本格的に冬到来、年末進行で忙しくなる今日このごろ。こんなときはWUGちゃんのことを考えるのがぴったりですね。というわけで本記事は『Wake Up, Girls! Advent Calendar 2019』13日目の記事です。昨日はよねぽんさんがご担当でした。なお明日はЁу Rmさんです。
前段
「WUG組曲」と呼ばれる楽曲群があります。具体的には、『海そしてシャッター通り』『言葉の結晶』『土曜日のフライト』『さようならのパレード』の4曲(以下、それぞれを指して「シャッター」「結晶」「土フラ」「さよパレ」と言います。)のことで、これらは声優ユニット・Wake Up Girls!(以下、「WUGちゃん(たち)」と言います。)が発表した最後のアルバム、『Wake Up, Best!MEMORIAL』に収録されました。作詞・作曲陣の豪華さや、解散ツアーで披露されたその背景によって、この4曲の位置づけや意味合いは、ことさらに重たく感じられます。
ただ、WUG組曲の示すテーマが直接的に説明される機会は、今に至るまでありません。当時、メンバー7人は只野菜摘さんの詞をもって「どうしてこんなに(今の私たちの気持ちが)分かるの~」とよく言っていた印象はあります。しかし、それもまた一つの解釈であり、正解かどうかは分かりません。そもそも、正解などないのかもしれません。
約一年前、初めてWUG組曲をフルで聴いた後、この4曲をどう捉えればよいのか、主には歌詞の面から考えてみました。時間を経た今、年の瀬も迫る中で、前回とは違う視点で遊んでみながら、これからも元気に生きていこうなというのが本記事の趣旨です。なお、論理は破綻しています。それではよろしくお願いいたします。(7500字程度)
時間軸を考えてみよう
改めて聴いてみると、気になるのは4曲の時間軸*1でした。すなわち、WUG組曲はいつのことを歌っているのでしょうか。まずはWUG組曲内の時間軸を考えてみましょう。
1 WUG組曲内の時間軸について
(1)シャッターの未来性と過去性
時間は収録順に沿って流れていると考えるのが、最も簡単かつ分かりやすいでしょう。しかし、この考え方の前には、シャッターの存在が立ちはだかります。というのも、収録順で言うならば、シャッターは最も過去ということになりますが、実際には過去どころか現在の印象も受けないからです。シャッターは過去を振り返り、懐かしむ曲であり、一定の未来性を帯びています。他3曲とは時間的な距離が取られているのです。
一般的に、過去を振り返るのは、そうさせるきっかけがあったときだと思われます。現在との対比で昔を懐かしむわけです。しかし、今この時点から振り返っているようには感じられません。とすると、シャッターは4つの中で最も未来に位置するのでしょうか。(図1)
一方で、シャッターが思い返す過去は、個人的かつ幼い記憶であるとも思われます。
錆びない思い出を 抱きしめるように
ひたすらただ歩く 懐かしい 愛おしい 私の街
過去を振り返るタイミングは、必ずしも、全てが終わった後に限られるものではなく、実質的にはどのような時点でも問題ありません。したがって、「過去を振り返っている」事実だけをもって、シャッターが最も未来に位置すると断じてしまうのは早計でしょう。
だからといって、シャッターが時間的に先に来るのも違和感があります。過去を振り返るタイミングに制限がないとしても、あくまでもきっかけは必要だからです。前回の検討時点では、「シャッターを1曲目に置いているのは『過去を振り返るところからWUG組曲をスタートさせることにしたもの』との演出的な効果を生むためと解していましたが、言い換えると、純粋に時間軸だけで見るのであれば、(組曲内ではまだ過去を振り返るきっかけが生まれていないであろう)1曲目に置くのは適さないように思われます。
ではどのように考えればよいでしょうか。ここで、シャッター自体の描写について検討しましょう。そもそも、シャッターは他3曲と比べてその異質さが際立っています。というのも、 この曲だけはWUGちゃんを前提に置く必要がありません。
「前提を置く」とはどういうことでしょうか。言うまでもなく、WUG組曲は、それぞれの曲が単体として素晴らしいものではありますが、中でも結晶・土フラ・さよパレの3曲は、WUGちゃんの持つ文脈と相まって、作品としての完成度が一段階高くなっています。要するに、WUGちゃんたちの置かれた境遇と、曲の示す内容を重ね合わせることができるのです。
