死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

俺にもゼルダを救えたよ

 

 俺にはゼルダを救えない。と、絶望に打ちひしがれたのは7月9日のことだった。主に土日の数時間を使い、ちまちまと進めてきたゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムであったが、オープンワールドゲーの宿命よろしく、このままでは今年中ずっとゼルダをプレイすることになる可能性が高まってきたため、とりあえずクリアをしておこうと決戦の地へ赴いたのである。その結果、敵軍勢との戦闘開始数分でマスターソードは力を失い、瘴気でぼろぼろになったハートはダメージに耐えきれず、ガノンドロフの姿を見ぬままにゲームオーバーとなってしまったのだった。

 これではゼルダを救えない。こういう時、レベルが物を言うゲームであれば、時間はかかれどレベリングで概ね解決するのだが、ゼルダはそうではない。いや、そのような要素もあるが、他にも素材を集めるとか、防具を強化するとか、もろもろやらなければならないことがある。もちろん、プレイヤーのスキルがあれば一足飛びに解決はするが、プレイヤーが私である以上そこは期待できないのである。

 時計を見れば日曜日も夜半にかかっており、このまま続けるかどうか考えあぐねていた。ここからどの程度準備に時間を要するだろう。一時間ぐらいですべてが終わるのであれば、月曜日の私を生贄にして、もう少し頑張れば解決する。きっとハイラルに平穏を取り戻せるだろう。しかし、たかだか一時間で終わる予感が全くせず、仕方なくこの日は戦略的撤退を選ぶこととなった。

(以下、作品のネタバレを大いに含む。)

 

 

 

 とはいえ、私が労働に勤しんでいる間も、ゼルダはつらい思いをしているに違いない。まったく、こんな作品であるとは思ってもみなかった。

 前作では100年間だったか。一人で厄災を抑え、リンクをひたすらに待っていた。自分の役目が何たるかに悩み続け、親の期待に応えられず、苦しんだ末にたどり着いた答えもまた苦しい。しかし、最後には救われた。リンクが来て、英傑とその末裔の力も借りて、ああよかったねと。荒れた王国の再建は課題であるとしても、平和になった世界で、リンクと一緒に力を合わせてこれから一つ一つを頑張っていく。そういう時間が来ると思っていた。

 クリア後の世界を旅させてほしい。これは私がゲームをする度に思うことだ。もちろん、そうできる作品もある。だからそのときは嬉しい。しかし、ブレワイはそうではなかった。ゼルダが助かった状態でゲームを終えることができない。それがティアキンによって救われるのではないかと思っていたのだった。作品の中でゼルダが当たり前のように存在している。ゼルダからクエストを受けられるとかね。そういう世界を勝手に想像していた。

 ゲーム開始直後、リンクと二人で探索をするゼルダを見て、私は非常に喜んだ。前作以降、こういう感じで色んなところに行ってたのかなと、想像が膨らんだからだ。血筋上の役目を果たして、自分本来の関心がある分野に戻り、平和な世を謳歌しているんだなと、いたく安心した(とはいえ首長なのでそんなことばかりやってるわけにもいけないだろうが)。

 しかしこの安心は直後に打ち砕かれることになる。

 

 

 

 ゼルダが過去の世界に飛んでしまったのは、演出からしてすぐに察せられた。こうなると、物語のバリエーションとしては色々あるものの、心配なのは、はたしてゼルダが今の世に戻ってこられるのかどうかである。

 この心配が現実化したのは、朽ちたマスターソードが転移した瞬間だった。マスターソードゼルダ世界の根幹を成すアイテムだ。ということは、必然的に、どうにかして完全体となってからリンクの手に戻ってくるはずである。問題はその方法だ。マスターソード自体が過去に飛んでしまった以上、時空を超えて戻ってくる必要があるわけだが、そこにゼルダはついてくるのか、あるいはどう関わってくるのか。リンク自身もまた過去に飛ぶといったことも考えられよう。そうしてゼルダと一緒に帰ってくる。これであれば幸せだ。私がね。

 しかし、この印象的なシーンを見て、私はある作品を思い出していた。このような演出に触れると必ず想起してしまう作品だ。2002年に放映されたテレビドラマ『ロング・ラブレター〜漂流教室〜』である。

 原作を含めてあまりにも有名なので説明するのも憚れるが、というよりもはっきりと覚えてはいないのだが、本作は突如高校が敷地ごと未来に転移してしまう、タイムスリップモノである。作中、未来に飛ばされた生徒の家族が、現代のホテルの一室の壁に穴を開け、そこに生徒ゆかりのアイテムを入れると、時を越えて未来に届くシーンがある。これを思い出すのである。

