死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

解き放たれる記憶のループ:または、『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』 応援上映感想

2024年8月某日

 いつものようにいつものごとく労働に勤しんでいると、ポケットの中で聞き慣れないバイブ音が鳴った。このような現象はたまにある。思えばあの時もそうだった。何か嫌な感じがしたのである。不穏なGmailの通知を今でも忘れない、と言うと大げさではあるが、理屈では説明できない、いつもと違う感覚というのは、現実世界でも稀にあるものである。

 休憩がてらスマホに目を向けると、やはり見慣れない通知があった。Twitter、ではなくXからの通知。私は一部を除いて基本的に誰からの通知もONにしていない。だから、それを最後に見たのはいつであっただろうか。意外にも記憶は薄れていない。それゆえに、そんなわけがないと思ったのだった。「この時代にWake Up,Girls!の公式アカウントが動くわけないだろう?」

 ついに乗っ取られてしまったのか。更新頻度の少ない企業アカウントへの不正ログイン。このようなご時世だ。珍しい話でもないし、それはそれでいつもの公式っぽいかもしれない。そう思って見てみると、何やら様子がおかしい。妙なリンクをポストしているわけでもなく、怪しい日本語というわけでもなく、普通に更新している。そして、その投稿を見て目を疑ったのだった。

 画面上に映る「アニメ化10周年」の文字。その数字は、作品のキャラクターを演じた声優ユニットの活動期間と、解散後の期間とを足した値にほぼ等しい。もうそんな時間が経ったのかとは思わずにいられないし、当然それぐらいの時間は経っているなとも感じる。むしろ、彼女たちを追いかけて全国を周ったあの日々は、もっと前のことのようだ。新型コロナが来て、生活の常識が変わった。新たな戦争が始まり、世界の様相が変わった。そんなさなかの10周年である。本当にコンテンツは続いていたのである。

 

10周年

 さて、早速公式サイトに行ってみると、まず目に飛び込んでくるのは10周年記念衣装に身を包んだアニメWUGの面々である。かわいいですね。

 最前列にいるのは慈しみ大明神となった真夢と藍里である。真夢はともかく(ともかく?)、藍里の表情を見よ。藍里は優しさをそのパーソナリティの構成要素とするが、それは臆病さの裏返しであって、家族との関わり方を見ると、彼女の一面でしかないと分かる。内弁慶な気質を持っていた藍里も、10年経てば御年25歳だ。自分の身に置き換えてみよう。お前は25歳の頃何をしていた? と問われれば、「仕事」としか答えは出てこないのであって、藍里もどのようにしてこの表情を得るに至ったのかはまた気になるところである。

 次に左右を固めるのは、落ち着きエネルギッシュな様子のななみなみである。さながら金剛力士像だ。朗らかな阿吽である。一般的に言って、元気印が年齢を重ねるにつれて見せる落ち着きには誰しも心を惹かれてしまうものだろうが、菜々美と実波も例外ではない。

 そして最後方に構えるは、一層綺麗になったWUGお姉さん組三羽烏の佳乃夏夜未夕。メンバー全員が年齢を重ねた結果として、年長者組が逆に若返って見えるのはよくあることである。リーダー、サブリーダー、裏リーダーとしてWUG三頭政治が行われているとまことしやかに囁かれていそうだ(要出典)。なお、佳乃を年長者組に含めるのは異論があると思われるが、リーダーを任ぜられていることから実年齢+2歳とみなすこととしている。

 7人に共通するのは、その雰囲気から見て取れる余裕だ。おそらく彼女たちは解散していないので、ここまでにさらに経験を積み上げてきた姿、ということだろう(すでに全員が芸能界を引退していて久しぶりに再結成したのかもしれないが、それはそれで別方向の余裕がありそうである)。

 そして、トピックスは7人の姿だけではない。何と言っても、ライブBD応援上演のリベンジである。2020年当時に新型コロナによっておじゃんとなってしまったイベントを、ここでもう一度実施する。あの日に止まっていた時間が動き出した。めでたいことである。ようやくというかは、完全に消失したと思っていたイベントの唐突な復活であり、シンプルに嬉しく思ったのだった。

 

応援上映の日

 当初の告知以降、遅々として更新されない特設ページに懐かしさを覚えながら、過去ライブのYoutube配信などを挟みつつ、気がつけば応援上映当日を迎えたのだった。

 ライブと呼ばれる催しに行かなくなって久しい。生活の忙しさ以外に理由を求めれるならば、お金と時間をかけて見に行こうと思うものがなくなったからだ。言い換えれば、以前の生活に戻ったのである。

 応援上映とはライブではない。向かう先は街中の映画館である。妙にアクセスが悪かったり(むしろ映画館へのアクセスは往々にして良い)、目に刺さる原色パーカーを着ている人間が連れ立ってる姿も見えない。局地的かつ一時的な人口密度の増加が発生しているわけでもない。しかし、映画館に向かうにつれて高まる緊張感は、間違いなく5年前のそれと同じであった。現地についてみれば目に入るのはかつての光景である。グッズを身に着けて一人開場を待つ人。友との久しぶりの再会を喜ぶ人。人生において一切の関わりを持つはずもなかった面々が、特定の作品を通して、同じ時間を共有する。そういう不思議な場がそこにはあった。

