死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

4月に読んだ本など

 

 4月……ですか? いや、今年は顔を見てませんが……。彼女に何かあったんですか?

 

 

【4月に読んだ本】

メタバース×ビジネス革命 物質と時間から解放された世界での生存戦略

 数えて3,4冊メタバース関連の書籍を読んだ。何かを知りたいときは、関連する本を数冊読み通すとよいらしいが、それは実際そうである。

 課題としてあげられている事項は書籍間で共通しており、現実世界をメインに生きている人々を連れてこられるだけのコンテンツがあるのか(できるのか)に加えて、ハード的な側面にも常に言及されている。大量のNPCを同時に表示するマシンパワーも、通信インフラも現時点では十分でない。

 あとは統一的なメタバースが作られうるか、もよく聞く。A社のメタバースで使用しているアバターやアイテムを、B社のメタバースで使用できるか(そもそも「○社のメタバース」って何だよ)。言い換えれば、どの世界でも同じ自分として活動ができるか。3Dモデルの統一規格が作られていくにしても、全くデザインの違うモデルが共存できるのは、統一感を必要としない世界だけなのではないか。それは結局どのようなコンテンツなのだろう。マストドンやミスキーのようなものだろうか。ここの想像が私には難しい。ところで、ロックマンエグゼのインターネット世界はメタバースと言えるのだろうか。

 その場に行かなければ体験できない、といった物事を解放してくれるのではないか。もともと私がメタバースに抱いた期待はそういうものだ。端的に言えばライブのたぐいである。我々はいつまでチケットが取れないだの、ホテルが高いだの、休みが取れないだのと言わなければならないのか。ただ、それで回る経済もあるのだよなと今となっては思うところもある。

 先日TVを見ていたら、GLAYの20万人ライブの映像が流れていたが、これを電脳空間でやろうとするのは今のところ非現実的だ。さらに言えば、そもそも電脳空間でやる必要はあるのか、ということもある。むしろ問題の所在はやっぱり後者なのだろう。

 

私小説

 意図せずして金原ひとみ作品に触れる機会がある。この前は『文学2022』を読んだ時で、『ハジケテマザレ』が収録されていた。よくよく考えなくとも、それが初めての金原作品だった。蛇にピアスのイメージしかなかった(しかも読んだことはなく「舌にピアスを開けている人が出てくるんだろうな」という適当な印象しかなかった)私にとっては嬉しい驚きだった。めっちゃ面白いやん……。会話のリズムが小気味よく、つい耳を傾けてしまうような。登場人物のやっていることはギャング的なのだが、まあこういうことがあってもいいよねと、納得してしまう。何よりも、登場人物の声が聞こえてくるのだ。という経験を経ての『ウィーウァームス』だったわけだが、独特なすれ違いの感覚がムズムズする。自分が深く考えすぎなのか、それとも相手が何も考えていなさすぎなのか。実際のところは、思考の矛先が根本的に異なるだけなのであって、それに対して「どうしてそうなるの」とイライラするのも勝手な態度なのだろう。

 

走馬灯交差点

 面白かった……のだが、設定が個人的に地雷だった。こういうこともある。手間に感じても、あらすじを調べてから読みましょう。人格転移はあきません……あきませんの……。でも読み切りました。

 

ぼぎわんが、来る

 いつかのフェアで購入し積んでいたもの。積んでいたら映画化されていた。それでも読まずにいたのはただの怠慢である。

 映画化される前に読んでいたら、頭に浮かぶのは柴田理恵の姿ではなかったのだろうか。今となっては柴田理恵以外ではありえない。文字で読んでも柴田理恵である。

 ホラー小説にはミステリ的な側面があるとはこれまたよく言われることだが、謎解きの流れが軽妙で良かった。読んでいてなんか変だなと感じていた部分が、しっかりと後で回収される。意図された違和感は気持ちがよい。

 しかし、どうして違和感を覚えるのか。これは考えるとなかなか難しい気がする。意図的に違和感を呼び起こさせるとは、つまりどういうことなのか。秀樹パートを読んで覚えたのは、違和感というかは単にいけ好かない感情かもしれないが、何かこの人は認知が歪んでそうだなあと思うわけだ。思うわけなのだが、それはなぜだろう。読み返すのが怖いので、この謎は永遠に解かれない。

 

ずうのめ人形

 調子に乗って、ぼぎわんの流れで読んだ。ぼぎわんの後だと、何があっても最終的には比嘉の姉ちゃんが解決してくれるだろう、といった安心感がある。しかしその安心感が役に立つとは限らない。

 ぼぎわんでも思ったが、感じが悪い人間を感じ悪く書き表すのがとてもよいし、感じの悪い人間がしっかり痛い目に遭うので後味がよい。でも作品としては後味が悪くてよい。

 これも信頼できない語り手と言ってよいのか。ぼぎわんよりも、歪みを感じやすかった。それがヒントというものなのかもしれない。自分だったら、の仮定であるのかも。つまり、自分が同じ場面にいたとしたら、またはその場面を近くで見ていたとしたら、そのような感想にはならないだろう、といった具合である。この登場人物が得た(ている)実感・感想はどこかおかしい。そして、謎が紐解かれた時に、やっぱりそうだったんだと思えるのが、よくできた物語だと言えるのか。