 ロング・ラブレターは、過去を変えることで未来も変わると思われる結末に一応なっていたはずだが、それはそれとして、結局誰かが未来に飛ばされる歴史は変えられないような気もして、つまるところゼルダが過去に取り残されたままになってしまうのではないか、と心配が募った。

 残念ながらこの心配はさらに悪化することとなる。

 

 

 

 龍の泪を集めていくと、過去のゼルダがどのような行く末を辿ったのかを垣間見ることができる。そこでは平和なやり取りもあったが、早々に雲行きが怪しくなっていく。

 どうやら「秘石を飲む」というアクションがあり、そうすると大きな力的な何かが得られる一方、その者自身は龍となってしまい、二度と人間に戻れないという。

 もう見事にきれいな「あっ…(察し)」である。もしかしてあの龍ですか!? もちろん、まだわからない。もしかしたらラウルがガノンドロフとの死闘の末、秘石を飲んでしまうのかもしれない。しかし、マスターソードを復活させなければならないとの事実が私に語りかけてくる。「ゼルダが秘石を飲むんじゃないの?」。ああ、そんなわけない。またもやゼルダにそのような重荷を背負わせるというのか。ひどいじゃないか。ラウルよ、ガノンドルフを自分の目の届くところにおいてはいけないんだ。それは慢心というものだ。

 心配しながら、そして半ば諦めながらストーリーを進めると、悪い予感は確信へと変わった。ゼルダは龍になってしまった。その姿で今も上空を飛んでいる。一体何年間だ? 厄災の時の比ではないだろう。ラウルとソニアの治世がもはや神話になっているのだから。そのような途方もない時間の間、ゼルダはまたもや一人で戦っていたというのか。それはあまりにも、あまりではないか。

 マスターソードを引き抜いたら、元の姿に戻るのではないか。淡い期待を抱いて剣を手にしたものの、その願望はいともたやすく打ち砕かれた。白龍は白龍のまま変わらない。この時、問題は、ゼルダを過去から救えるかではなく、ゼルダを元の姿に戻せるかに移り変わっていた。

 

 

 

 そういうわけで、私は単に次のゲームに歩を進めるためだけではなく、ゼルダを救うためにこの作品をクリアしなければならなかった。3連休の一日を使い、それなりに万全の準備を整え、ハイラルの盾を失いつつも、ついにガノンドルフを討ち取ったのだった。

 これで終わりかと思いきや、ガノンドルフまで秘石を飲みだし、よもや龍対龍の大決戦を行うのかとハラハラしたところ、半分正解で半分間違っていた。ともあれ、白龍の献身的な援護のおかげもあって、私は危なげなく黒龍を倒した。さあゼルダはどうなるんだ。

 

 

 

 白龍と化したゼルダを初めて見た時、私は非常に悲しく思うとともに、若干の恐怖を感じた。それは龍の眼のせいである。龍の眼はサイケデリックな色合いで、正気が感じられないのである。まるでゼルダがもう人間には戻れないのだと強く示しているようで、見ていられなかった。

 しかし、眼を閉じた白龍はとても美しく、そこにゼルダの面影を感じられすらした。当たり前ではある。白龍はゼルダなのだから。そういうわけで、もう私は安心していた。ゼルダは必ず戻ってくる。

 

 

 

 空を落ちていくゼルダを追いかけながら、私は本作をプレイし始めた頃を思い出していた。空に飛び込み落下すると、どこからともなく聞こえてくるテーマ曲。現れるタイトル。物語始まる高揚感。眼の前には新たな世界が広がっていた。

 翻って今、始まりをなぞった展開ながら、視界にあるのはゼルダだけだ。ここが物語の終着点なのだろう。私は必死に彼女を追いかけて、手を伸ばした。あの時届かなかった手が、今度は届いた。

 話したいことがいっぱいある。そう微笑むゼルダを見て、私は心底よかったなと、涙を流した。かくして、私はゼルダを救えたのだった。

 

 

 

 結局のところ、ゼルダは二作を通じてどれほどの期間、その想いを紡いできたのだろうか。そこは明らかにせずともいいように思う。変に明確にするよりも、漠然と「途方もない」としたほうが、ゼルダに寄り添える気がするからである。

 ブレワイのときも言われていた覚えがあるが、ティアキンもまた、ゼルダの物語だったと思う。この作品は紛れもなく『ゼルダの伝説』である。これだけ頑張ったんだから、どうか彼女に幸せであってほしい。ところで、後日談のDLCとか出していただいても一向にかまわないですよ……任天堂さん……。でもできればその際には、今度こそ平和なハイラルを……ぜひとも……。