死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

私は声優ユニットWake Up, Girls!に何をもらったか―約一年間の総括として―

 年度末である。サラリーマンを数年やると、学生時代のように、特に4月に感慨を覚えることもなくなる。とはいえ、季節が一巡りしたのだという実感はあり、「この一年も無事に勤め人でいられた」などという安心感もある*1

 3/8のFINAL LIVEから約3週間が経過した。TL上のワグナーを見ると、第二章が始まっていたり、名前が壮大になっていたり、よくわからない進化を遂げていたりと、7人と同様に、それぞれがそれぞれに歩み始めている。もとよりそうなるだろうとは思っていたのだが、そんな光景を見て、私はとても素晴らしいなと感じる。自分の推しを応援するためにも、自分の人生を邁進するのである。

 私はと言えば、声優ユニットWake Up, Girls!の陣形を考えていた。フォーメーションではない。陣形である*2。敵を目の前にしたときに、どのような陣形を組むかということである。私の結論は以下の通りだ。

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 後衛を奥野香耶永野愛理の年長組でがっちりと固め、トリックスター田中美海を中心に置き、飛び道具と瞬発力の山下七海高木美佑に中衛を任せ、吉岡茉祐青山吉能のダブルアタッカーで相手を削るというイメージだ。センターは吉岡さんなのでは、という意見はあろうが、前衛にも後衛にも回れそうな田中さんの器用さを考慮した結果こうなった。各列の左右どちらに誰を置くかについては難しい部分があるが、個人的にはこれで納得している。

 と、往年の声優ベストイレブン的な遊びをする程度に、自分が慎ましい在宅オタクに戻りつつある一方、変わらず積極的な情報発信をしている各位をありがたくもニヤニヤと見つめながら、もうすぐ自分がWUGちゃん追いかけ始めてから1年が経とうとしていることに気がついた。解散の趣旨からして、8日を超えて(アニメのWUGは別としても)話題として引っ張るのもあれだし、ハートラインの記事でWUGちゃんのことを書くのは一段落にしようと思っていたのだが、本丸のわぐらぶが更新しており、重ねて年度末ということもあるから、自分の中で総括的な記事でも書いておこうと思った。結局のところ、この約一年間で私はWUGちゃんたちから何をもらったのか、そんなことを考えていこう。(4000字程度)

  7人から総体的に何かをもらったようにも思うし、7人それぞれからであったようにも思うが、そもそも「もらった」というよりかは、私はただ7人それぞれを尊敬しっぱなしだっただけであって、その点を書いたほうが最終的にはまとまる気がするので、とりあえず思い向くままにそうしてみよう。

 高木美佑さんが見せる貪欲な好奇心は、人間の本能的な欲求を体現したものである。そうやって人は今日まで進化してきたのだ。ドラムにしてもDJにしてもそうだし、いつかのインタビューではUnityを触ってみたい、なんてことも仰っていたが、自分のしたいこと、興味を持っていることを明確に自認し、そう思うだけでなく実際に手を出し、経験を積み続けているところを私は尊敬する。もはや探究心の域なのかもしれないが、それが結果的に仕事にも繋がっているわけで、良い循環が生み出されている。そんな毎日はきっと楽しい。

 山下七海さんは自身のパーソナリティを「それこそが自分である」と受容している。「それでいいのか」と悩んだことがないことは、ツアーを通して窺い知るところではあるが、(少なくとも表層的には)結論的に「それでいい」のだと受け容れている。「こうなりたい」という想いがあれど、あくまでもその土台には自分があるのであって、そこがブレることはきっとない。オンリーワンを地で行く姿勢*3は、ゆとり教育を受けた世代の目にはとても尊く映るのである。

 田中美海さんは使命感を纏っている。私はステージ上から見て取れるものだけをもとに書いているので、やはりいつものとおり感覚論ではあるが、表現すること自体が自分の人生の一義的な命題なんだ、という意識を常に持っているように感じられる。ステージの魔力によって偶像化しているといえども、あくまでも人間である存在を変に神格化するのは、ただただ失礼な話ではある。しかし、観客に対して、「自分にはこの生き方しかない」と言い切っているかのように感じさせるのは、そうは言っても並大抵の人間にできることではない。と言い出すとまた大げさな話になってくるのだが、だから私は彼女に憧れるのである。

