死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

一対一のラブコメばっか読んでどうすんねん(『それでも歩は寄せてくる』と『好きな子がめがねを忘れた』の話)

 そればかり読んでいるとは完全に言い過ぎで、たまたま続けてそのようなジャンルの漫画を読んだだけである。『からかい上手の高木さん』がきっかけなのか、それよりも以前からなのかは全く知らないが、男女一対一の関係性に焦点を当てた漫画作品が増えた*1。正式なジャンル名は何なのだろう? 関係性ラブコメ? いや、センスがないので提案はやめておこう。そのうちそれらしい言葉で一括にされるだろう。いや、もうされているのか? ともあれ、とにかくそんな作品はいっぱいある。もちろん具体的な作品数など知る由もないが、ひとたびアマゾンに行くと、山ほど関連本をおすすめされる。往々にして男女ペアがカバーを飾っていたらそんな物語なのではないか。どれだけの作品が世に出たのか、きっとどこかの誰かがまとめてくれていそうな気もする。それぐらいはある。

 

 このジャンルにおいて、私は『それでも歩は寄せてくる』と『好きな子がめがねを忘れた』を楽しく読んでいる、というのが本記事の内容である。なお、『僕の心のヤバイやつ』は先日書いたポエムが全てである(全てではないかもしれない)。

sorobanya.hatenablog.com

 

 

 それでも歩は寄せてくる

pocket.shonenmagazine.com

 

 女の子がかわいい、というのは性別を問わず、多くの読者にとって単純かつ魅力的な要素になるわけだが、そこに「男の子もかわいい」という要素がくっつくことによって、作品の魅力が数倍になるのではないかと感じることが多い。「かわいい」が不自然に聞こえるならば、単に「魅力ある」とか「応援したくなる」といった言葉にかえてもらってもよい。ともあれ、本作も表情豊かなヒロインである八乙女うるしの一挙手一投足がかわいいことこの上ないが、そこに無表情な田中歩のよく分からない実直さが相まって、本作に対する好きの感情が湧き上がってくるのだろう。

 歩はうるしへの好意を全く隠さず、むしろぐいぐい寄せていく一方であり、対するうるしも幾度となく「私のこと好きなんだろ!!!」と言ったり言わなかったりするが、当の歩が気持ちを明言しないので、なんとな~くの関係で話が進んでいく。明言しないのは、別に歩がヘタレだからではなくて、「うるしに将棋で勝ったら告白する」という自分ルールを課しているからだ。むしろ早く告白したいぐらいの気持ちを持っているのだが、残念ながらうるしはとても将棋が強い。勝てない日々が続く。でも、そんな毎日も財産である。というか、二人を見ていると告白という儀式を経る必要性はもはやどこにもない気はするが、そういう問題ではないのだ。なぜなら歩がそう決めたからである。

 将棋を指しているのは一見部活動のように見えるが、単に物置を借りて日々二人で盤を囲んでいるだけである。部に昇格するためには要員が必要で、うるしはそれを求めているが、歩はできれば今のままがよい…でもうるしの喜ぶ顔が見たいので、部員を集めようとする。うるしの気持ちが第一、というような姿勢は大変温かいものである一方、作品が作品であれば悲しい自己犠牲を生み出しかねないが、本作に限っては今のところ大丈夫である。もとい、山本先生はそういう話を書かない気がする。私は無条件で安心している。

 と、歩の魅力を語るのに力点をおいたが、そうは言ってもうるしはかわいい。表情が豊かである。表情が豊かな女の子は、というか人間はそれだけで魅力的である。表情が豊かということは、感情が豊かということであるからだ。これは世界の真理である。

 

 例えば、と言いつつ例が適切かは分からないが、次の一場面で語ってみよう。

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引用元:山本崇一朗,『それでも歩は寄せてくる』, 第二巻(kindle版), No.117

  歩が口をつけていたジュースをうるしがつい飲んでしまった、という場面である。「人のものを勝手に飲んでしまった」ことへの純粋な罪悪感から左下5コマ目の表情が生まれている(と思われる)わけで、そういう人間性についてもいいなあと思うわけだが、それはそれとしてこのコマの表情はなんだかとても惹かれてしまう。コミカルであるのはもちろんだが、「やっちまった」みたいな感じが愛おしい。ちなみに次ページでは瞬時に調子にのるというか、間接キスを恥ずかしがる歩に攻勢をかけようとするのだが、このたった1ページでの感情の振れ幅に、うるしの魅力は詰まっているような気がする。なお、このシーンに限らず、全編を通してそんな感じなので、結局どのページにもキャラクタの魅力が溢れていて、だから作品としても魅力に溢れているのだ、という話かもしれない。

