死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

宮森あおいは常に私の先を行く―今更ながらの『劇場版「SHIROBAKO」』感想―

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SHIROBAKOと私

 社会人1年目にSHIROBAKOと出会えた私は運が良かった。理想と現実の間でもやもやする私にとって、同じく入社1年目でありながら奮闘する宮森あおいは輝いて見えたし、それこそ働く元気と勇気を与えてくれた。宮森だけではない。登場人物全員が、「働くってこういうことだよね」と私に示してくれた。つらいし、しんどいし、うまくいかないことのほうが多いけれども、そんな悪いことばかりでもない。特に藤堂美沙の置かれた状況は自分と重なる部分があって…というのは少し前に書いたことだが、ともかくSHIROBAKOには、様々な年代・職種・立場の働く人々から共感を得られるだろうシーンで溢れている。

 

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 SHIROBAKOはアニメ業界を描いたアニメだ。そこは非常に残酷な世界でもある。というのも、SHIROBAKO世界には「情熱を持った人間」以外が存在することを許されないからである。TV版7-8話で登場するあおいの姉、かおりはその象徴の一つだ。かおりは地元の信金で働く(おそらく)20代の女性で、身内に見せる姿は明るく奔放なのに、職場ではもう、目が死んでいる。

 かおりは、「灰色な日々からリフレッシュするため」に東京にやってくる。そこで映し出される姿、すなわちあおいとかおりの対比は、都会と田舎という構造だけではなく、「情熱を持つ者」と「情熱を持たない者」の壁を表す。そして、後者はSHIROBAKO世界への存在を許されない。これは単に「アニメ業界とはそういうものだよ」ということかもしれない。いずれにせよ、あおいの周辺において、仕事に対し情熱を持たない人間はいない。

 自分はどうかと言えば、今も昔もかおり側の人間である。だからこそ、一連の表現は私の胸に響く。本当であれば、気持ちとしては、あおいたちのように働き、生きていきたい。しかし、それは土台無理なのである。そこまでの「何か」に対する情熱を、私は今のところ持ち合わせていない。けれどもやっぱりそれでは不十分な気がする。かといって自分自身も環境も大きく変えられるわけではない。私はSHIROBAKOに出演できない。いいよな~みんな活き活きしてて…。

 と思っているところに、SHIROBAKOはまたもや現実を突きつけてくる。SHIROBAKO世界の住民たちが抱く悩みや不安というのは、私が持っているそれと変わらないのである。人間関係のややこしさ、部門間調整の面倒臭さ、自分自身へのもどかしさ。これらはアニメ業界に限られた話でもないし、その意味で、SHIROBAKOは存在しない夢物語を描いているわけではない。そこにあるのは、「会社」という組織における人間模様なのだ。

 私にとってこれは希望でもある。確かに、私はSHIROBAKOの人々のようには生きられないだろう。しかし、彼ら/彼女らの考え方や、胸に抱く想いには、自分を重ねられる部分がある。少しだとしても、みんなに近づくことはできるかもしれない。だから私は毎年末に一度、SHIROBAKOを見直すようにしている。あおいたちを通して、自分の人生を顧みるのである。

 

 以下は遅ればせながらの、劇場版「SHIROBAKO」を見た感想であり、記載にはネタバレを含むため、注意されたい。また、作中に関する言及については、あいまいな記憶に基づくものである点につき、先にお詫びを申し上げる。(6000字程度)

 

劇場版「SHIROBAKO」への道筋

 

 

 待ちに待った劇場版だった。創作物の宿命だが、新作がなければ作中の時間が進まない。SHIROBAKOのおかげもあって、なんだかんだで今も仕事を続けられている私がいる一方で、あおいたちは『第三飛行少女隊』を作り終えて以降、その歩みを進められていない。だから私はただただ気になっていた。「少し高いところから遠くを見る」決意をしたあおいはどうなっているのか。絵麻は安アパートから脱出できているのか。しずかは声優の仕事を続けられているのか。美沙は自分の選択を後悔していないか。みどりは物語に携われているか。

