死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

成人男性が児童書を読んでもいいのか。いいに決まっているだろう。と思って『彼の名はウォルター』を読む。

 いつものように図書館の新刊コーナーをうろついていると、懐かしい作者名が目に入った。エミリー・ロッダ。彼女の作品と初めて出会ったのは小学生の頃である。『リンの谷のローワン』をよく読んでいた。いやいや、エミリー・ロッダ作品といえば『デルトラ・クエスト』だろう、という同年代諸氏も多いと思われるが、私はデルトラには触れなかった。理由はただの逆張りである。「ゲーム好きの子どもに受けそうな表紙とタイトルだよね。でも俺はなびかないよ」と敬遠していた。あるいは、どことなくハイ・ファンタジー感漂う*1ローワンとはなんとなくギャップがありそうで、not for meと判断したのかもしれない。

 

 

『彼の名はウォルター』。それが新刊として置かれていた本のタイトルだった。エミリー・ロッダが児童書専業作家ではないことは知っていた。しかしこの本は、あくまでも「児童書」の新刊コーナーに置かれている。はたして、児童期を終えて久しい人間がこの本を手にとっていいものだろうか。いいに決まっているだろう。私の精神年齢は未だ児童レベルと言えるし、もとより図書館も本も物語も、あらゆる人間に開かれている。これらはいつだって、誰に対しても平等なのだ。

 

 

本作は2つの世界を行き来する物語である。ただ、それはナルニア国物語のような物理的な往来ではない。主人公たちは、校外学習に向かうさなか、バスの故障によって足止めを食らう。成り行きのまま、古めかしい洋館で一夜を過ごすこととなるが、そこで家具の中に隠された一冊の本を見つける。その題名もまた『彼の名はウォルター』。形容しがたい引力によって惹きつけられた一行(の一部)は、この作中作を読む形で、ここではないどこかの世界を追憶する。そして、本を読み進めるにつれ、現実世界でもおかしなことが起き始める……。

 

 ある程度小説を読んだことがある人ならば、物語の仕掛けには早々に気づけるだろう。しかし、その仕掛けが最終的にどう作用するのか。どこに着地するのか。これらについてなかなか予想がつかないのではないか。私はそうだった。この本は何のために書かれたのか。どうして隠されていたのか。ウォルターとは何者なのか。洋館と関係があるのか。気になる要素が、あらゆるところにちりばめられている。私は主人公たちと同化して、作中作を読んでいく。自分が読者ではなく、第4の壁を超えて作品の中に入り込んでいる感覚は久々だった。

 

 そして何よりも、物語を読んで、純粋なワクワク・ドキドキを覚えたのだった。実際のところ、こうまで純な感情が湧き上がったのはいつぶりだろうか。物語の落ち着け方にあっと驚いたとか、展開の巧拙がどうとか、そういう要素要素の話もあれど、「すっごいワクワクしたな!」とそれこそ小学生のような感想を覚えたのは、この作品がまさに児童書だったからと言えるかもしれない。思い返せばたしかにそうだ。私はワクワクとドキドキに惹かれて、物語を求めるようになったのだった。

 

*1:とはいえそんなゴツゴツした内容でもなかったとはおぼろげながら思う