『黒牢城』を読んだ。以下、作中のネタバレを少しばかり含む。
創作物に関して苦手なジャンルがいくつかあるが、時代小説はその一つだ。名の知られた人物について書かれている場合、史実との境界線が分からず、物語として楽しむことができない。あるいは、単に時代設定が昔、ということ自体に食指が動かない。どちらかというと後者の要素が大きく、要するにnot for meなのだが、どうしてそうなのかは、あまりしっかりと言語化できない。
さておき、この苦手な感覚は、たとえ好きな作家の本であっても同じである。そのため、いくら米澤穂信作品といえども、未だ本作を読んでいなかった。そうしているうちにめでたく直木賞を受賞され、今から読むと、それはそれでさも賞を取ったから読むかのようではないかと、中二病的感覚からさらに読めなくなってしまった。しかし、ようやく気持ちに折り合いがつき、手に取ることができたのだった。
一つ一つの謎の背後に、全体を貫く一本の大きな謎があって、それがラストに明らかになる。これは米澤作品の魅力の一つだと思うが、本作でも、おそらくハッピーエンドにはならないだろう(そしてこれもまた魅力の一つであろう)不穏な空気をまといながら、毎話とも「これで明らかにすべき謎は全部だったのだろうか」と若干の消化不良感を覚えつつ、物語が進んでいく。ただ、それは構成上そうなるように仕組まれたもので、読者としても心理的な気持ち悪さが残り、不安からページをめくる速度が上がっていく。真相が明かされても、気持ちがスッキリするわけではない。むしろ、読み終えた時に、重い気持ちではあと深く一息をついてしまう。官兵衛が感じたように、本当にこれがたった一年の出来事だったのかと信じられない気持ちになる。半ば呆然としながら、それでも良い作品だったなと静かに感じた。
と、私が本作を読んで得たのは、そのような満足感だけではなかった。本作の舞台は有岡城こと伊丹城で、その名のとおり現在の兵庫県伊丹市にかつて存在した……のだが、この城の名を今まで聞いたことすらなかった。伊丹に城? そんなもんあるわけないだろと、読み始めた時にはそこから創作を疑ったぐらいである。しかし、実際にはあった。かつて伊丹には城があった。今も伊丹駅前に城跡があるらしい。そういえば降りたことないな伊丹駅。そして、荒木村重らがいて、民がいて、作中で起きた出来事の多くは史実ではないとしても、彼らがそこで生きていたのは事実なのだろう。そう考えながら、村重の妻である千代保の辞世の句を見て、ふと泣いてしまったのだった。
みがくべき心の月のくもらねば
ひかりとともににしへこそ行
私は本作をとおして、有岡城とそこに居たであろう人々の存在を知った。知らなかったことを新たに一つでも知れたなら、それは良い(読書)体験である。と誰かが言っていた気がするし、言っていない気もするが、その観点で述べるとしても、私は本作を読んでよかったと、胸を張って言えるだろう。