 5人だけではない。ムサニに関わったみんなはどうしているだろうか。そもそも業界に残っているだろうか。もしかしたら引退してしまった人もいるかもしれない。あるいは、体調面で致し方なくなんて人も。人生は何が起こるかわからないのだから。

 奇しくも、あおいの勤務年数は、またもや今の私と近しい*1。業界は違えど、ほぼ同じ年数仕事に向き合ってきたということだ。さて、今の私とあおいの間にはどのような違いが生じているだろう。少しでも近づけているだろうか。それを確かめるためにも、私は劇場に足を運んだ。*2

 

窮地に立たされて

 ムサニは苦境に立たされていた。原因は前のめりで取り組んでいた作品の制作中止に伴う資金繰りの悪化。メーカーとの正式な契約の締結、そして制作費の振り込みがある前から作業を進めていたため、その時点までかけていた費用がすべておじゃんになってしまったのだった。*3

 あの日一緒に戦った仲間は散り散りになっていた。ああ何と悲しいことか。会社が残っていること自体が奇跡と言えるかもしれない。しかし、どれだけの負債を抱えたのか分からないが、ともあれムサニはまだ生きている。その代償として、丸川社長を始めに色んなものを失ったけれども、ゼロにならなければ、またやり直すことはできるのである。

 

6年目の宮森あおい

 同じ会社で5年も働けば、その組織の考え方や仕事の回し方が一通り身につくものだと思う。そして、部門ごとの思想の違いや、人間関係の軋轢にも慣れてきて、毎日に余裕がでてくる。その結果、周りに目を向ける機会が増え、今の自分の立ち位置、そして組織内における将来の姿が、何となくであっても見えてくる。

 これは、先ほどの「少し高いところから」に通ずる話だと思う。「眼の前のことに必死だった」状態が一段落し、より一層に「自分はこれからどうするか」に向き合う必要が生じてくる。

 あおいはと言えば、相変わらず忙しくしているようだ。事務所で睡眠を取り、家に帰ればアルコール(それも以前より度数がきつくなった)を摂取し、何よりも笑顔がない。あの時のかおりと同じだ。逆にかおりは一児の母となり、「好きなことで忙しくてお金がもらえていいね~」と(半ば本心かもしれない)冗談めいた口調であおいをからかう。TV版では、情熱のない非SHIROBAKO世界の象徴だったかおりが、一般的な価値観での「正統な人生」を歩んでいる。結婚して、子どもができて、家庭を築いている*4

 数年間の内に、ある意味ではあおいとかおりの立場が逆転してしまっていたと言えるか。あおいは再び「なぜアニメを作るのか」ひいては「なぜこの業界に居るのか」を悩んでいる。そういう観念的なものだけでなく、「この先食っていけるのか」との現実的な不安もあるだろうと思う。一段上がったがゆえに、再び自分自身を見つめ直すことを求められている。

 

上山高校アニメーション同好会の面々

 他の面々も状況としては振るわない。新人ではなくなりつつあるなかで、自分と向き合うタイミングを迎えている。前よりはよくなった。間違いなく前進はしている。でも、本当にこのままでいいのだろうか。ただただ目の前のタスクに追われている状況なら、何も考えずその流れに乗ってしまえばよい。しかし、今はもうその段階ではない。それだけ、我々は歳を重ねたのである。

 

己の信ずる道を行く高梨太郎と平岡大輔

 暗めの画面が続く中、太郎が出てきた時はそれだけで嬉しくなった。ムサニを離れた彼は何も変わっていなかったどころか、以前よりもパワーアップしているように見える。ただまっすぐに理想に向かって突き進んでいる。別に大きな成功を収めたわけでもなさそうだが、今のタイミングにおいてそれは重要ではなくて、「どこに向かうべきか(向かいたいか)」を自覚できていることが素晴らしいのだ。

