死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

あなたのわたしの理想的なVRライブ映像コンテンツ

 言うだけならタダって寸法よ!

主旨

 

問題意識

 ライブに行くようになって、(いつだったかは忘れたが)世の中にはどういうVRコンテンツがあるのかが気になって調べたことがあった。少なくともその時点においては、カメラの位置をステージ上、または客席最前とステージの間に固定し、360度を見渡せるようにしているものが多かったように思う。目の前に演者がいる。あるいは、演者たちのパフォーマンスを(さもステージ裏から眺めるように)後ろから眺める。つまりは、通常であれば絶対に見られない位置からライブを観覧できるわけだから、その意味では価値のあるコンテンツだと言えるだろう。しかし違和感があった。この光景を見ている私は何者なんだ? こんな特別さを用意しなくともいいのではと思ったのだった。

 人はどうしてライブに行くのだろうか。ここで言うライブとは、別にバンドやアイドルのそれに限らない。演劇・ミュージカル・マジックショー・落語・スポーツ観戦…何だっていい。どうしてわざわざ現場に足を運ぼうとするのか。その場自体に価値を見出しているからだ。同じものを見に行っているけれどその理由は様々で、そしてそんな様々な人達が一箇所に集まっていて、色々な感情がない混ぜになって(時には歪な)一体感が生じる。そして自分もまたそんな場に身を置いているとの感覚。そういうものが楽しくて、ついつい足を運んでしまうのではないだろうか。

 

 抽象的になってしまったので、最近まで個人的に近しかった声優ライブを例にもう少し実際的な話をしたい。繰り返しになるが、ライブに足を運ぶ目的は様々で、かつ混合されたものである。

 例えば自分の推しを近くで見たい。単純かつ最も多そうな理由である。とにかくステージ近くで推しを見られれば幸せ。後方席や二階席は論外。最前こそ至高。もちろんこれは否定されるものではない。

 一方で、近視眼的ではなく「ステージ全体を視野に収めたい」という人もいるだろう。もとい、私がそうだった。私が追いかけていた声優ユニットは、7人組で曲中にめくるめく動き回るフォーメーションダンスを展開していた。ステージ上手から下手に移動するダイナミックな動きなどは、そこそこステージから距離のある席でないと、最大限に楽しむことができなかったのである。

 近くでないと分からないことは多い。演者の表情やちょっとした仕草。こういった要素をじっくりと見たい気持ちはある。反対に、遠くでないと分からないことも多い。言い換えれば、ライブというコンテンツを、演者中心に見るか、ステージ一体として見るかの違いと表現できるかもしれない。そして、割合的には前者と後者にそう偏りはないのではないか。あるいは、それこそ混在している人が多いのではないか、というのが個人的な所感である。

 

 すなわち、「普段見ているライブの風景をVRでも見れないか」と思えてくる。ということで話が戻るが、「自分が客席に座っている(座席位置で立っている)かのような視点で楽しめるライブVR配信があれば…」と私は思う。(言うまでもなく最前なんてめったに取れるもんじゃない)

 周囲に自分以外の人影がある。ステージの高低差を認識できる。2階から観客のブレードワークを見る。これらはパブリックビューイングやBD鑑賞ではなかなか回収できない要素だ。

 

 さらに言えば、録画映像ではなくリアルタイム配信はできないか。 VRで時間的な体験も共有するのである。現地に赴けないファンも話題に乗り遅れることがなくなり、また交通費・宿泊費等もろもろから参加を諦めていた場合のニーズを拾う施策になりうる。少なくとも(いくらになるかは分からないが)ライブのチケット代は払ってもらえるということだ。

 

 この需要はコロナ禍において高まるのではないか。そして、コロナ禍であるからこそ、取りうる選択肢の一つになるのではないか。例えば、他者との距離を確保するために座席数を減らすのであれば、その減らしたところに360°カメラを置こう。空けた座席の全てをカメラで埋める必要はない。散らした数席でよく、そしてその映像をリアルタイムあるいは録画で配信するというのはどうか。顧客は用意された数席の中から、自分の望む席の配信チケットを購入し視聴する。実観客に加えて配信客分のチケット料も回収できる。(加えて言えば、無観客配信であってもカメラは客席に置いてはくれまいか)