しかしながら、シャッターは(少なくとも)直接的にそうではなく、広く一般的な表現がなされていると感じます。ただ、WUGちゃんの要素がないということでもありません。SSAでのシャッターを確認しましょう。7人が歌うその後ろでは、縁ある東北の地の映像が流れています。自分たちを形作ってきた土地・街をバックにして、シャッターは歌われているのです。この点をもって、私はシャッターを「WUGちゃんとして活動した過去を懐かしむ行為を比喩的に表現したもの」と解しています。
つまり、シャッターはその全てが比喩表現であると思われます。「夏祭りの音」は、毎年行っていた夏のライブツアーかもしれませんし、「私の街」はユニットそのものかもしれません。間接的な表現として、シャッターはWUGちゃんとしての活動期を振り返っているのです。*2
そして最後、その振り返りを自らの手で終わらせます。
そっと眠って
こうなれば、シャッターは物語の終わりを表現するさよパレよりも、さらに後ろの時間軸だと捉えるのが相当でしょう。ではなぜシャッターの収録順が1番なのか。この点については、また別に考える必要があります。(後述します)
(2)結晶に見出す完結性
結晶は曲順としては2つ目に位置するものの、単体で過去から未来が完結している特徴を持っています。また、さよパレとともに「私」と「あなた」の物語を紡ぐ曲でもあります。歌詞の点からこれらの特徴を見てみましょう。
あなたに 誰かに 聴いてほしいことがある
想いの 言葉の結晶
一言目が二人称から始まり、以降も外の意識を持ちながら展開されていきます。個人的な心象を内向きに描くシャッター・土フラとは対照的です。また、「聴いてほしい」ということは、「あなた」はまだ聴いていないわけで、それは単に機会に恵まれなかったのか、それとも別の要因なのか分かりませんが、曲中において「私」は、(外に)伝わらないことに(独り)長く苦しみつづけます。
そして、その状況は最後まで変わりません。
最後まで演奏を続けるこの船
強さが あなたに届くと信じる
終わりが近づいてもなお、「届くと信じ」ているのですから、届いたという確信は持てていないのです。「ここまでやれば大丈夫だろう」といった安心感は窺えますが、だからといって全てが確定したわけではありません。
一粒 星が残った
輝きだけが 言葉の絶唱
「星」と「輝き」の意味するところは難解ですが、言葉通りに捉えるならば、ある空間に一粒の星だけが転がっていて、そこにスポットライトが当たっている*3イメージが浮かびます。そして、結晶の物語はここで完結を迎えています。
つまり、結晶からは、曲の終わりより後ろに物語が続くイメージを得られません。船は最後まで演奏を続けて、その役目を終えています。「船」をWUGちゃんというユニットや、ツアーとして解せば、この点はより分かりやすくなるでしょう。
となると、結晶の時間軸をどこかの一地点に置くのは適切ではなく、幅を持った存在として扱うべきであり、言い換えれば、WUG組曲の始終を抑えていると言うべきでしょう。(図2)
(3)土フラが示す継続性
先述したとおり、土フラは主として個人的な心象を描いている点で、シャッターに近しい存在と言えますが、曲中に時間的な幅がある点では、結晶とも類似しています。ただ、その時間の幅の解釈にあたっては、結晶よりも選択肢が多いように思われ、その点で複雑性を増しています。
結晶と同じく、土フラは曲中において時間軸を移動しています。もちろん、とある一日の出来事として捉えることも可能ですが、「チケット」から「魂」への変化や、前に進んでいくイメージを強調したフレーズ群からして、時間の流れがあると解したほうが自然でしょう。
具体的には、サビ(すなわち「土曜日のフライト」)を挟む度に時間が進んでいると解されます。ただ、結晶とは違い、土フラでは曲中で完結を迎えていません。最後にサビを繰り返しているのは、これからもフライトが続くことを示唆しており、そこに終わりはないのです。
土曜日のフライト 魂とプライド
信じて行かないと 証明をしないと
土曜日のフライト 魂とプライド
信じて行かないと 証明をしないと
そう考えると、「フライト」については、文字そのままに「飛行機への搭乗」というかは、その延長線上にある仕事一般と捉えたほうが適切かもしれません。
上記の通り前さばきをした上で、土フラが組曲中どこに位置するのかを考えます。結論は結晶と大差ありません。つまり、時間的な幅がある以上、どこかの一点に置くのは不適切です。結晶と同様に考えるのが良さそうです。。
一方で、土フラに終わりがないというのは上記の通りです。ただ、結晶の後にも続いているとは確言できません。言い換えれば、結晶の船が最後まで演奏を続けた後もなお、フライトが続いているのかは分からないということです。
