死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

物語を読むときに頭に浮かぶのは二次元か否か

 活字媒体で物語を読むときには頭の中でその場面場面を想像するわけだが、私の場合その映像はアニメ・漫画調で描かれる。実写ではない。ラノベのように表紙絵と挿絵があるタイプは言わずもがな。メディアワークス文庫のように表紙絵だけがあるタイプも同じ。そしてイラストがないタイプの作品も同様である。

 

 最近『ピグマリオン』(光文社古典新訳文庫版)を読んだ。ド嬢読者なのだからドショーにも触れてみようぐらいの動機である。ちなみにミュージカル版も『マイ・フェア・レディ』も見たことはない。

 ピグマリオンは戯曲であるから、人間によって演じられることを前提に作られた作品だと言えるだろう。しかし読み進める私の頭に浮かんでいたのは実写の風景ではなく、アニメ調のそれだった。キャラクタ化(という表現も曖昧だが)したイライザが「うぇぇぇぇぇぇ」と叫んでいた。(この叫び声が実際どのような表現なのかは気になる。)

 もし本作を読んだのがミュージカル版を鑑賞した後だったとしたらどうだったか。そのミュージカルの模様がそのまま頭に浮かんだに違いない。表紙絵等がある場合と同様にで、何かその作品に紐づくイメージがあればそれに引っ張られるのは当たり前と言える。古典部シリーズもそうだった。『氷菓』を見てから原作を読んだので、『いまさら翼といわれても』に至るまで、その情景はすべて氷菓的な何かになっている。また私は探偵ガリレオシリーズを読んだことはなく、ドラマ版を見たこともないが、福山雅治が演じていたことは知っている。だから、今原作を読めばきっと頭の中では福山雅治が喋ることになるだろう。事前に視覚的情報がない場合、私は二次元に寄りやすいということなろう。

 

 新書でも専門書でも何でもよいが、物語ではない活字の場合はどうか。これは実写になる。実写と言っても想像上の映像であることに違いはないが、ともあれ頭の中に登場するのはアニメ調のもろもろではない。

 ジャンルを細分化していくと、どうも創作の要素が含まれていると判断したものは2次元で、そうでないものは3次元で捉える傾向にあるようなので、私にとって創作とはすなわち2次元物であるのか。

 

 見たことのないものを想像しようとするとアニメ調になるのかもしれない。未経験・未発生の事象を想像で補うのはいたって普通のことだが、その想像を二次元と三次元のどちらで行うのが自分にとってより現実らしく映るか。別に二次元こそが現実だみたいな趣向はないし、いずれにしても想像であることには違いないのだから、つまるところ実写での想像力が乏しいということか。