 私にとって彼の姿は輝いて見える。あおいにとってはどうだろう。良くも悪くも「ああはなれない」と感じているのではないか。TV版において、太郎は(特に序盤において)トラブルメーカーだった。よくミスをし、実務的な仕事ができるタイプでもない。しかし、彼にはエネルギーがある。(達成できるかは置いといて)ビジョンもある。現実と付き合う時間が長くなるほど、どうしてもそういったものはすり減っていくが、彼は変わらない。その性格ゆえ、今もなお多方面と衝突が避けられないこともまた想像に難くないのだが、そうだとしても干されることはないと確信する。なぜなら、太郎の姿勢が、多くの人にとって「そうでありたい」姿の一つであることには違いないからだ。

 

 平岡は大層丸くなった。というかは、昔の姿に戻ったのかもしれない。何かを間違えば、あおいは彼のようになっていたかもしれないと思う。理想が現実によって打ち砕かれ、平岡は失意の底で生きていた。しかし、彼は立ち直った。それは彼一人だけの力によるものではないし、もといあおいのおかげでもある。

 

 ムサニとあおいの現状を知っているからだろう。平岡はあおいに対して気を使うように声をかける。(セリフはうろ覚え)

 

「お前も何か企画をあげればいいんじゃないか。あの七福神とか」 

 

 それは業界の先輩としてなのか、それとも元同僚としてなのか。ともあれ言葉遣いはとにかく優しい。それに対するあおいの反応は冴えない。

 

「あれは高校時代にそう言っていただけですから」

 

 もちろん、気恥ずかしさゆえに取り繕った部分もあるだろう。しかし、きっとそんなことを考えられる心境でもないのだ。何かをどうにかしなければ。でも、何をどうすればいいのか分からない。続く平岡のアドバイスは単純明快だった。

 

「何かやりたいことがあるなら、とにかくジタバタしないと。じゃないと何も始まらない。俺はそう思ってる」

 

あおいの決意とミュージカルパート

 ミムジーとロロを始め、SHIROBAKOにおいて非現実的(アニメ的)な表現が出てきたとき、それは登場人物の心象風景を描いたものと私は捉えている。「とりあえずやってみよう」とあおいが口ずさみ始まるミュージカルパートは、「劇場版だし豪勢にやりたい放題やっちゃる」とのクリエイター的な遊び心やファンサービスの結果でもあるだろうが、個人的には、あおいが自らを鼓舞する精神的過程を表現したものと思えた。

 そもそもあおいは、日頃からミムジーとロロと会話をするぐらい想像力が豊かな人間であるが、ミュージカルに出てくるのは、あおいが仕事として関わったであろう作品(第三少女飛行隊、限界集落過疎娘等)や、人生のターニングポイントになった作品(アンデスチャッキー)のキャラクタたちである。ただ、中にはぷるんぷるん天国のキャラクタもいたはずなので、もっと単純に「あおいが人生の中で何らかの関わりを持った作品」ということかもしれない。いずれにせよ、これらキャラクタたちは、あおいが持つアニメへの情熱を擬人化したものであるように思われる。

 あおいは自らをアニメの世界に落とし込み*5、キャラクタの力を借りて、「劇場アニメ制作」の決心を固めていく。どのような結果になるかわからないけれども、とりあえずやってみよう。愛すべきムサニを復興するためにジタバタする。それがあおいの下した決断だった。

 

再び集まる仲間たち

「劇場アニメ制作」を目印に、かつての仲間が戻ってくる。こういうのは純粋に好きだ。紆余曲折はあるけれども、多くの人が喜んで、前向きに、あおいの呼びかけに応じてくれる。その過程が見ていて気持ちよかった。それぞれにそれぞれの人生があるから、昔の姿そのものに戻ることはできないだろう。しかし、昔の"ように"やることはできるはずだ。もう一度、自分たちの手によってムサニを復活させられるかもしれない。その期待が各人の原動力になっているのだろう。