この点、「魂とプライド」を証明し続けようとする決意からすれば、フライトは少なくとも、結晶後もまだ続いていると解するのが適切でしょう。したがって、幅を持っているのは結晶と同じですが、その幅は結晶と比較して未来の方向に広くなっていると考えられます。(図3)
ただ、このように考えると、さよパレとの関係性が難しくなります。この点についても後述します。
なお、SSAの映像では、曲中ラストにおいて7人の視線が交わらないようになっているのは非常に興味深い点ですが、本件には関係しないため、検討は別の機会に譲ります。
(4)さよパレの持つ現在性
さよパレは4曲の内、唯一「今」を歌っていると解されます。曲中には過去や未来のイメージも現れますが、それらはあくまでも、「今」の視点から見た過去や未来であり、時間的位置までが動いているわけではありません。
ここで言う「今」は、2019年3月8日当時を指しています。想い出のパレードはすなわち、さようならのパレードであり、(一時の)終わりを迎える空間の中で、過去から今を逡巡し、未来へと想いを馳せているのです。
したがって、さよパレは4曲の中で唯一、点的で明確な時間軸を持っていると言えるでしょう。
(5)合理的に考えられる4曲の時間軸
(1)~(4)をもとに、4曲の時間軸を考えてみます。シャッターはさよパレの後ろ。結晶と土フラは並行的。ただし、土フラには先がある。若干SPIか何かの順序問題めいてきましたが、ともかくここまでは分かっています。が、ここからがよく分かりません。
まず、土フラの継続性はどのように捉えればよいでしょうか。シャッターが「眠って」と言っている以上、そこが全ての終わりと解し、フライトもそこで途切れるのでしょうか。それとも、シャッター以降もフライトは続いていると解するべきでしょうか。
この点、4曲の関連性を考えれば、そもそもWUG組曲というパッケージに、終わりがないと解するのには違和感があります。したがって、土フラの継続性は、あくまでもWUGちゃんに関する継続性であり、それもまたシャッターによって閉じられると解するのが相当でしょう。ただし、WUGちゃんに囚われない「概念上の土フラ*4」はシャッター以降も続いていると解する余地はあります。
したがって、4曲の時間軸を図示すると以下の通りと解されます。
以上より、WUG組曲4作品の時間的順序は、結晶 and 土フラ→さよパレ→シャッターとなると思われます。
2 WUG組曲の時間軸について
(1)二説の検討
前節ではWUG組曲を構成する4曲の時間的な順序について考え、一応の答えを導きました。次に本節では、それら4曲のWUGちゃんとしての活動期間における時間軸について考えていきます。考え方は大きく2つに分かれます。
〔A説:解散発表以降である〕
「WUG組曲は、解散を発表する前後から2019年3月までの7人の心象風景を描いたものである」という考え方であり、どちらかといえば「今」に着目した解釈です。4曲の発表時期や、メンバーのコメントを素直に受け取ったものとも評価できます。
〔B説:6年に亘るWake Up, Girls!の活動全体である〕
「WUG組曲は、WUGちゃんとしての活動の開始から終わりまでを通じて、7人の中に生まれた心象風景を描いたものである」という考え方です。解散周辺に視野を絞るのではなく、6年間の活動全てにスポットライトを当てます。4曲の内容自体を素直に解したものとも評価できます。
(2)二説の違い
A説とB説の違いは、4曲のスコープをどこまでに設定するかであるとも言い換えられます。A説は、近時の解散の決意に至るまでの過程を描写するものだと解する一方、B説は声優ユニットWUGの活動全てに目を向けます。
結晶や土フラが持つ時間の幅や、その歌詞の内容からすれば、始まりを解散企図以降と解するのは足りないようにに思われます。より範囲の広いB説として受け取るのが自然でしょう。
(3)B説の帰結
B説の場合、WUG組曲の時間軸は、WUGちゃんの活動時期と重なることになります。そうすると、「WUG組曲」という名称は、単に4曲を指すのではなく、WUGちゃんの活動そのものを表していると解することができそうです(以下、この意味でのWUG組曲を指して「総体としてのWUG組曲」と言います。)。
となると、総体としてのWUG組曲を構成しているのは4曲に留まりません。一般的に、世の中に発表された楽曲は、それ自体がアーティストの軌跡となります。つまり、これまでにWUGちゃんたちが歌ってきた楽曲全てが構成要素となり、さらに言えば、そこにはアニメの劇伴や劇中歌、ソロ曲といったあらゆるものを含まれるでしょう。