 一話終えるたびに話中の棋譜監修も受けているらしい)が紹介され、分かる人にとっては作品とあわせて楽しめるらしい。が、正直言って私には分からない。しかし、第3巻最終話を読んで、このような将棋要素は本作にとって意味があると感じた。二人には幸せになってほしい。

 

 ところで本作の最新巻は6月17日に発売される。

 ちなみに第1巻巻末には長瀞さんの広告が載っている。

 

 

  あとついでにこれも(無料だよ)

おだいばこ

おだいばこ

 

  

 

好きな子がめがねを忘れた

magazine.jp.square-enix.com

 

 先ほど表情の豊かさと人的魅力の関係性について書いたばかりだが、表情が乏しいのもそれはそれで魅力的である。もはや一貫性のなさに呆れ返られそうだが、これもまた事実であるからどうしようもない。さらに言えば表情が乏しいからといって、感情に乏しいとは限らない。

 本作のヒロインである三重さんは、めがねがなければ日常生活に支障が出るレベルで目が悪いのにもかかわらず、ことあるごとに忘れる。いやいや、たまたまめがねを忘れてしまった日を連ねて描いているがゆえに読者からは毎日のようにめがねを忘れているように見えるだけ、ということらしい。だからと言って、忘れる日数が少ないとは誰も言っていないところがミソである(知らんけど)。正直言って心配になる部分もあるが、これはもう舞台装置として認識するほかない。

 そんなわけでめがねを忘れた三重さんは、常に眉間にシワを寄せ、とにもかくにもしかめっ面である。もちろん機嫌が悪いわけでも、怒っているわけでもない。三重さん自身は天然の入った可愛らしい女の子である。しかしながら、ただただ目が悪いのである。あとメンダコが好き。

 しかめっ面ではあるのだが、眉毛や頬の上気具合、さらには発言の内容によって表情が生まれている。ということで話は戻るが、三重さんもまた感情豊かで魅力的な人物なのだ。

 対して主人公の小村くんもまたかわいくていいやつである。そう、この「いいやつ」であることは、やはりこういった作品において重要であると思われる。いいやつだからこそ第三者目線から純粋に応援ができ、その幸せを願えるのである。でも三重さんに言われたことは何でもやっちゃいそうな危うさは見ていて少し不安になる。

 そんな小村くんはクラス替えを経て隣の席になった三重さんを認知し、半ば一目惚れの形で恋に落ちる。しょっちゅうめがねを忘れる三重さんの日々サポートするなかで、一方通行だった小村くんの想いに、三重さんの想いが近づいていく…という感じ。恋という感情に徐々に気づいていくタイプの作品である。そう、それが恋なんやで…とニッコリしながら読んでいこう。

 

 本作の何が好きかと言えば、可愛らしい独占欲のぶつかり合いである。小村くんからすれば、三重さんがめがねを忘れることで、その分コミュニケーションの機会が増える。だから半ば自己嫌悪を抱きつつも、「明日もめがね忘れてこないかなあ」なんてことを思ってしまう。対する三重さんは、小村くんに迷惑をかけたくないと思いつつ、「小村くんが近くにいることが嬉しい」とついついその優しさに甘えてしまう。共通するのは、互いに互いを独り占めしたいという心で、それを「可愛らしい」と表現したのは、そこにドロドロしたものがないからである。相手への好意に由来する後ろめたさが、むしろ温かい。

 第4巻49話ではその後ろめたさが互いに交差し、一つのクライマックスを迎える。ここが大変お気に入りである。そして続く50話(第4巻最終話)の後光で私は死ぬ。二人には幸せになってほしい。

 

 ところで本作の最新巻が近時に発売される…ということはなさそうなので、作者・藤近小梅先生のpixivを貼っておく。本作の雰囲気が分かる。

www.pixiv.net

 

 

 今後も、世の中に光属性の作品が増えることを心から願っている。

 

 

 

 

*1:何だったら異性間でなくともよいだろう