 吉岡茉祐さんの責任感の強さは、純粋に人として見習いたいところである。その双肩に何がかかっていたのか。何を背負ってきたのか。業界経験があったとはいえ、吉岡茉祐は島田真夢ではないのであり、その発露が宮城公演の一幕だったのだと思っている。しかし、そこまでは何があっても崩れずにきた。それは「そうす"べき"だ」という(責任感が強い人にありがちの)思考からくるものであったろう。ともすれば、そういった思考は自分自身を押しつぶす要素にもなるのだが、少なくとも吉岡さんは打ち勝った。(他メンバーの言葉にあったように)多少は他人を頼ることも覚えたらどうかと、えらそうなことを思うが、多分吉岡さんはこの先、良くも悪くも(しばらくの間は)同じような哲学で物事に臨むのだろう。

  永野愛理さんの献身的な姿勢は、真似ようと思ってできるものではない。自分の中だけで完結することではないからだ。相手のことを考える。他人のために自分がどうすればいいかを考える。それはとても格好いい(と私は表現する)生き方ではあるが、得られる結果が(情けは人の為ならず精神で考えても)自分のところに返ってくるかはわからない。しかし、そもそもそんなことは念頭にないのであろう。「そうしたい」と考えるからかもしれないし、「そうしたほうがよい」と疑問を持たずに動いているのかもしれない。それは相当な人間力であり、表には出ないが多くの人に愛される人、というのはこういう方なんだろうと思う。いや、表に出てもらったほうがありがたいのだが。

 奥野香耶さんの一挙手一投足は独創性にあふれている。次に何を話すのか、何をするのか、何が起こるのか、全てを楽しみにしてしまうのだが、繰り出される一つ一つを咀嚼すると、その実それらがしっかりとした常識に支えられているものであることを知る。表現が難しいのだが、私は奥野さんの感性が平凡であると言いたいわけではなく、常識的な価値観を持っているから、"普通"を理解しているからこそ、逆説的に他人を驚かせることができるのではないか、と思うのである。それは平々凡々な自分にとってのかすかな希望であるのだ。

 青山吉能さんを形容する表現には限りがない。あえて言うなら青山さんは誠実な方である。芸に対しても、他人に対しても、何より自分の人生に対しても、と思う。何が正しいのかをずっと考え続けているように思えるのだ(もちろん真の正しさなどというものは存在しない)。いつも話が大きくなるMCは、頭をまわし続けている結果なのだろう。ふざけた姿を見せても、それに対して誰も本気でとやかく言わないのは、根っこの態度を全員が知っているからであり、そのように他人が認識できるまでに積み上げてきたものがあるからだ、と思うのである。

 さて、7人それぞれを表したワードは結局全員にあてはまるものでもある。無理矢理に数値化すれば個人間で差は生まれようが、0になることはない。7人が7人、私にとって「自分もそういう風に生きていきたい」と思わせる何かを持っている。

 "思わせる"というよりかは、私がそう"学んだ"と言う方が正しいかもしれない。だから何をもらったのかと問われれば、私は7人に「教えてもらった」のである。

 尊敬の念とは、「そうなりたい」との感情が変化したものである。「私は少しでもあなた達に近づけたでしょうか」と、ライブに行くたびにいつも思っていた。もちろん答えは言うまでもない。「みんなで『Wake Up, Girls!』になりましょう!」と声をかけてもらったにもかかわらず、残念ながら私は、SSAを経てもWake Up, Girls!にはなれなかったのだ。

 当たり前のことではある。ただ、それはなるべくしてそうなったのだろうという気もしている。これは未来に向けた準備期間ではないのか、ということである。先にゴールがあるのかすらわからない。でも私は前を向いて歩いていこう。7人のように歩いていこう。彼女たちはいつまでも私のPolarisであるから。最初から最後まで(勝手に)追いかける一方で、これからもその差は広がるばかりであろうが、それでも諦めずに進むのだ。そしていつか7人が帰ってきたら、心の中でこう言おう。「少しでもあなた達に近づけましたよ」と。そう言えるように、邁進していこう。

 最後に謝辞として、もう何回言ったかも分かりませんが、WUGに関わるすべての方々に厚く御礼を申し上げるとともに、新年度以降、みなさまのますますのご発展を心よりお祈りいたします。なにとぞご自愛くださいますよう。

*1:それが良いことなのかどうかはわからない。

*2:原因は幻想水滸伝5である

*3:それがナンバーワンを生むことは言うまでもない