見ていて気持ちのよいお金の使い方、というものがあると思う。金額の多寡だけで判断されるものではなく、おそらくは見る者個人の感覚に大きく左右される。つい「いいね~」と言ってしまうような使い方で、つまるところ、少なからず「もし叶うならば自分もやってみたい」と思っていることをまさに実行している人の姿を見たときに、そういった感情を覚えるのではないか。「いいね~」は「いいな~」でもある。そこにはいくらかの羨望が含まれるものの、その人を応援する気持ちの源泉にもなり、かつ自分自身も頑張っていこうと思わせてくれる。人は、自分の代わりに何かをしてくれている、と感じられる人を応援する。紛うことなく正の感情である。下世話ながらお金も動く。
最近そういった感情を覚えたのは、VTuberである宝鐘マリンさん(以下、尊敬と親しみを込めて「船長」ともいう。)のオリジナル新曲MVを見たときだった。楽曲のタイトルを『I’m Your Treasure Box *あなたは マリンせんちょうを たからばこからみつけた。』という(以下、「マリ箱」という。)。
やりたいことやってますね~と口から漏れた。しっかりお金をかけている感じがするのがよい。本当のところは知らない。
他の誰でもない自分のためのオリジナル楽曲・アニメーションを、プロフェッショナルに作ってもらう。オタク(ここで言うオタクはざっくり二次元方面のオタクを指す)であれば一度は夢見たことがあるのではないか。主語をデカくしてはならないが、少なくとも私はそうである。
しかし、この夢には金銭的な壁があることに加え、単に大金を積めばどうにかなる問題でもないだろう。何の変哲もない、良くも悪くも普通の人間が、「自分のために曲(映像)を作って欲しい」と頼み込んだとして、それに関わろうと思うクリエイターがどれほどいるだろうか。もとより、そのような人間には、具体的に創り上げたいものすらない場合も多かろう。
新たに何かを創ろうとするのであれば、その前に何かを創り上げておく必要がある。これは創作に限る話ではなく、ある実績が次の実績を呼ぶことになるのは珍しくない。船長の場合、(今となっては)ホロライブの看板もあるだろうが、自身の配信活動や既存のオリジナル楽曲の積み重ねが、クリエイターの関心を呼び、また新たなクリエイションを生んでいる。それを見て聴衆は喜ぶ。マリン出航のMVを見たときもそうだったが、好ましい循環が回っているように思われて、いたく感動したのだった。
マリ箱の話に戻ろう。エロさと下品さは紙一重であると個人的には思うが、下品さも生理的嫌悪の壁を越えると笑いとなり、そこからさらに突き抜けることで、圧倒的な何かになる。視聴時に脳裏に浮かんだのは、アニメ版はれときどきぶたの和子先生であり(世代がバレる)、みんな大好きME!ME!ME!であり、そしてCardi BのWAPだった。
すげぇ……(このMVも100万ドルかかっているらしい)。と、当初はただ圧倒されるだけだが、繰り返し見ていくと、この漠然とした「すごい」が「cool」に変化していく。その理由は(安直な言い方ながら)やりきっている感とか、表現者としての芯・軸を感じられるからではないかと思う。真に迫った表現は何かしら人の心を動かすものだろう*1。
ともあれ、マリ箱を見て得られる感覚も同じと言える。曲の雰囲気と相まって、一見するとただ過激に見えるが、一曲を通じて、ベースにあるのはコミカルさであり、可愛らしさそして実直な要素を挟みつつ、緊張と緩和も巧みに駆使しながら、終わるころには「あー楽しかった」と、視聴者が笑顔になっている。言い換えれば、それは宝鐘マリンの持つキャラクター性そのものであり*2、このMV自体、宝鐘マリンが(およびクリエイター陣が)宝鐘マリンを理解した上で創り上げられたものだと感じられる。だから私は圧倒され、感動したのだろう。
ところで、私は曲と歌詞があれば、どちらかというと歌詞に興味をひかれるタイプのオタクであるが、マリ箱は歌詞もエンタメに溢れていて面白いと感じる。いろいろな読み方があると思うが、少し考えてみよう。なお、ご本人が全く違うことを語られていたら恐縮である。