 

 もともと、VRライブコンテンツは、現場があることを前提に作られていたもののように思われる。つまり、現場感を味わいたければ現場に行けばよい。VRは現場ではなかなか味わえないような付加価値を着けて展開しよう。このような考え方である。それ自体はいたって正しいように思われる。

 しかし、今となっては「現場感」そのものが付加価値になったと言えるだろう。そしてコロナ以前にも、その現場感を味わうことが難しかった層はいたはずである。何も特別なことは要らない。ただ会場に自分がいるような、いつもの感じを味わえればそれが大きな魅力になるのではないだろうか。

 

 そして、オタ活自体が一種のコミュニティ形成になっている現状においては、どこまでいってもVRが現場を完全に代替することは(今のところ)ないだろう。ライブのあとの打ち上げを楽しみに足を運んでいる人だっているはずだし、「遠征してこそ」という人もいる。ライブそのものはもとより、ライブに付随するあらゆる体験を楽しむ姿勢は全く否定されるものではないし、私個人としても心から同意するところである。一方で、ライブさえ見られればそれでいい人もいるだろう。その意味で需要の食い合いはないと思われる。

 

そんな理想的なコンテンツはあるのか

 ここまで書いて何だが、もう世の中にあるような気がする。

 とりあえずデレマスとミクさんの派生作品には、「これが現実の映像でもできれば…」という意味で可能性を感じていた。(過去の記憶)

youtu.be

youtu.be

 

 ステージの高低差を感じられるのが、「現実感」を得るための一つの大きな要素かもと思う。(ステージ上と客席との断絶性(?)が必要なのでは)

 

最近のVRライブ映像はどうなのか

 調べてみましょう。「VR ライブ映像 配信」で検索検索。

 

www.bcnretail.com

→「最前列」じゃなくてええねん。むしろ後ろに行ってほしいねん

 

livr.jp

→実際どんな映像なのかは分からないが、イメージ図通り「外野席からの映像」みたいな感じなら(ジャンルは違うが)とても理想的

 

realive360.jp

→アングルいっぱいありそうだけど後方はどうなんでしょう

 

 どこかにはあるかもしれない🧐

 

ネックになりそうな要素

コスト

 撮影機器代や配信機器代それらに付随する人件費等もろもろ加えるとコスト回収困難では

 

インフラ設備

 録画配信はまだしも、(そこそこの単位になるであろう回線数の)VR動画リアルタイム配信なんて現代通信インフラで対応できるのか(5Gがそこらへん頑張ってくれるの?)

 

音響

 映像はいいとして

 

他観客の肖像権

 映像ソフトによってはがっちり観客の容貌写り込んでる場合があるけど、ああいうのってどういう整理なんだろう。(「本公演は録画されています」との事前通知で全員から承諾を得られているというたてつけか?)

 VRだと個別の観客を延々見つめることもできてしまうので、また通常の映像ソフトとは別の手当が必要?

 

需要

 こんな需要はそもそもないかもしれない(元も子もない話

 

 

余談

 繰り返しになるが、「客席からの視点で」というのはいわゆるライブに限った容貌ではない。一度演劇を見に行った時、特にその作品が観客に対して静寂を求める内容だったこともあるのだが、数時間ぶっ通しで「音を出さないように…」との緊張感を持って時間を過ごすこととなり、端的には疲れた(内容はとても面白かったのよ)。特に私の場合、発作的に咳が出ることがあるので、気が気でなかったのである。というような敷居の高さでもって現場に足を運びにくいと感じている人もいるかもしれないが、そういう層を掬う手立てにもなるのではないか。あと落語は客席から見ると映像で見るのよりは5割増しぐらいで面白くなる(私見)。