死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

フクヤマニメ2に行ってきました(あるいは7分の3もしくは2との邂逅、または竹原紀行)

 考えるよりも先に体が動くというのは、私にとって非常に珍しいことだ。しかし、ある夏の日のこと、何であるのかもよく分からぬままに、私はチケットの予約をしていた。思考よりも早く、私の右手は動いていたのである。その原因は疑いようもなく、かの田中美海山下七海高木美佑の3人の名前があったこと。そして、広島県福山市という土地でのイベントであることだった。加えれば、司会が天津向氏であることも、大きな要素であったことは言うまでもない。

 私見ながら、2か3かには大きな壁がある。あの7人の内2人が集まっている。これには特段何も感じない。狭い業界だ。そういうこともままあるだろう。しかしこれが3になると、途端に雰囲気が変わってくる。どうしても、あの声優ユニットのことを思い出してしまう。そのような場が設けられるのであれば、やはり私は行きたいと思う。さらに地方イベントとなれば、それはもう実質ツアーと同じである。だから私は、シナプスの赴くままに座席の予約を行ったのだった。

 というわけで、10月26~27日に開催されたフクヤマニメ2における、『田中美海×山下七海×高木美佑スペシャトークショー』および『山下七海×高木美佑 フクヤマニメ2開催記念サイン入りステッカーお渡し会』に参加してきた。以下はレポートという名のオタクの心情吐露であり、または周辺散策紀行である。このため、フクヤマニメ2自体がどうであったか、という視点の記事ではない点につき、予めご容赦願いたい。(7000字程度)

 

福山市に行く

 福山に行くのであればと、折角なので竹原まで行くことにした私は、とりあえず早めの新幹線で現地に向かうこととした。朝ぼらけの中駅まで向かい、かつその目的が地方遠征である状況が、昨年のツアー遠征時の光景を思い出させ、ほとんど乗客のいない在来線車両の中で、既に感傷的になっていた。休日にもかかわらず、わざわざオタクイベントのために早起きしているのだ。面白くないわけがない。

 新幹線車内で爆睡を決めたことで、福山には一瞬で到着した。実際近いものである。日本は狭い(けど広い)という感覚もまた、去年で得たものであるなあなどと思いつつ、イベントチケット発券のため福山駅前シネマモードへと向かった。先方の想定よりも来るのが少し早かったのか、現地では朝礼的な催しが開かれている最中だった。

 シネマモードはいわゆるミニシアター系の映画館であり、観客が待ち合うスペースを持っているわけでもない。運営面で気を張る部分も大きいだろうと考えながら、邪魔をしても悪いので周辺を一回りすることにした。

 戻ってくると、丁度自動発券機が起動したところだった。通常の映画チケットと変わりない形式で排出されるイベント参加券を財布にしまい、竹原へと向かった。

 

竹原到着

 竹原に来たのは、『たまゆら』でその存在を知ったものの一度も来たことがなく、いつかはと思っていたからだった。とはいえ、私が知っているたまゆらはhitotoseまでであり、もあぐれっしぶは未履修だ(しかしラジオは聞いていた気がする)。だからということではないが、たまゆらの聖地として訪れてみたいというかは、単に知ったから行ってみたいと思った、ぐらいが適切な表現である。

 竹原駅で降りた私をまず出迎えてくれたのは、少し色あせ始めたたまゆらの看板だった。「色あせ始めた」という表現に揶揄の意図は一切ない。hitotoseの放送が8年前になることを考えれば当然であり、そうであるのに未だ取り外されずに残っていることが、むしろ継続性を感じさせるようにも思われた。

 相変わらず無計画に行動しているため、着いてから、この週末が『憧憬の路』なる催しの実施日であることを知った。どおりで人が多いわけである。いや、いつもこれぐらい賑々しいのかもしれないが。

 ドーマル重に舌鼓を打った後、ももねこ様であふれる駅前商店街を抜け、町並み保存地区へと向かう。目に映る景色は見たことあるような気もするし、見たことないような気もする。私の記憶などそんなものだ。

 しかし、ほり川さんはわかる。というか、たまゆらーの行列がその姿で教えてくれた。憧憬の路に合わせて、特別メニューを展開されていたらしい。並んでいる人からは笑顔がこぼれている。頻度の多寡は知らないが、定期的に訪れる人間がいるのであれば、たまゆらは観光資源としてしっかりと成功したのではないか、などと考えると同時に、いつか見た、ほり川さんの厨房でお好み焼きを作る松来未祐さんの姿を思い出していた。

 

 西方寺の普明閣まで足を運び、予定していたメインミッションは完了。方々歩き、想像上の夜の竹原に後ろ髪を引かれながら、私は福山市へと戻ることにした。

 

再度福山

 福山駅に帰ってくると、そこそこに強い雨が私を出迎えてくれた。レジェンド雨ウーマンばりのジンクスを信じかけてしまうが、たまたまだろう。商店街の屋根にぶつかる雨音を聞きながら、より軽くなった足取りでシネマモードへと向かった。

 

入場

 劇場やホールの椅子と比べると、映画館のそれは非常に満足度が高い。座面も背もたれもフカフカで、何時間でも座っていられそうだった。ここで小難しい映画を見たらおそらく寝る。さらに足元が広く、また隣席との余裕もあるためとにかく快適である。いつも行っている映画館はどうだったっけ? 

