死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

『葬式同窓会』を読んだ

『葬式同窓会』を読んだ。以下ネタバレを含む感想。

 

 

 とても面白かった。高校時代に同級生だった面々が、当時担任の教諭であった水野の葬儀をきっかけに再会する。歓談の中で思い出される一つの謎。ある日の水野が授業中に突如激昂し、一人の生徒を指示棒で殴ったのはなぜか。この謎を中心に、登場人物それぞれの過去と現在が描かれるのだが、物語の構成要素の一つに、世の中で「ない」とされているもの(者)への視線がある。

 例えばこれは、彩海のパートで比較的明瞭に示されているように思われた。彩海は大学院生であり、動物行動学を専攻している。作中において、彩海はハクトウワシのボンキング/カイニズムを題材に、「いじめ」の定義を考える。ボンキングとは、くちばしでつつく行動を指す。先に生まれた雛が、食料を独占するために、後に生まれた雛をつつき邪魔をする。つつかれた結果か、長く食事が取れない結果か、後に生まれた雛はそのまま死に至る場合も珍しくない。ワシの世界にいじめの概念はないという。しかし、我々はこのような光景を見て「いじめ」であると判断する。それはワシの行為がいじめであるとの認識が我々にあるからだ(若干トートロジー感はある)。そうすると、いじめと認識していない行為の場合、仮にその対象がつらい思いをしていたとしても、いじめにはならないのだろうか。

 水野の謎はセンセーショナルであり、ともすればその場にいた他の同級生の記憶にも残っているだろう。しかし、殴られていた生徒のことはどうか。彼の名前は? 舟守という。一体どういう人間だった? 分からない。それをぱっと思い出せる人間がどの程度いるだろうか。ほとんどの人にとって、彼はそこにいなかったのである。意図的に無視していたわけではない。しかし、誰しも彼のことを覚えていない。気にもかけない。はたしてそれはいじめになるのだろうか。この視線は読者にも向けられている。水野の謎は気になる。そして、その謎解きを中心に物語が展開されるのだろうとの予測もはたらく。しかし、そこに舟守はいないのである。

 

 人生のままならなさも重すぎないながら描かれている。登場人物全員が、如何ともしがたさを抱えており、それらは物語を通じて解決されない。主人公的役割の優菜は非常勤の司書教諭であり、将来に不安が残る。その友人の彩海は、未だ名のついていない病にかかり、やはり将来がどうなるかわからない。高校時代にはカースト上位らしかった望月は、思春期で断ち切るべきある種の全能感を抱えこんだままで歳を重ねてしまっており、その結果短慮にもネットで炎上。華はやや極端な勝ち負け思考に振り回されていて、今後もそれは和らがないように見える。

 彼ら彼女らと比べれば、一木は最も安定した立ち位置にあるが、彼は彼で一生の悩みと付き合う可能性がある。一木もまた、ないものにされている一人と言える。おそらく、いわゆるアセクシャルに近い性質を持っているのだろう(と決めつけるのも適切ではない)。しかしながら、(少なくとも以前と比較して)社会的に同性愛への理解が深まりつつある一方で、一木のような人間の存在を理解する、あるいは認識される土壌が作られているかと言えば、そうではないのが実態であろう。私もそうだが、LGBTの意味までは理解していても、Q+に何が含まれているのかは知らない。一木の母は、自分の息子が同性愛者である可能性には思い至っても、それ以上には難しい。

 誰しもままならない。その中で一つの光明と言えるのは、逆説的ながら舟守の存在だろう。彼は水野に殴られた張本人であり、その他の要素も相まって、自分の人生を崩してしまった(ただ、これは周りから崩されたとしたほうが正しいかもしれない)。しかしながら、彼はそんな過去に区切りを付けようとする。実際のところ、それは何から何まで一木のお陰で、何だったら一木がいなければ舟守は死んでしまっていた可能性が高いのだが、山中での出来事によって、舟守は「いないもの」ではなくなったから生き残ることができたのだ、という解釈もできるかもしれない。舟守が、記憶を呼び起こして一木を認識する319ページから324ページの流れは本当にきれいで、ここに本作の持つ魅力や重みが詰まっているように思われた(ただ、舟守も舟守で今後どう生きていくのがよいか、あまり判然とはしない)。状況的にはどうしようもなさが残っているはずなのだが、読後感はさっぱりとしているのもそのためだろう。

 

 群像劇はそれだけで面白いが、面白い群像劇を書くのはそれだけで難しく、しかし本作では種々の人物から織りなす物語が無理なく飽きなく書き切られている。本作を手に取った時点では気がついていなかったのだが、乾ルカさんは『てふてふ荘へようこそ』の著者でもあり、そういえばてふてふ荘を読んだ時も同じような印象を持ったことを思い出した。なお、本作は白麗高校三部作の三作目とのことだが、前二作は読んでいなくとも特に問題はなかった。