死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

3位の勲章

 今から20年以上前、家からそう遠くないところに、いわゆるおもちゃ屋があった。小さいながらも二階建てで、一階はアーケード筐体が並ぶゲームセンター(1クレジット50円である)、二階はTVゲームからプラモデルまで、ジャンルを問わないおもちゃが所狭しと陳列されている……といった店構えだった。特に一階はそこそこに治安が悪いともっぱらの噂*1で、子どもだけでは行かないように学校からも注意されていたが、二階はただの小売店であり、時間があれば遊びに行っていた。とは言っても、子どもの財力で買えるものはほとんどなく、行って何をするのかと言えば、延々とゲームの試遊台で時間を溶かしていた*2

 

 このおもちゃ屋には、入口の前にちょっとしたスペースがあり、そこで小規模ながら定期的にイベントが行われていた。例えば、ミニ四駆のレース大会やハイパーヨーヨーのレッスン。広さ的に、多くても10人程度集まるのが限界であったが、傍から見ると基本的に賑々しい、楽しそうな空間だった。

 

 夏のある日のことである。いつものように店に足を運んだところ、店内の張り紙に目が惹かれた。「ベイブレード大会を開催!」。細かい書きぶりはさっぱり忘れたが、ともあれ、ベイブレードの大会が開かれるとのことだった。

 

 

 ベイブレードとはベーゴマを現代風にアレンジしたもので……という概要説明は割愛しよう。端的には、当時私たちの中で流行っていたおもちゃの一つである。激戦のおもちゃ業界において、なぜベイブレードが好かれたのか。通説は知らないが、私の場合はご他聞に漏れず、コロコロコミックの影響によるところが大きかった。『爆転シュート ベイブレード(爆ベイ*3)』である。四聖獣……かっこよすぎる。このワードを好きにならない男子小学生がいるだろうか。いやいない。いや、「いない」は言いすぎかもしれないので訂正する。私の周りの男子で好きにならない子はいなかった。

 

 爆ベイを読んだ私は、おそらく全国の小学生と同じく、ベイブレードが欲しくなった。しかし、欲しいからといって手に入るとは限らないのが世の常である。家庭事情・需給状況その他諸々を理由に、ようやっと私が初めて手にしたベイブレードはドランザーオートチェンジバランサーだった。

 

 

 

 全くおぼろげな記憶での解説となり恐縮だが、ベイブレードは大きく攻撃型・防御型・バランス型の三種類に分かれていて、それぞれが別々の特徴を持っていた。が、正直なところ何が各機を特徴づけていたのか、幼少期の私はよく理解していなかった(今もである)。唯一理解していた違いとして、回転する軸の形状があった。攻撃型は軸が平べったく、スタジアム*4上を縦横無尽に駆け回る。一方で防御型・バランス型は、攻撃型と比べると軸が細かったり、球状だったりして、長時間回転できる。ドランザーオートチェンジバランサーは、最初は攻撃型で激しく動くのだが、相手と接触することで、軸が防御型に切り替わるのである。このようなトリッキーな仕様を持つところに大きく惹かれたのだった。

 

 というのは後付けであり、単に私が火渡カイを好きだった以上の理由はないようにも思う。火渡カイとは、爆ベイに登場するドランザーの使い手であり、主人公のライバル役を務める、クールで熱いやつだ*5。このような人間に憧れない男子小学生がいるだろうか。以下略である。

 

 加えて、作中において、ドランザーにはスピンファイヤーボムという必殺技があった。上空に飛び上がって垂直に降下し、自身の軸をもって相手を物理的に破壊する。そう、破壊するのである。どういうことかと思うかもしれない。しかし、そういうことなのである。私自身、爆ベイの内容はほとんど記憶の彼方であるが、このシーンだけは何故だか印象に残っている。当時の私も、火渡カイ、そしてドランザーに魅力的な何かを感じ、ドランザーを手にしたのだろう。

 

 

 そうして、無事に手に入れたドランザーで友人と遊ぶ日々が続く中、ベイブレード大会の張り紙が目に入ったのだった。元来、こういった催しに参加する子どもではなかった。見知らぬ人と関わるのが苦手だったのもあるが、勝ち負けを避けていたのだとも思う。もちろん、普段何かしら遊ぶ中でも勝ち負けは発生しているわけで、かつ他のジャンル(例えばスポーツやTVゲーム)であれば全く気にならないのだが、おもちゃ、そして大会と銘打たれた場となると、なにやら「勝ち」「負け」に重みが帯びてくるように思われ、それはなんだか楽しくなかった。単に負けるのが嫌だったのかもしれないし、もっと言えば「勝つための準備をする」のが億劫だったのかもしれない。

 

 しかし、この時は自分の心境に変化が見られた。「出場しよう」と思ったのである。そうなった原因は今でもよく分からないが、一つには、ベイブレードが遊びとしてシンプルだったことはあるように思われる。

 

 厳密に言えば、今の表現には誤りが含まれている。ベイブレードにも戦略性はあった。上述の通り、いくつかのタイプに分かれていることに加え、パーツの組み合わせによってカスタマイズを図ることができた。パーツが違えば挙動も違う。相手の出方も考えて、最適なパーツ構成を検討することは、勝利を得るために必要不可欠なプロセスである。

