死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

『終わらない週末』を読んだ

『終わらない週末』を読んだ。以下、作中のネタバレを少しばかり含む。

 

 

 読む人によって評価が割れそう、という感想は多くの人が抱いているらしく、また実際に割れたそうで、その理由は解説でまさに解説されている。端的には、世界の謎が明らかにならない。何かが起こっていて、それが何であるのかが断片的に示唆されるが、直接的に説明はなされない。そのせいでモヤっとする。

 加えて言えば、本作は、通常なら起こりそうなパターンを少しずらし、結果として、読者が予想していた事態が生じないので、フラストレーションが溜まるのではないかと思った。例えば、別荘を借りて休暇を満喫中の主人公家族のもとを訪れた謎の来訪者は、謎でも何でもなく当該別荘の所有者夫婦であり、特段両者間で騒ぎが起こるわけでもない。近くの森に入って、危険な存在に遭遇しそうだなと思い読み進めると遭遇しない。ことが起こりそうで起こらない。その代わりに繰り広げられるのは、各登場人物の人間的なややこしい心情描写と、やけに生々しい身体的描写であり、肩透かしを食らってしまう。

 さらに言うと、私の場合には、本作のテーマを取り違えていたことも原因にある。そもそも「終わらない週末」と聞いてループモノを思い浮かべていた。しかし本作はループしない。原題の意味の取り方はよく分からないが、世界(で生じた出来事)から取り残されている(状況についての物語)と理解すると、そう外れていないと思われる。

 世界で何かが起こっている。最初は半信半疑で、自然災害か、はたまた戦争かと考えては、考えすぎだと否定する。外界から情報を得る手段がなく、しかし外界へ足を運ぶことも憚れる。意を決して赴くが、何も収穫がない。そうしているうちに、明確に認識できる異変が生じる。その異変の正体はやはりわからないのだが、身体にも影響が出始め、何もわからない中でありながら、何もしないわけにはいかなくなる。しかしながら、できることは少なく、したからといって解決する保証はない。

 謎解きがメインではなく、情報が遮断された状況において(それでいて何か大きな事件が起こっているのは事実らしいとして)人間は何ができるのか。できないのか。本作はその過程を描いた物語である。動かないことが最も安全であるように感じる一方、本当にそれでよいのか、いくらでも疑念が付きまとう。しかしながら、結局どちらがベターな選択なのかを「安全に」確かめるすべはなく、いざと動いて確かめられた時には、もはや危機から逃れらない状況に陥っているかもしれない(そうして言うまでもなく、何もしなくても死地に近づいている可能性がある)。ある種の極限状況において、一体どうすればよいのか。登場人物の行動にイライラしたり共感したりする。

 言い換えれば、それだけ読者の感情は動かされており、すなわち本作は面白い……と思うのだが、私を含め、多くの人はテーマ(または構成)を勘違いして読み始める・読み進めるようにも思われるので難しい。あらすじで、もう少し、どういった要素に焦点を当てた物語なのかについて言及すれば、多少はマシになるだろうか。

 雰囲気としては『10 クローバーフィールド・レーン』に近いかもしれない。ただし、ラストで答え合わせはない。敵国から新型兵器で攻撃を受けたのか。巨大ハリケーンによる影響か。宇宙人による攻撃か。世界(少なくともアメリカ国内)にパニックが生じているのは事実らしいが、分かるのはそこまでである。それは本作において本論ではなく、ゆえに明らかにされないのだろうが、そうだと知るのが読み終えた時なので、読み始めの心持ちとのギャップが困る。本作が提供するのは、そこまで含めた読書体験なのだと言われれば、そうなのかもしれない。