 

 

予言の島

 調子に乗って、ずうのめの流れで読んだ。祟りか人間か、と考えて、手品か魔法か、を思い出した。うみねこって古き良きテーマだったんですね。

 さておき、本作も冒頭から違和感が散りばめられている。しかし、それが違和感だったとわかるのは、やっぱり読み終えた後になるのである。変な文章だなとか、何でここだけ妙な表現になっているんだろうとか、そういう感触を得ても、そういうものだとして読み進めてしまう。きっとこれも作家の個性の範疇だろう、といった具合である。これは伏線ではないか……? と疑いかかって何の伏線でもなかった時の肩透かし感も避けたいが、これでは何も考えずに読んでいるに等しく、我ながら単に物語を消費してしまっているように感じた。引っかかる部分があっても、ある種自分を納得させて、読み進める方を優先している自分がいる。これは資格勉強ではセオリー的行動かもしれないが、小説を読むには適さない。

 

【4月にプレイしたゲーム】

Ghostwire: Tokyo

 面白かった。現代日本の街並みを歩くのは楽しい。ただ、道が入り組んだり、バイパスで高低差があったりするのはゲーム的には良し悪しなのだろうか。スキルを得て簡単に屋上間の移動ができるようになるまでは、動線が分かりにくく迷うこともあった。さっさとこれらのスキルを取ったほうがよい。

 戦闘は単調な部分もあるが、しっかりガードしながら攻撃を叩き込むリズムは楽しかった。どのエーテルをどういうふうに使うのが正解なのか未だによくわからないが、水か火の範囲攻撃でまとめて削った後に、個別には風を打ち込んでいく。初期は敵が固く感じられるが、各スキルを強化するとバランスが良くなってくる。ただ、その強化のためには経験値を集める必要があり、方法の一つが幽霊の転送になる。転送の前には式への吸収が必要で、その速度もまたスキル強化により向上するのだが、ここは最初から速くしておいてくれてもという気はした。加えて、印を結ばないと吸収できない霊も出てくるが、これが途中から煩わしくなってしまった。総じて、パッシブスキルで補う部分を、最初からもう少し上積みしておいてもらっても良かったのかなと感じた。

 あとは世界観的に仕方がないのだが、NPCが(多分)皆幽霊であり、寂しかった。ゲーム内であっても、生きている人間がいないとこういう感覚になるのだなあ。

 

TACOMA

 面白かった。同スタジオが制作したGone Homeをプレイしたことがあったので気になって積んでいたもの。Gone Homeが面白かったかどうかと言えば、私には合わなかった。原因はストーリーに対する期待の方向性で、伝奇的ミステリ的なアレだと思っていたらそうではなかったのが大きい。かといってフィンチ家みたいな内容だったとして、それはそれで戸惑うが、いずれにしてもあらすじはちゃんと読みましょう。いや、Gone Homeに関しては読んでもわからないか……? 

 うにゃうにゃ言いつつ、Gone Homeも演出や雰囲気は好きだったので、舞台が宇宙船というなら多分大丈夫だろうと、またあらすじを読まずにプレイした。パズルもなく、さくさくと物語を進められて良い。思ったほど不穏さはなく、落ち着くべきところに落ち着いて良い。エンディングでニッコリ。

 

 

The Complex

 面白かった。何ヶ月かに1回、実写のインタラクティブゲームがプレイしたくなる。映画版もあるらしく、評価があまりよろしくないのだが、たしかにストーリー単体で見るとそうかもしれない。そこはゲーム性によってカバーされている部分と言え、そうするとゲームとしてあるべき形を示しているのかもしれない。ストーリーが良いゲームというのはそれだけで素晴らしい存在だが、はたしてそれが良いゲームなのかと問われると必ずしもそうではない。別にゲームの形式で表現しなくてもよい可能性だってある。その点、本作はゲームで良かったということだろう。

 

AI:ソムニウムファイル ニルヴァーナ イニシアチブ

 とても面白かった。5月9日まで前作も含めてSteamその他でセール中である。買いましょう。ついでにZERO ESCAPEシリーズも買いましょう。

 冒頭から「前作の犯人を知っていますか」と聞かれ、しかし「前作と今作の事件は関係ありません」とも言われ、この時点で揺さぶりをかけられる。本当に関係ないんですか。しかし私は無垢で善良なゲームプレイヤーなので、疑わずにプレイした。

 思えば、本作も小さな違和感の積み重ねである。何かおかしいなと。おかしいのはストーリーが破綻してしまっているからなのかなと。だめじゃないかそんなもんを売り物しちゃあと思っていると、最終的にそれらの違和感が答えに結実していく。気持ちが良い。結末を見て降り出しに戻るワクワク感は何にも代えがたい。

