調べてみると、アニメ版ブリーチOPとしてのアスタリスクを聞こうとするなら、それこそブリーチのOPを見るしかないらしい。アスタリスクはOP版の方が格好良くて好きだ。公に聞ける手段がないのは残念である。
TVカットとフル版が異なるのは、珍しい事象ではないものの、アスタリスクの場合は曲のコンセプトそのものに違いが生まれているように思う。もちろんこれは適当な感想である。
OP版のどこが好きかと言えば、余白があるところだと思う。多少具体的に言おうとすると、つまるところフル版との対比になるだけな気もするが、まずもって曲の始まりが良い。「見上げた夜空の星達の光」と2回言うあの部分。ぽかっとした空白が生まれる。そして、合間に挟まる寂しげなギターの音。スタートから余韻が残るとはどういうことだろう。夏というかは冬なんだろうな。白い息を吐きながら、夜空を見上げる情景が思い浮かぶ。
フル版だと、ここがギュッと詰まった格好になる。シンプルにサビを頭に持ってきた構成と言えるだろうか。元気よく、盛り上がりはある。でも、余韻は薄くなっている。あと後ろでなんかピコピコ鳴ってる。
サビに入る直前の「栄光の光はこの向こうに」の部分は、OP版だと低音ボイスのRYOが単独で担当しているが、フル版だとYAMATOとのユニゾンになる。YAMATOが魅力的な高音を持っているのに疑いようはないが、彼が歌うと相対的に前向き・上向きのイメージになり、OP版の持つダウナーさは薄くなる。あわせて言えば、サビにつながるギターのメロディも、イントロに合わせて上がり調子になっている。
まとめれば、フル版のアスタリスクはOP版と比べて元気が良い。その影響でOP版にあった余白も小さくなっている。一方で、OP版は盛り上がりに欠ける、と言うことができるかもしれない。だから、最終的にフル版の形になったのかな、と思わなくもない。
といろいろ言いつつ、アスタリスクはOP版の方が好きだ。格好良いから。しかし、そう思うのは、きっとブリーチのOP映像がそもそも格好良いからでもあるだろう。アジカンの『遥か彼方』が、NARUTOのOP映像の印象と相まって、今でも度を超えて(?)格好良く聞こえるのと同じだ。
いや~疾走感が気持ち良い。音ハメって言うんですかね。音楽と映像で一つの作品になっている。サビ前のシンバル(?)の音、当時あの金属音は映像どおりクナイがぶつかり合う音だと思っていた。
そういえば、当時、ハルモニアを好きだと言いにくい雰囲気があったな。その原因もまた、ED映像だったように思う。サクラといのが織りなす可愛らしい雰囲気を、思春期真っ只中の男子中学生は真正面から受け止めることはできなかったのだろう。言い換えれば、曲だけにその原因があったのではなく、むしろ映像、またはそれらを1つの作品として見た時の印象が、何かを思いとどまらせた。それほど映像の持つ影響力は強く、記憶と固く結びついて、当時の経験とともに、忘れられない思い出になるのだろう。
それにしても、公式が動画をアップしてくれるというのは、視聴者からすると良い時代になったものだな。そう思いYoutubeを巡っていると、時間もかからず、ぼっち・ざ・ろっく!の動画に行き着いた。
我ながらあらゆる感覚がアップデートされていないと思うのだが、録画した涼宮ハルヒのライブアライブを、God Knows...の映像を延々見返していた時代を思い返した。あの頃我が家ではまだVHSデッキが現役でさ、サンテレビか京都テレビだったかは忘れたけれど、深夜の放送を録画したテープを、文字通り巻き戻して見たんだよ。15型ぐらいの、ちっちゃいブラウン管に映してさ。ともあれ、それと同じことを、今の視聴者もやっているんだろうな。方法は違えど。と、ぼっちちゃんが鳴らした靴のグリップ音を延々と聞き返しながら、KURIKINTON FOXの演奏する姿を思い出しつつ、懐古主義に浸ったのだった。こういうときは、Lost my musicでも歌いにカラオケへ行くのが良い。