死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

『黄金の太陽』というゲームがある(あるいは単なる昔話)

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黄金の太陽』というゲームがある。剣と魔法のRPGで、GBAで『開かれし封印』『失われし時代』の二連作を発売した後、それらの30年後が舞台である続編『漆黒なる夜明け』がDSで発売された。この三作目は完全に続編を匂わせるラストを見せた(今作で完結しなかった)にもかかわらず、2010年の発売からそろそろ10年が経ち、現在に至るまで、全くもって動きがない。ちょっとぐらいあってもいいものを、本当になんにもない。今「黄金の太陽」でニュースを検索しても、出てくるのは太陽の塔である。もとい、開発元のキャメロットマリオテニスで忙しいのかもしれない。でもそろそろ一段落しただろうから、ちょっとばかしリソースを振っていただいても……と思うが、そもそもパブリッシャーの任天堂がGOしない限りはないだろうし、正直言って売れる保証もないので、致し方なしである。

www.nintendo.co.jp

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 私はこの作品が好きだった。しかし黄金の太陽の何が面白かったのか、胸を張って語れるほどの記憶がない。何せプレイしたのは10年前、前二作について言えばもう20年近く前の話だ。かなりおぼろげである。しかしながら、私の心にはその存在が、明確に深く刻み込まれている。だから少し思い出してみよう。

 

 と、記憶を辿りながら改めて思うのだが、はっきり「これだ」と特定の要素を提示するのは難しいように思う。と言っても、一つひとつがあかんかったという話ではないが、一部の要素をピックアップして、黄金の太陽を「いいゲームだった」と評するのは何かが違う気がするのである。

 

 ストーリーはどうだったか。詳細な展開は正直よく思い出せないのだが、先が気になる内容ではあったと思う。段々と世界が広がっていく感覚がとてもよかった。(オールドJRPGらしく)ゲームを進めるにつれて、足を踏み入れられる場所が増えていき、旅の目的や世界の置かれた状況の輪郭がはっきりとしていった。ただ、構成は大味であり、精緻さはなかった。張り巡らされた伏線が……というタイプではない。

 

 システムはどうだったか(どこまでを「システム」の枠に入れて話せばいいかは微妙だが)。戦闘はオーソドックスなターン制コマンドバトルである。最初に各キャラの行動を選び、素早さに応じて行動順が決まっていく。敵・味方の順番がどこに挟まるかを念頭に戦略を練る。とてもシンプルである。ジンシステムが特徴で、組み合わせを考えるのは楽しかったが、めちゃくちゃ特別というわけでもない。ただ普通に面白かった。

 また、魔法(エナジー)や各種特殊技(特に召喚)の演出・グラフィックはかなり凝っていて、とにかくエフェクトが派手だった。もちろんGBAなので写実的な美しさではないけれど、大技になるほど色彩豊かで「どっひゃあ~」となった*1。音楽は桜庭統さんなので言わずもがな。効果音も気持ちよくて好きだった

 

 というようにもろもろ魅力的だったと思うわけだが、もっと純粋に、ゲームに触れているだけで楽しかった記憶がある。本作では謎解き(パズル)が随所に散りばめられており、エナジーと呼ばれる力と、プレイヤーのひらめきを用いて乗り越えていく。複数のエナジーを組み合わせる場合もある。私の頭では解放が思いつかず、同じところを延々ぐるぐる回り続けることも多々あった。今だったらイライラしてそうだが、当時はそれで問題なかった。うんうん唸る時間もまた、よいゲーム体験だった。(ここは美化されているだけかもしれない)

 

 とはいえ、どうしても謎が解けない場合もあった。そんなときはどうしたか。当時はまだ、個人の運営する攻略サイトが数多く存在していた。中にはサイト利用者から情報の提供を広く募っている場合もあり、今でも同じことだが、結果として人が多いところに情報が集まり、情報が集まる所に人が集まるようになっていた。FTTHが導入された我が家で、私は様々なサイトを巡っていた。

 

 