 そしてこれは、あおいの積み上げてきたものの証左でもある。彼女の力になろうと"しない"人もおそらくいない。それこそがあおいの5年間の結果だったのだ。

 

さらに胆力のついた宮森あおい

 今作であおいは「ラインプロデューサー」の職に就いている。未だにここらへんの職種の概念が(説明を読んでも)よく分かっていないが、ステップアップはしているということだろう。それどころかナベPが社長となった今となっては、ムサニの実質的なNo.2でもある。*6

「劇場アニメを作る」と決断したあおいは、それまでと打って変わって活き活きとしだす。これが宮森あおいだ、と私はTV版の姿を思い出す。いや、そこにいるのはかつてのあおいではない。数年の経験を積んで、さらに成長した宮森あおいである。

 無理のあるスケジュールをやりくりし、かといってクオリティを犠牲にもしない。物怖じせず監督に進言し、必要であれば自ら頭を下げ、社内外の信頼も厚く、時には敵地に乗り込んでいく。アニメが好きだから。アニメを作る人達が好きだから。そして、そんな人たちの想いをファンに届けるため、彼女は奮闘を続けるのである。

 そして、今作からはあおいのバディとして宮井楓が登場する。先輩でも後輩でもない、同じ志を持って戦える、対等な仲間ができた。その環境がまたあおいを強くするだろう。ところで仕事中は敬語だけど、飲み会やプライベートだとタメ口になるような関係っていいですよね……いい……。

 

ああ、また突き放されてしまったな

 あおいと大体同じような時間を過ごして、それなりに仕事をこなしてきた。失敗もしてきたけれど、まあまあうまいことやってきた自信があった。しかし、劇場版でのあおいの姿を見ると、「ああ、また突き放されてしまったな」との思いを抱く。

 ただ、これはTV版SHIROBAKOを見た時の印象と変わらない。当時においても、あおいは私の何十歩先を行っていた。しかし、最初に言ったように、彼女が抱いている諸々には、私のそれと変わらないものがある。だから私はその背中に少しでも近づけるよう、一縷の望みを持って、頑張ろうと思えるのだ。

 劇場版ラストではこれからのムサニが示唆される。前途多難だろう。そしてその険しい道を進んでいく姿を見られるのはいつになるか。これは全くわからないけれども、できることなら、どこかのタイミングでまたみんなに会いたい*7。さらに歳を重ねたみんなが、何に悩み、どういう想いで日々に向き合っているのかを知りたい。そのときの私が、みんなと同年代である保証はないけれども、きっとまた何かをもらえると思うから。その時まで、毎日を強く生きていくよ。BDが発売されたら*8、TV版とともに毎年末見るよ。想いを伝えてくれて、届けてくれて、ありがとう。

 

*1:と言っているけど入社年次があってるかは分からない

*2:今ほどではないものの、既にコロナが騒がしく怖い部分もあったが、日本で一番あおいに電話をかけたと自称する友人から、公開初日に泣きながら「見てくれ」との電話がかかってきたこともあり、ネットで席の埋まり具合を見つつ、客足も落ちつていてきたであろうタイミングの平日の昼間に見に行った。別日を含めて計2回赴いたが、どちらも客数は私を含めて5名程度で、色々と厳しさを感じた。

*3:のっけから契約の重要性を示されるとは思っておらず、これには法学徒もニッコリ。『ゼロの執行人』で刑訴法がピックアップされていたのを思い出した。

*4:ただどういう状況なのかは明示されないのでそれで幸せなのかは分からない

*5:アニメの中でアニメに入るというのもメタだが

*6:興津さんはまたちょっと違う感じ

*7:致し方のないことだが、全体的に駆け足であり、もったいない感があるのは否めない。散りばめられたエピソード一つ一つが、TVシリーズ1話分を使って展開してもいい内容だと思う。ヒポマスまでの期間の話(漫画でやるのかな?)も見たい。と、贅沢を言いだしたらキリがない。

*8:正直に言って記憶のあやふやな部分が多いので、しっかりと見直したいところ。発売しますよね…?