 元も子もない気もするが、本作の良いゲーム体験に、早送り機能は大きく寄与しているように思った(それこそZERO ESCAPEもそうだったっけ)。画面を見ていて面白い訳ではなく、演出も鈍重だからだ。相変わらずQTEに爽快感はない。ダンスはクドい。キャラクターの外観はみな魅力に溢れているが、モデルが精巧なわけではない。動きは硬いし、フォトリアルでないのはもちろん、原神のようにトゥーン側に振れた綺麗さもない。しかし、早送りによって、そういったイライラを我慢する必要がない。

 ビジュアル的な魅力ならば、メッセージウインドウ横のキャラクターイラストと声優の演技で十分に事足りている(声はビジュアルではなかろうが)。悪ノリでもいやらしくなく、ついつい笑ってしまう。そして相変わらず黒沢ともよの演技が非常に良い。気持ちが昂ぶっているときもそうだが、みずきのちょっとした一言にうなり続けることとなる。

 

Pineapple on pizza

 あなたに時間があるならプレイした方が良いが、あなたに時間がないのならプレイしなくても良い。

 

 

【その他】

知的財産管理技能検定

 無事2級に合格した。合格率を見ると今回は50%ぐらい? 易化してる? かは措いといて、なおのこと落ちなくて良かったね。少し準備すれば取れる資格を取る必要があるのか、との意見もあろうが、少し準備すれば取れる資格なら取っておいたらええやんの心持ちである。

 3級までの区分がある資格は、概ね1級から難易度が跳ね上がる印象がある。本検定もそうである。1級と一口で言っても3分野に分かれるのだが、どれも難しい(合格率的に)。そもそも問題集等がないのが致命的である。門外漢ではなく、実際に実務の場に身を置いている人を対象にしているのだろう。なので1級を受けることは、残念ながらないと思われる。

 ともあれ、この合格をもって、昨年度に立てた資格関係の目標は無事に全て達成された。よかったよかった。今年度もできるだけ取れるものは取っていこうと思う。なにかの足しにはなるだろう。

 

Speakという英語学習アプリ

 ChatGPTを活用したアプリとの触れ込みで取り上げられた際に課金したものの特に取り組むことなく1ヶ月が過ぎたのであらためて向き合ったもの。今のところは初級編ということで、特定の場面設定のもとでのロールプレイが中心。飲食店の客になったりスポーツショップの客になったりしている。

 さすがにAIくんの頭はよく、文法が壊滅的に破綻していたり、使用する単語を誤ったりしていなければ、こちらの言わんとすることを汲んで対応してくれる。super 慮りpersonである。日本人の英語発音を聞き取ってくれて、かつ非ネイティブの言いがちな表現(Aと表現したいがためにA’のように少しずれた英語を使う)を理解してくれるので、いわば何年もステイ先として留学生を受け入れてきた人のような安心感がある。逆に、AIくんにこちらの意図が伝わらなかった時は、よっぽどおかしい英語を発したんだなと気付く。すみません。

 使い始めの頃は、文章をひねり出すのに大層時間をかけてしまっていたが、このアプリの使い方としてはおそらく正しくない。そう気づいてからは、多少無茶苦茶でも、とりあえず文章を作る努力をして言葉を発するようにしている。AIくんは健気にもこちらの意図を掬ってくれている。それで英語を喋っている実感は沸くのだが、上達しているかは定かでない。この練習で英語マインドなるものを多少形成して、人間相手の英会話教室に進むのが良い気もする。

 英語で話そうとしてひしひしと感じるのは、そもそも会話とはなにかということだ。AIとの会話は、基本的にラリー形式で行われる。当たり前じゃないか、と思うかもしれない。しかし、私の場合、日常会話において、そこにラリーが発生していると意識することはないのである。決して、どちらかが一方的に言いたいことを言っているわけではない。それは無意識か意識的なのかの違いだろうか。母国語であれば、会話は無意識的に行われている? それが非母国語になると、全ての受け答えが意識的になる? 全く言語化できていないが、現在進行系で面白いなと感じている。

 

本棚を空ける/UNISON SQUARE GARDEN

 一時期は800冊程度あった蔵書(と書くとかっこいいですね)も減らしに減らして今や200冊に行くか行かないか。その過程でついでに本棚も捨てた結果として、本を置くスペースが足りない。

 冊数を減らしたのは、あまりに死蔵されている感が強かったためであり、結果すっきりしたので減らしたこと自体は正解だが、しかしなかなかやりくりが難しい。そうして、連休に応じて改めて本棚を見ると、陳列の汚さが目についたため、整理したら1.5段ほど本棚が空いた。4S活動は私生活でも重要である。

 スペースが限られるので、読み返すだろう本だけを残すこととしている。それもあって漫画や小説は電子書籍に切り替えたのだが、すぐに手放すのなら普通に書籍版で買ったほうが色々と賢い気もする。しかし今更だろう。

 

「風邪引いた時に見る夢」を見たことがない

 単なる悪夢でもないんだよな

 

VTuberのオリジナル曲とキャラソンの違い(後で書くかも)

 キャラクターと称される存在が一体何なのか、から考えなければならない。