下七海さんが見る夢の世界」であるのです。というところで「ななみんワールドを明確に定義づける必要などない」という最初の自分の言葉に反するのは止めておこうと思います。

 もう会えないのかと思っていたすだちくんとは次の『ワグ・ズーズー』で再会。ここでもサビのダンスは完コピです。全くやってくれるじゃねえか。

 

ここにしかない徳島

www.youtube.com

 「イーハトーヴの風」と同じく、私はこの曲の背景を知らないので、その解釈には勝手なところが含まれますが、聴く限りでは「県外の人に徳島の魅力を伝える」歌ではなく、「徳島を発った人に故郷の良さを改めて説く」歌だと感じました。そして故郷を離れた一人である山下さんがそのような歌を唄うことによって、それだけで多大な物語性を生むことになったと感じています。

 山下さんはいつものように笑顔で唄っておられました。私が最初に「楽しさ」と「感動」のバランスがどうこうと言った理由はこういうところにあります。過度に感情を振れさせることはない。その意味で山下さんはやはり強いのです。

 その上で私には、唄いながら故郷というものを噛み締めておられるようにも感じられました。アウトロで聴いた「今日は"徳島"に来てくれてありがとうございました」との言葉は本当に素直で混じり気がありません。東京から帰ってきて、またこの歌も通じて、心と身体の両方で徳島の良さを再認識した上での言葉。誇らしい自分の故郷に来てくれて、知ろうとしてくれてありがとう。そしてそんな故郷を好きになってくれてありがとう。勝手ながら、そんなことを仰っているように感じたのです。

 忘れてはならないのは公演最後のMCでしょう。山下さんは「東京に行って自分の時間は遅すぎるのかなと思うことがよくあった。でも、今日こうして徳島に帰ってきて、『自分はこれでいい』のだと思えるようになった」と仰った。何と素直で強い言葉でしょうか。私はそう言える山下さんを魅力的に思いますし、これからもそうあり続けてほしいと思います。とすれば、私は山下さんの親御さんはもとより、山下さんに「自分らしくていいのだ」と思わせてくれた徳島という地そのものにも感謝を伝えるべきなのでしょう。本当にありがとうございます。これからも山下さんを見守っていてくださいね。

 

HIGAWARI PRINCESS

 今日のプリンセスはもちろん山下さんでした。やっぱり似合うんですよね。具体的には曲終わりに他メンバーからお辞儀されている姿が似合う。姫はいつから姫だったの?(業界に入る前から?)

 最も印象的だったのは、「メンバー全員で徳島に来れたことが一番嬉しい!」という山下さんの言葉。凱旋公演ができたことでも、ワグナーが徳島に来たことでもなく、メンバーなんですね。「これまで来れたことなかったんだ」と思いつつ、何にしても私はそういうのに弱い。どうして私はメンバーでもないのに泣いているのか。

 加えて永野さんの「ちゃーむず、ずーっとありがとう」というメッセージも前説と相まって涙腺を殴ってきた。どうして私はちゃーむずでもないのに泣いているのか。

 

海そしてシャッター通り

 昼は舞台から遠めの席だったため、照明の動きを再確認。よく見ると、最初の時計の音にも照明は連動していたように思われます。また『小さな一歩』以降、照明による波は何度か寄せては返される。この小さな一歩が流れる時の振り付けが好きです。田中さんだけ動きが一拍遅れるところ。同様の趣旨でTUNAGOの奥野さんも好き。

 一方で夜は舞台から近かったため、7人の表情を確認することができたのですが、皆さんそれぞれに違う顔をしておられたのが非常に興味深かったです。吉岡さんと奥野さんは比較的無表情。ぶすっとしているというかは、感情を消しているという感じ。高木さんと山下さんは笑顔寄り。歯は見せないが口角を上げているといったところ。永野さんは伏し目がちで憂いに満ちていて、田中さんはいつもの田中さん。そして青山さんは絶望的な状況に直面しているかのような苦悶の表情(言いすぎかもしれない)。

 どうしてこんな風に差が生まれるのだろう。各々の解釈が異なるということなのでしょうか。こうなると他の曲のときはどうだっただろうかと記憶を辿りますが、表情がちゃんと確認できるほどの席で観賞できた機会が数えるほどしかないわけですから、確かめようがないことに気がつきました。この点、最前席に置いた定点カメラのライブ映像って需要ありそうに思うんですけどいかがしょうか。

 

TUNAGO

 雫の冠もそうなのですが、間奏の振りで永野さんだけ地面と平行に波打って何かの処理を行うことの明確は意味合いは、どこかで説明されていたりするのでしょうか。

 

再び夢の終わり

 アンコールラストの極上スマイルに向かうMCにおいて、山下さんは「またメンバー全員で徳島に来たい」と仰いました。職業柄、プライベートで予定を合わせるのはほぼ不可能でしょうから、これは仕事上でという意味なのでしょうが、WUGがなくなる以上、いずれにしても困難な道のりであることは疑いようがありません。

 でも、山下さんはそういうことを真っ直ぐに言えるのです。うん、やっぱり強い。その強さのもと、陰でどれほどの努力を積み上げているのかは田中さんが大いに語ってくれたところですが、その点について言えばお二人には近しいものがあるように思います。

 それはまた別の機会に書くとして、かくして再び現出した夢の世界は消失し、私たちは終わりという始まりに向かってまた歩き出すこととなりました。早いもので残りはあと3回。ここまで来ると、とにかく無事に完結を迎えてほしいという気持ちが強くなってまいります。WUGちゃんはもちろんのこと、皆さまにおかれましても何とぞお体ご自愛くださいますよう。健康に長生きして、一つでも多くのコンテンツに触れ、一つでも多くの景色を見ていきましょうね。それでは、一宮で皆さまにお会いできることを心より楽しみにしております。なお、大塚国際美術館で一番気に入ったのは『牧歌的神域風景画』です。 

 

 

その他

・WUGちゃんが故郷への想いを吐露する姿を見て嬉しく思うのは、そこに人間の姿を見られるからだとおもうのだが、それだけではなく、故郷の一つと言えるWUGに対しても同じぐらいの想いを抱いてくれているのだろうという推測を勝手に働かせていることもあるだろう。

・オタクと地域振興といった題目で話がされるときには、基本的には特定作品の「聖地巡礼」の目線で語られることが多いと感じるが、HOMEツアーにおける各地方への感情は、それとは異なるものである。どちらかというと、文豪の生家に訪れるみたいなイメージだろうか。コンテンツではなく人に付くという点で、何か違いは生じるのだろうか。

*1:意識的なものかは分からないが、これは解散発表時の奥野さんのコメントと同じである

*2:あの鷲崎さんがタイムキープをしないという状態であった

*3:念の為申し上げると、私の信条は「文章は短ければ短いほどよい」であり、それは悲しいほどに実施できていない。

*4:とはいえそれだけに頼るというのは健康的ではないのかもしれないが

*5:と思ったけどよくある命名方式のようである

*6:

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*7:あれはあれで安心感があって私は好きである

*8:この点、私は若干不安に感じるところがありました。「コンテンツとしてのWUGは続いていく」との前提が崩れたらどうしよう、という不安です。

*9:そう言いながら青葉の軌跡上映イベントに若干の苦言を呈したのはダブルスタンダードと思われるが、あれはWUGちゃんに対してではないのでノーカンである。(勝手)

*10:「グリフェスの人気投票で上位に入っていたから皆で歌いたかった」というまことにしっかりとした理由もあります