まず、箱を比喩表現ではなく、実存する物体であると捉えると、物理的に箱内に押し留められている船長が思い浮かぶ。箱の中にはDangerous Marine smell(とはなんやねんとも思いつつ)が充満しており、次に続くセリフは文字通り独白である。何だったら、それ以降も全てそうであるように思われるから、結局船長は箱の中で独り、延々と「箱が開けられたらどうしようか」と脳内で考え、できる準備も全てしたうえで、箱が開けられるのを今か今かと待ち続けているのだが、そうはならない状況が続く。船長の並々ならぬ想像力とは対比的に、客観的には箱が一つ、微動だにせず、あるいは微動ぐらいはしつつも、ぽつんと置かれている。いたたまれないので、一味の皆さまにおかれては、早々に箱を開けていただきたい。
一方で一つ疑問も浮かぶ。船長は自分で箱を開けられないのだろうか。どうやら鍵がかかっているようである。はたして自分でかけたのだろうか。これについては、船長は箱に閉じ込められているのではなく、箱に隠れている、つまり一味とのお遊びの一環で生じた状況であると捉えれば、そう違和感はない。どうやって鍵をかけたのかとの疑問は残るが、一味が箱を眼前にしながら開けようとしない、いつものプロレス的なコミュニケーションの産物ではないか。別に鍵までかけんでもと思うが、船長自身がそうした方が面白くなるんじゃないかと考えて、遊びの延長線上でやりすぎてしまったのだろう。いたって平和な光景である。これだけ楽しい催しを用意しているのだから早く開けろと、船長は叫んでいるのである。
このように、曲全体の時間軸を「宝鐘マリン船長と一味」という関係性が一定構築された以降に置き、ファンと演者の愉快なやり取りの一幕として捉えるのは、素直かつ実際的な理解だろう。その上で、もう少し抽象的に状況を捉えることもできると思われる。そもそも、「箱」とはなんだろうか。箱?箱って・・・。一瞬理解が混濁するが、箱は箱だ。それ以上でも、それ以下でもない。と捨て置くのはもったいない感じがするので考えてみよう。
箱は一体どこに置かれているのだろう。正確に言えば、この箱は宝箱である。なにせこの曲のタイトルはI’m Your Treasure Boxだからだ。宝箱は堂々と目に見える場所に置かれているものだろうか。今私が想像しているのは、フィクションによく登場する、木製のいわゆる宝箱だが、それは往々にして隠されているものではないか。あからさまな場所にある宝箱は、往々にして怪しい。俺は詳しいんだ。
そうすると、先ほどはすでに一味が箱を見つけている前提だったが、そうだとも限らない。ついでに言えば、「一味」と呼ばれる人々が存在しているかどうかも分からなくなってくる。つまり、曲の時間軸を、後に一味と呼ばれることとなる人々が現れる前に置くこともでき、そう捉えると、曲全体のメッセージも少し変わってくることとなる。
「誰からも発見されていない箱の中にいる宝鐘マリン」。そして、再びタイトルに立ち返るとI’m Your Treasure Boxなのだから(in yourではなく)、結局宝箱とは宝鐘マリンと同意である*3。したがって、この曲は、まだ誰にも発見されていない宝鐘マリンが、早く見つけろと叫んでいる姿を描いたものとも捉えられるのである。だから船長は、自分で箱を開けることができないのだ。
Now, please grant my dearest dream
Open up this box
Open it right now, or I will scream
はたして箱が開けられる日は来るのか。もちろん、その答えを私たちは知っている。また、私たちは、まだ誰にも見つかっていない存在が、それこそ世に数多くいるだろうことを知っている。宝鐘マリンが誰にも見つからない世界だってあっただろう。だからこそ私は、見つけた側と見つけられた側の互恵関係が、末永く続くことを祈るのである。