 ここからはより一層、単なる昔話になる。私は『黄金の太陽 攻略大全』というサイトに毎日のように入り浸っていた。昔ながらのcgiで作られた掲示板とチャット。どこまで正しいのかは正直よくわからない情報群(ほとんどは正確だったとは思うが)。そして何よりもイラストと小説投稿のコーナー。ここでは多くのユーザーが黄金の太陽の二次創作を投稿していた。覚えている限り、私はここで二次創作という文化を知ったのだと思う。*2

 

 今思えば、黄金の太陽は比較的プレイヤ側で想像を広げやすい作品だったのだろう。まず主人公が喋らない。ドラクエ方式である。無口というわけではなくて、しっかり会話はしているようなのだが、プレイヤー目線だとGBA二作では「ハイ」「イイエ」の二択しかないし*3、DSでは4つの感情から選択するという、一段階凝った方式になったものの、結局具体的に何を喋っているのかは示されない。

 

 他のキャラクタ一にも近しい部分がある。一人ひとりが魅力的でありながら、そこまで深堀りされるわけではない。余白があるのだ。

 私はメアリィが好きだった。よければ上記の公式サイトで見てほしい。雪国出身、清楚なお嬢様でありながら、たまに言葉がきつい。「こころのそこまで くさっていますわ」とのセリフは今でも強い。しかし、決してそういうエピソードが多いわけでもなかったはずで、上記の言葉しても単に「芯が強い」ことの一表現だったとも思うのだが、ファンの間で勝手に腹黒属性が付与されていたりした。ともあれキャラデザはもとより、そういった「強さ」が垣間見える性格付けがとても好みだった。

 

 これは、当時で言うところの「萌え」の原体験であったように思われる。キャラクタを一つの人格として認識し、好ましく思う。メアリィに限らず、黄金の太陽のキャラクタたちには味があった。それでいて、いい具合に余白があった。

 

 そして、そうした余白に当てられた私が、攻略大全に小説を投稿することになるのはある種の必然だったと言えるだろう。数編だけで止めてしまったのだが。しかし、好きなものを通じた他者との交流は、紛れもなく私の人生における大きなターニングポイントの一つだった。

 

 

 荒らしもそこら中にいたが、総合すれば牧歌的な時代だった。今となっては攻略サイトも創作物の投稿サイトも、ほとんどが企業主体の運営となり、個人サイトが入り込む余地はない。そもそも今は文字と画像ではなく、動画で情報を確認する人の方が多いだろう。もし当時と同じような場所が現代に生まれたとして、私がそこを利用することもないと言える。だからやはり、これは単なる昔話でしかないのだが、しかしそうした場所があったこと、そして私にとって黄金の太陽が大きな存在であることは紛れもない事実なのである。

 

 黄金の太陽は来年でシリーズ20周年を迎える。『漆黒なる夜明け』の出来が手放しに褒められるものではなかったのもまた事実だと思う。でもそれはそれであるし、GBAの頃から実はそうだった気もする。しかし依然として海外人気はあるらしいし、最近ではスマブラにも登場した。せめてもの、何とかシリーズ完結はしてほしいのが素直な気持ちである*4。何よりも、私はまだ大人になった(というか母になった)メアリィの姿を見ていない。それは見たい。ついでに旦那の顔も拝みたい。

 率直に言って「なにか動きがあるかも」なんて期待は全くしていないが、期待の声をあげることについて露ほどの意味はあるだろうということで、任天堂キャメロットの両社にはご検討のほど何とぞお願い申し上げる次第である。(まずは3DSでのVC化ぐらいからいかがでしょうか……)

*1:延々ラグナロックを撃っていた。ファイアボールのカメラワークも好きだった

*2:ちなみに兄弟サイトに『キングダムハーツ 攻略大全』が存在し、こちらでは人生で初めてBL文化に触れることとなった

*3:開かれし封印と失われし時代は続きものであるが、それぞれで主人公が異なり、一作目で普通に喋っていたキャラが二作目で喋れなくなる現象が生じた。余談だが、個人的にロビンの一人称は「僕」派である(実際には「俺」)

*4:世の中に完結しなかった作品がいくらでもあるのはもちろん分かっている