 とはいえ、例えば遊戯王でデッキをどう組むかや、ポケモンでパーティ・技の組み合わせをどうするか等と比べれば、やはりベイブレードは(少なくとも見かけ上は)シンプルだと思う。そして、スタジアム上で回り始めれば、もはや私にできることは何もない*6

 

 もちろん人によるとは思うが、私にとって、このベイブレードのシンプルさは好ましく、結果として、大会参加に係る心理的障壁を低くしたのだと思われる。

 

 

 かくして、私はおもちゃ屋主催のベイブレード大会に臨むこととなった。友だちと連れ立つわけでもなく、親に随行してもらうこともなく、一人で会場に向かう。まだ熱中症が今ほど深刻に取り沙汰されていない時代、太陽ギラつく空の下、店前の小さなスペースで、生まれて初めての大会の幕が上がった。

 

 と、大げさに表現したが、参加者は10人もおらず、3回程度勝てば優勝のトーナメント戦だった。1試合あたり3ゲーム制で、2勝を先取した方が次戦へと進む。そのほか、細かいルールもあったかもしれないが、何も覚えていない。

 

 まずは1回戦である。審判役店員の掛け声を合図に、2つのベイブレードがスタジアムに舞い降りる。ドランザーは盤上で超攻撃的に円を描き、短時間で複数回にわたり相手へ攻撃を繰り出した。相手も攻撃型だったのか、乾いた接触音が、何度も辺りに鳴り響く。激闘の末、最後まで回転を止めなかったのは我がドランザーであった。2ゲーム目も同様の結果となり、私は危なげなく準決勝への進出を決めた。

 

 おもちゃを介した勝負事における、人生初の勝利である。純粋な嬉しさがこみ上げてきた。そして、幼いながらに、小さい手応えみたいなものを感じた記憶もある。「案外勝てるもんなんだな」という感覚だ。加えて、大会と言っても、そんなに気張らなくてよかったんだなと、とりあえずやってみることの大切さを実感した。

 

 しかし、一息つく暇もなく、続く2回戦で、私は早々に現実を分からせられることとなる。先ほどと同じように、ドランザーをスタジアムに投じる。ところが、その後の展開は1回戦と全く異なった。相手と全く接触しないのである。中央に鎮座する相手のベイブレード。その周辺をぐるぐると回り続ける私のドランザー。これがタイプの相性であり、まさにベイブレードの持つ戦略性の一つと言えよう。無駄に回転エネルギーを消費し続けたドランザーは、一度も相手に触れることなく回転を止めた。

 

 私は率直に驚いていた。何が起こったのかがよく分からなかった。これは自分の知っているベイブレードではない。友だちと遊ぶ中で、このような結末に遭遇したことはなかった。文字通りの完封負けであり、そもそも勝負は戦いを始める前に終わっていたのである。パニックを鎮める暇もなく、2ゲーム目が始まった。結果は同じ。1ゲーム目のリプレイを見ているかのようだった。

 

 準決勝敗退が確定し、なおも頭の整理がつかないままに、私は3位決定戦に臨まなければならなかった。考えがまとまらなくても、コマを回せば試合は進む。これがベイブレードのよいところだ。先ほどの試合とは打って変わって、またもやお互いが激突しあう展開となった。こうなればドランザーは強い。1回戦と同様に、難なく2勝を勝ち取った。人生初めての大会で、私は3位になった。

 

 放心状況のまま、簡単な表彰式が執り行われた。表彰状はない。しかし、賞品はあった。私が受け取ったのはベイブレード、キッズドラシエルだった。キッズドラシエル? 何だこのベイブレードは。私はその存在を知らなかった。漫画内で見たことがなかったからである*7。だからといって、嬉しくないわけはなかった。初めて出場した大会で、初めての賞品をもらう。それは私にとって、挑戦の結果得られた立派な勲章だった。

 

 この大会をきっかけに、私は様々なおもちゃの大会に出ることに……はならなかった。特に出たいという気持ちも芽生えなかった。1回で満足したのかもしれない。ただ、今思い返すと、これが「コンテンツを介して見知らぬ他者と関わる」ことの楽しさを知った原体験だったのではないか。

 歳を重ねるにつれて、「おもちゃ」自体からは少しずつ離れていってしまった。ベイブレードも手放し、今回の舞台であるおもちゃ屋も潰れてしまって久しい。しかし、試合後に対戦相手と握手をした、あのときのポジティブな感情は、今もたしかに胸の奥に残っている。

(本記事は上記コンテストで優秀賞をいただきました。)

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*1:この時代のゲームセンターはどこもそう言われていたと思うが

*2:バーチャルボーイNINTENDO64が置かれていた。私は『罪と罰』のノーコンクリアに夏休みを捧げていたが、結局達成できずに諦めた。

*3:なお、このように略したことは当時一度もなかった。

*4:ベイブレードを戦わせるフィールド。公式から発売されていたが、自作品を使っていた人も多いのではないか。私の場合はホットプレートの蓋を逆さまにしてスタジアムにしていた。

*5:よくよく考えると冷静なキャラクターではないかもしれない

*6:残念ながら、私はベイブレードと意思疎通できない。

*7:キッズドラシエルは商品として展開されただけで、結局漫画には登場しなかったと思われる。