 今日の座席は広い。映画館だからである。足元に荷物を置いても差し支えない。隣と肘が当たることもない。とにかく人を詰め込もうとの思想とは逆で、いかに快適な時間を過ごせるかが追求された空間で、私は目を閉じて考えた。あの日々と今日とで、一体何が変わっただろうか。WUGの7人は、まあ変わっただろう。あえて一人ひとりを挙げるまでもない。では自分はどうか。もちろん、変わった。それは単に老いたということではなく、生活を続けるだけでもさまざまに変化はあるものだ。そのような心境で、多少なりともかしこまった環境で見るSSAは、はたしてどのように見えるだろうか。

 とはいえ開演を待つ感覚はあの日と変わらなかった。わくわくもあるが、やはりドキドキが勝っている。自分がステージに立つわけでもないのに、まるでそうであるかのように緊張する。あの日は身につけていなかったスマートウォッチで心拍数を確認すると、軽く走ってきたかのような数字である。なぜ観客が緊張する必要があるのか、お前はどの立場で見ているのか、そのようなセルフツッコミもまた変わらない。

 3月8日を覚えている。

 

 

開演

 WUGちゃん最後の一年間を象徴する楽曲といえば『ハートライン』だが、それと同等に代名詞的な作品と言えるのは、その最後の道のりを飾るために作られた4曲であろう。すなわち、『海そしてシャッター通り』、『言葉の結晶』、『土曜日のフライト』、『さようならのパレード』である。WUG組曲*1とも呼ばれるこれら楽曲については、当時私もいろいろと悩まされた。私はいったいどのように受け止めればよいのだろうかと考えたのである(こういう遊び方ができるのがWUGのよいところだったとは間違いなく言えよう)。

 

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 そして、2020年の頃、これら楽曲の作詞を担当された只野菜摘先生から、一つの答え合わせがなされた。

 

 やっぱりそうだったのか、と多くのワグナーが感じたことだろう。私もその一人だった。不思議な運命共同体をめぐる物語は一旦の終わりを迎え、その封印が解かれるときを待っていたのである。

 

 時間軸を現代に戻そう。今聞くWUG組曲は、当時からそうなのだが、今聞いてもやはり重い。一方で、重すぎるとも感じるようになった。それは、私が(今となっては)一歩引いた場所にいるからである。おそらく、2024年現在の私がこれらの曲を(当時の流れの中で)聞いたのであれば、真っ先に口走るのは「そんなに思い詰めんでも」との言葉であろう。人生なんとなくでもやっていけるで的発言であり、要は「そんな無理せんでええんやで」である。

 裏を返せば、当時はそのようなことを露ほども思わなかった、ということでもある。それは単純に私が今よりも若かったからであろうし、そのほかにも色々と理由が思いつくがここでは詳言はしない。

 そのような客観的視点を得たうえで思うのは、そうは言っても、それぐらいに思い詰めた感情を発露させる理由と必要性が当時にはあって、かつそれらによって異様な熱狂があの場を支配していて、巻き込んだ・巻き込まれた面々によって予定調和ではない(と感じられる)唯一無二の世界がそこにはあったということである。このような世界に次にいつ出会えるのかは、皆目見当がつかない。だから私は非常に幸運であった。

 

ループの終わりと始まりに

 さすがにあの日と同じ熱狂があるわけではない。東京の会場は満席になったようだが、他の地域では空席があった。率直に言って当たり前である。しかし、かといって客入りが少ないとも言えないだろう。2024年に、5年前に解散した声優ユニットの映像を見るためだけに、これだけの人が集まること自体が面白いのである。その上、この日初めてWUGのイベントに来た人もいるだろう。異なる属性の人間たちが、地域をまたがって、同じ時間に、同じ2018年の映像を見て「Wake Up!」と叫んでいるのだ。

 

 あの日よりも小さくなった会場に、客席から「Wake Up, Girls!」の声が響く。映像を見ながら、音を聞きながら、自分でも叫びながら、私はあの日々を思い出す。

 

 ああ、楽しかったなあ。

 

 しかし、不思議とあの日々に戻りたいとは思わなかった。私もみんなも今を生きている。過去は過去として存在するからこそ、想い出として、いつまでも今と未来に残るのである。

 この日、記憶の封印は解かれ、そしてまたその内側へと戻っていった。次に解かれるのはいつになるのか。全くもって分からないが、分からなくても問題はない。今日この日、いつでも解けることが分かったからだ。それはつまり、土曜日のフライトで歌われているように、上手に忘れて、そして思い出せるようになったということなのだろう。

 

謝辞

 本記事はWake Up, Girls! Advent Calendar 2024の21日目の記事である。主催であるておりあ(@_theoria)さんに御礼を申し上げる。本年もこのような場を設けていただきありがとうございます。

 昨日のご担当はスイさんである。一昨日の記事とあわせて、図らずもWUG組曲がテーマの一つであった。こんなんなんぼあってもいいですからね。

 

note.com

 

 明日のご担当はわにのこさんである。よければ必ずご覧ください。

waninitabi.hatenablog.com

 

adventar.org

 

 なお、記事中で参照したものの他にも、過去のAdvent Calendarに参加し、記事を投稿している。ご興味に応じてご覧いただけると幸いである。

 

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*1:表記揺れがあり、MONACA組曲とも呼ばれる