死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

春春春冬(三寒四温)

 臥龍桜を背に「いいえ、もう春です」と口にしたのは千反田えるだが、あれから10年が経とうというのに、えるは私のところにやってこない。ほうたるもいない。しかし春は来る。必ずやってくる。春は誰に対しても平等なのだ。

 いつものようにエアコンを点け、足元をブランケットで包んでいると、直に汗が額に滲み出した。いつの間にか、設定温度を高くしていたのか。そう思ってリモコンを見ると、いつもと変わらない値が並んでいる。

 天気予報を見てみれば、今日の気温は十数度。窓を開けると、涼し気な風が入ってきた。冷たいけれど、寒くはない。そうか、春が来たのか。もう来たのか。2月は春の季節なのか。ポカポカ陽気に誘われて今日こそあの娘に打ち明けてしまうのか。もとい、立春を過ぎているのだから暦の上では春である。

 風になびくカーテンを見て、高揚感を覚えた私は散歩に行くことにした。暖かい日には体を動かさないと損である。少なく見積もっても、寒い日の3.5倍の価値がある。

 熱いと寒いの端境ほど心地よいものはない。要するにそれは暖かいということなのであるが、ちょっと運動したら汗をかくぐらいの気候が人間には丁度よい。嘘である。主語が大きすぎた。私にとっては、それが丁度よい。

 歩き始めて5分もしないうちに、汗が背中をつたい始めた。これだこれだこれなのだ。考えるよりも先に足が動き出す。歩いてなんかいられるか。軽い軽い体が軽い。地面を蹴り出し、前方に飛ぶ。こんなにも足は回転するものであったか。ない筋肉がないなりに躍動している。レッドブルがなくても、人は空を飛べるのである。

 走れば走るほど、心の底から全能感が湧いてくる。今の私は何でもできる。世界だって救えてしまうかも。そんな気持ちにさせているのは何だ。言わずもがな、春である。これが春の力なのだ。春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外の面に草に日の入る夕。言わずもがな、これは今の私の感情と何の関係もない歌だが、それが唐突に記憶の彼方から飛び出してくるぐらい、春の存在は強大なのだ。春は化け物なのだ、などと面白くない言葉遊びをしてしまうのも春だからだ。

 ああ春よ、もうどこにも行かないでくれ。寂しさで胸が張り裂けそうになってしまうから。と、出来の悪い短歌のような感情を抱きつつ走り終えた私は、シャワーで汗を流し、さっぱりした面持ちで来週の天気予報を見て、「三寒四温」の四文字を心から憎むのであった。