死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

読書負債、図書館の魔力、積読の消化

 いつからか積極的に図書館を使うようになった。本を買っても読まないからだ。セールが来れば意気揚々と電子書籍を購入する。しかしダウンロードされることはなく、あるいはただ電子端末のストレージを圧迫するだけで、本本来の機能が果たされることはない。読みたいと思ったから買ったはずなのに、本当にそうであったのかよくわからない。一冊一冊は安いといえども、塵も積もればである。さらに言えば、電子書籍はその原理上、いつ読めなくなるとも知れない。そうであるからこそ、早々に読破していくべきであるのに、いかんともしがたい。誰も損はしていないが、無駄である。無駄であることは必ずしも悪ではないが、懐にはよくない。よくないことはしないほうがよい。

 とはいっても、読みたくないわけではないのだ。タイトルを見て、表紙を見て、面白そうに感じる本はたくさんある。活字を目で追っている時間は何にだって代えがたい。ただ、読んだ内容を覚えているかは、私の場合保証されない。何よりも、まとまった情報を読む行為が大切なのだ。それが意味のある読書なのかと言われたら返す言葉はないが、意味のないことは必ずしも悪ではない。悪ではないことはしてもよい。

 そういうわけで一周回ってたどり着いたのが図書館であった。住民税の回収にもなる。利用しなければ損だ。払った税金の一部で陰謀論の本が買われていてもそれはそれである。そして、図書館の返却期限たるシステムは非常に有用で、当然ながら返すまでに読む必要が生じる。それは一種の締め切りである。期限が過ぎても返さなければどうなるのか。司書さんに怒られる。仮にそれが予約本であれば、次を待つ市民にも迷惑がかかる。これはよくない。よくないことはしないほうがよい。

 ところで、図書館では無料で本を借りられる。当たり前である。そうするとどうなるか。絶対に買わないだろうなと思う本も手に取れるのである。Web漫画と一緒だ。お金がかからないのであれば、心理的障壁が低くなる。とりあえず読んでみようと思える。新刊コーナーなどは宝の山だ。そこに並べられているのは、本当の意味での新刊ではない。早くとも、出版から1ヶ月は経っているだろう。しかし、私にとっては、本屋ではまず出会わなかったであろう本でもある。

 そうしてポイポイ借りていくと、読書ペースは半ば自転車操業めいてくる。借りた以上は返さなくてはならない。返す前には読まなくてはならない。返しに行くと新顔に出会う。言わずもがな、積読など許されない。その状況はさながら読書負債とも呼べるもので、常に期限に追われることとなる。どこかで一区切りすべきなのだ。一旦借りている本をゼロにすべきなのだ。何より新刊コーナーに行ってはならない。予約をしてはならない。しかし、期限があるからこそ読書が滞ることもなく、そうしていくうちに一年は終わる。