還元すれば、総体としてのWUG組曲とは、6年間のWUGちゃんの活動に係り、7人を通して世の中に残された楽曲全てから構成される概念だと言えます。
(4)なぜシャッターの収録順は1曲目なのか
1(1)および(5)で示したとおり、シャッターは本来さよパレよりも後ろに置くのが妥当と思われるところ、現実の収録順は4曲の内1番目です。一見すると不可思議に思われますが、この点はB説を土台に置くことにより理解がしやすくなります。全ては、シャッターの持つ時間的な接続点としての役割によるものです。
本来、シャッターは終わりを合図する曲です。過去を振り返り、過去を封印する。そして未来への一歩を踏み出します。しかし、「過去を振り返る」行為そのものの始まりを告げる曲でもあります(「行為としてのシャッター」)。そのような曲を1番目に置くことにより、総体としてのWUG組曲は(曲順としては)シャッターで始まり、(本来の時間軸としては)シャッターで終わることになるのです。(図9)
シャッターを合図に過去が振り返られ、総体としてのWUG組曲が始まります。そして、本来の時間軸上に存在するシャッターによって幕が閉じられます。これを繰り返すことで、総体としてのWUG組曲は過去と未来を繰り返し、半永久的に進化していくこととなります。シャッターは複数の総体としてのWUG組曲を繋ぐ時間的接続点として働いており、その点を意識させるべく、4曲の内、本来の時間軸とは正反対に位置する1番目に収録されているのです。
そして、この考えを現実に当てはめたときに一つの答えが導かれます。すなわち、シャッターの収録順序は、いつの日か開催されるWUGちゃん復活ライブの布石だったのです。
Wake Up, Girls!復活LIVEリポート
もしその日が来たら、きっとファミ通さんが書いてくれると思うんですよね。
おかえりWUGちゃん!ーーWake Up, Girls! 復活LIVEリポート
🕛2027.03.09.17:00 │更新
2027年3月6日(土)~7日(日)。声優ユニットWake Up, Girls!(吉岡茉祐さん、永野愛理さん、田中美海さん、青山吉能さん、山下七海さん、奥野香耶さん、高木美佑さん/以下、WUG)の復活ライブ“Wake Up, Girls! ~お待たせしちゃってごめんね!~”が、“約束の地”である、さいたまスーパーアリーナ(以下、SSA)で開催された。
多くのワグナー(※WUGのファン)に惜しまれた解散から約8年。それぞれの道を歩み、一回りも二回りも大きくなった7人が、あの日の続きを紡ぎに帰ってきた。8年前と同様に、会場にはフラワースタンドが溢れており、当時は7人を見送った花道が、今度は彼女たちを迎え入れるべく、今か今かと待ち侘びていた。
空いた時間に呼応するようにライブの内容も盛り沢山。WUG名義の全楽曲はもちろんのこと、メンバー本人名義の楽曲も歌われ、さらには生バンドによる劇伴曲の演奏、制作陣によるトーク・イベントコーナーなど、WUGに関わる全ての人・作品が集まる夢のような機会となった。以下では二日間にわたるライブの内容を10ページにわたり詳細にお伝えする。郷愁と興奮が入り混じり、そして再び「ありがとう」に包まれた時間について、少しでもお伝えできれば幸いだ。・・・
多分、ライブツアーも発表されてるんじゃないでしょうか(想像)。10年後でも20年後でもよいのですが、純粋な気持ちとして、また7人で舞台に立つ姿が見れたらいいな。
というところで今年もお疲れさまでした。皆さまにおかれましては、寒さ厳しくなる折、どうかお体にお気をつけて。人間健康が全てです。それに、オタクは体が資本ですからね! そしてその日が来たら、是非ともまた笑顔でお会いしましょう。それでは、2020年も引き続き、何とぞよろしくお願いいたします。
追記
Twitter上における想い出のパレード一周年記念同時上映会についての盛り上がりに係り、4曲の作詞を担当された只野菜摘先生から言及がありました。
3月8日だから言える
— 只野菜摘 (@tadanonatsu) 2020年3月8日
海、そしてシャッター通り→言葉の結晶→土曜日のフライト→さようならのパレードは起承転結ですが、パレードのあとシャッター通りに戻ります。そっと眠っての言葉で、記憶はループの輪に封印されました。それをとく日が来るとしたらその言葉は、さようならの最後のWake Up!です。
いつかきっと来てほしいですね。