自分のターニングポイントと同じ時期に出会った作品は心に残りやすいものです。そういったタイミングというものは偶然の産物でしかないわけですが、何かと自分の姿と重ね合わせ、数割増しで共感や感動を覚えてしまいます。
『SHIROBAKO』も私にとってはそんな作品の一つです。当時、全話を見終わった時点から「劇場版で劇場版制作して!」と、購買行動を伴わない身勝手な叫びを上げていたのですが、昨年の今頃にめでたく劇場版の制作が発表され、また先日には「年内完成」との目標が掲げ上げられました。重ねてめでたい。今年一年を生き延びる理由がまた一つ生まれたなあ、などと思っている次第です。
こういった報せを受け、何だか嬉しくなり、気分が高まってきたので、少しばかり何か書こうと思ってできあがったのが5周遅れぐらいの本記事です。以下、よろしくお願いいたします(3000字程度)。*1
大学卒業が近づくにつれて、特に理由もなくアニメ視聴から離れつつあった私は、本作品をリアルタイムで追いかけてはいませんでした。季節を通して、テレビ放送されるものはとりあえず録画するけれども、1話も見ることもなく、容量を確保するため古いものから削除していく。SHIROBAKOも同様、このようないたずらにHDDを傷つける作業の一構成要素でしかありませんでした。
結局、初めて見たのは放送終了から半年以上が経過した頃。既に学生からサラリーマンへと身分が変わり、「なるほど、社会人とはこういうものか」という実感と、「こんなんでええのか?」という青臭い違和感に一定期間苛まれていた私は、気分転換にアニメでも見るかと久々にレコーダを漁り、「そういえば話題になっていたな」とふとSHIROBAKOを思い出し、その世界に触れることとなったのです。
学生時代の時に触れていたならば、私はこの作品にどのような感想を得ていただろうか、というのは今でも思うことです。結果的に私は、働き始めてから出会えてよかったと心から思っています。というのは、「労働」や「仕事」といった概念の実像をある程度捉えてからのほうが、この現実とファンタジーが入り混じった世界観がより胸に響くように思えるからです。*2
SHIROBAKOには記憶に残るシーンがいくつもあるのですが、最も印象的なものの一つが、藤堂美沙(みーちゃん)を巡る転職エピソードです。みーちゃんは専門学校で3DCGを学んだ後、他社と比較し就業条件の良いスーパーメディア・クリエイションズに入社するのですが、車関係の制作をメインにしていることもあり、来る日も来る日も延々とタイヤ周りのCGを作り続けることになります。元々は(私たちが想起するいわゆる)キャラクタやアニメーションを作るためにこの世界に入ったのにもかかわらず、半年間無機物しか触れず、さらには数年先も同じ仕事、すなわちタイヤではないにしても自動車にしか関われないであろう現実に悩むわけです。確かに待遇はいいのだが……本当にこれが自分のやりたかったことなのか。今過ごしているこの時間が、そのやりたかったことに繋がるのか。
「理想と現実」については、殊にクリエイターの世界においてよく聞こえてくる話ではありますが、そのようなある意味高尚なものでなくとも、一般的によく考えるテーマであります。当時の私は、会社に対してそんなに高い理想は抱かずに入ったはずなのですが、それでも先述の通り「これはなんだろうなあ」と思うことはあり、みーちゃんの悩みを失礼ながら近くに感じられていました。
ただ、私と違ってみーちゃんの素晴らしいところは、そのように想いを抱えつつも、そのときまで決して眼の前の仕事を適当に流してきたわけではない点にあります。これは、スーパーメディア社が悪い会社(ブラック)ではなく、また対象は違えど同じ3DCGであることには違いない(職種は同じである)ことが根本にあるとは思うのですが、みーちゃんはついつい日常の中でも車のホイールに目が行ってしまう*3ほどに仕事熱心で、自身に課せられたタスクをしっかりとこなし、同僚・先輩からその技術や成長度合を褒められる存在となっている。現状に疑問を抱くことと、今に対して手を抜くことは違うのであって、だからこそ、なおさらにもやもやを抱えてしまうところもあるのでしょうが、この姿勢を私は格好いいなあと思ったのです。
結果的にみーちゃんはスーパーメディア社からスタジオカナブンへ転職*4し、自分の目標に向かって改めて歩み始めることになります。カナブンはスーパーメディア社と比べて規模も小さく、(比較すれば恐らくは)経営が安定しているとも言えないでしょう。しかし、みーちゃんは心を決めて(きちんと自分の仕事も片付けてから)、大きな一歩を踏み出したのです。
そうして新天地で仕事に取り掛かるなか、みーちゃんはカナブンの中垣内社長から、製作中のジープのタイヤを褒められます*5。このとき、みーちゃんは苦笑いをしながら「前の会社でずっとタイヤをやってたんです…」と応答。そこに誇らしさはありません。どこか言いづらいことであるかのように、半ば困った顔をして言うのです。そんなみーちゃんに対して、中垣内社長が返したのは「じゃあ得意分野だ!」という純粋な賞賛の言葉でした。
「考えたこともなかった」とでも言うかのように、みーちゃんは驚きの表情を見せます。しかし、クリエイターとしては先輩であるところの中垣内社長からそう言われるということは、このときの(少なくともタイヤに関する)技術力は、一定以上のレベルに達していたということです。それはスーパーメディア社時代にも周囲から認められていた点ではありますが、別会社の、その意味では身内ではない第三者から見てもそうであるということで、無駄に思える日々でもしっかりと積み上がるものがあった、言い換えれば、自身がそれだけのものを積み上げてきたことの証左であるわけです。それを得意分野と言わずして何なのか。
この後、久しぶりに集まった主人公グループの会合の中で、声優を目指す坂木しずか(ずかちゃん)の下積み仕事の話を引き取り、みーちゃんは「無駄な仕事なんてない」ことを実感を込めて語ります。
きっと今日の仕事も役に立ちますよ!
わたし今の会社でジープのモーションやってて。タイヤ褒められました!
だから無駄なことはないんだなって思って。
「だから」以降をみーちゃんは伏し目がちで言います。このときの彼女の表情を私は今も取りあぐねています。というのも、「自分が望んで上手くなったわけではない事柄を他社から”得意分野”と評される」のは、私の個人的な経験上、少し複雑な気持ちになると思われるからです。
ともあれ、スーパーメディア社での経験が、彼女の中でそのように総括されたことに変わりはありません。「どんな経験が役に立つか分かんないもんね!」とずかちゃんが元気に続けるのも相まって、私は「そういうもんであるならとりあえず仕事続けるか(どうせ明確な目標もないのだし)」と1人納得し、数年経った今となって、ようやくみーちゃんの言葉を実感しているところです。振り返ってみて、その選択で全く間違っていなかったと思うところ、SHIROBAKOは危うく崖から落ちかけた私を助けてくれたと言っても過言ではありません。
今でも定期的に友人と見直し会を行うのですが、その時々において仕事に対するさまざまな示唆を得られているように思います*6。ついつい語りたくなるポイントもたくさん。「熱意のない者」が存在することすら許されない世界観*7に、一種の残酷さを感じることもありつつ、しかしそれもまた魅力の一つ。劇場版もまた、多くの人に長く愛される作品になるよう祈りながら、また明日から生きていこうと思います。無事完成披露されることを心から願っております。