死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

おはスタで聞こえるスタッフの笑い声が好きだったな

 朝食を食べながら珍しくテレビを点け、民放の情報番組を見ていた。一言で言えば騒がしい。一つ一つが大げさだ。変に深刻なBGMを付けるんじゃあない。変に明るいBGMを付けるんじゃあない。視聴者からの投稿です「芸能人は自分のことを人見知りだとよく言いますが信じられません。本当なのでしょうか。」何だそれは。朝の6時台から公共の電波で究明すべきことなのか。せめて15時台のほっこりしてそうな時間帯でやりなさい。

 と、ひとしきり文句を言ったのち、仕事に向かいながら思い出していたのは在りし日のおはスタである。元気いっぱいだったなあ。これは記憶の中のおはスタなのかもしれないが、テンションは高かったでしょう。だって怪人ゾナーがパラパラを踊って真剣になぞなぞを出していたもの。でも卒業シーズンになると「サヨナラのかわりに」が流れ出すんだよ。別に感動するってわけでもない。見知らぬ小学生に関するあれこれを見たところで、自分も同じく小学生だし、ああそんな人もいるのねとすら思わなかったかもしれない。他にも色々小学校というものがあるんだなあ、と世界の広さに感動してはいたかも。そんなこともないか。

 子供ながらに歳を重ねていくと、日常的に見るテレビ番組も増えていった。ゴールデン帯のバラエティとおはスタを比較して何でだろうと思っていたことがあった。どうしておはスタからはスタッフの笑い声が聞こえてこないのだろう。

 実際はどうだったのかしら。そもそも生放送だし他のバラエティとは勝手が違うか。あるいは私が演者に夢中だっただけかもしれない。一方で、それぐらい演者以外の存在が意識されない番組だったようにも思う。でもセットと反対側を映していたりはしていたっけな。

 ともあれ、笑い声が聞こえなかったんだよ。スタッフのね。でも、全くないわけでもなかった。たまーに聞こえることがあった。それはアクシデント的なものなのか、山ちゃんが意図的にアドリブをかまして笑いを取りに行ったのか。多分に後者な気もするが、そこで聞こえてくる笑い声が好きだったんだ。とってもレア感があってね。それに加えて、世界の境界を見れた気になれるところもあったんじゃないか。おはスタもある種の幻想空間ではあったのだろう。テレビ番組てなもんはみんなそうか。そこから一瞬世界が降りてくる。現実の方に降りてくる。そのきっかけがスタッフ笑い声なのかもね。

 猛烈に記憶しているおはスタのワンシーンがある。これも作られた記憶かもしれない。けれど、いちいちそうやって言うのもつまらないね。ここは放言しよう。猛烈に記憶しているおはスタのワンシーンがある。KANA(もう可名だったかもね)という青髪の宇宙人がいた。彼女が真顔で浜崎あゆみの声真似をして、「あゆです。魚です」と言い放った。そこでスタッフの笑い声が起きた。

 これだけの一幕である。でも、これだけが私の記憶に刻まれている。ということはきっと、なにか意味があるのだろう。あの時あの日の思い出は明日に強くなるためらしいから。