 映画館と一般的な劇場とでは、客席の設計思想が違うのかなとも思った。世の中の劇場・ホールがすべてこのレベルの座席になればいいのに、などと思うがコストや席数とのトレードオフであることは言うまでもなく、難しいのだろう。

 開演を待つ間、前方スクリーンに映し出された「スペシャトークショー」の文字を見て、改めて考えていた。「何のトークするんや?」 何と言っても、公式サイトには「トークショー」としか書いていないのである。また、向さんはともかく、残りの3人に広島と由縁があった覚えもない。が、考えるだけ無駄である。いざというときには向さんもいるし、まあなんとかなるだろう。余談だが、天津さんに関してはYoutubeに上がっている『新幹線を好きすぎる人』の漫才が私は好きである。
 

開演

 定刻になり、客席横の扉からから向さんが現れた。この日は朝から司会続きということもあり、若干息が上がっている。それに応じてマイクの電波も荒かった。以降、トークショー中においては、向さんのマイクだけ音声が途切れ途切れになるとの司会泣かせのインシデントが継続するが、さすがはプロフェッショナル。上手いタイミングでそれを拾い笑いに変えつつ、しかし引っ張りすぎずでスムーズに進行を促していった。舞台上に立つプロは格好いいのだ。

 そんな向さんの呼び込みにより、ついにお三方が登場した。山下さんと高木さんはハッカドールでお見かけしたから、言うても感覚的には最近であるが、田中さんに関してはそれこそ3/8以来である。久しぶりに想像上の存在でないことを確認できた私は、もうそれだけで満足していた。

 フリートークに始まった(自称)台本のないイベントは、4人の共同作業によってつつがなく進んでいった。(ある種の)地方いじりや、登壇者と広島との縁について等、突発的ご当地CM再現コールアンドレスポンスなどを挟みながら盛り上がりを見せていく。ところで、山下さんの「カヌー(↑)」発言は、そのアクセント位置がいじられるところまで含めて関西人特有に思えるけれども、英語的には〔kənúː〕であるから特に誤りではない(どうでもよい話)。また、お兄さまが大学時代にやられていたのは、おそらくレガッタではないか(やはりどうでもよい話)。

 

 一通り喋り終えた後、次は指差しトークのコーナーへと移った。指差しトークとは、「この中で一番〇〇な人は?」との質問に対して、いっせーのーで指を差し合い、わちゃわちゃ話し合うというものである。つまり、実質的には『がんばっぺレディオ』のワンコーナーである「なんでもナンバーワン!?」に等しい。これは向さんなり運営さんなりが狙ったのか、そうでないのかは分からないけれども、福山市の地において、かのラジオが復活していたのである。

 あーだこーだと話す3人や、話の中でその場にいない他メンバー(もとい青山吉能さん)の名前が出てくるところを見て、ひどく懐かしく感じられたとともに、「この人たちの集まるところがWUGなのか」との実感を強く得ることとなった。

 

 最後のコーナーは、3人で新しいアニメのタイトルを考えるというもの。去年に引き続きということらしい。ここに来ると客席との絡みは少なくなるのだが、却ってここで過ごす時間が貴重なものであるように思われた。3人が舞台上で話し合っている。その姿を傍観者的に観る。ライブとはまた異なった趣である。

 

 楽しい時間はすぐに終わってしまう。幾度となく経験してきてはいるけれども、終わるときの寂しさには慣れない。しかし私のように余韻に浸るオタクがいる一方で、夜の福山はハロウィンに沸いていた。この日はフクヤマニメ2とともに、ハロウィン夜店なる企画も行われていたのである。

 商店街が仮装者で埋め尽くされていた。とにかく年齢層が若い! この場において、コスプレとはマリオやミニオンズのオーバーオールを羽織ることであり、原作を再現して登場人物になりきることではないのだ。みんな楽しそうに笑っていて、私のような男は場違いである。そそくさと店舗に入って広島焼きを食べ、ホテルへと向かった。

 

 ハロウィンが適切は置いておくとして、地域の祭と(全国からの集客が見込めそうな)オタクイベントを併せるのは一つの振興方法なのだろう。演者や制作者を呼んでイベントを開くのは、あくまでもカンフル剤的な発想であり、一時的な集客は見込めても、長期的な視点で見たときには、それだけに頼り続けることは難しいと思われる。どうしても出演料は予算を圧迫するだろうし、そういったイベントに参加するためだけに来て、特にお金も使わず帰ってしまう人もいるだろうから難しい。*1

 イベントがあるからその土地に行くのではなくて、その土地に行くついでにイベントがある、というのが一つの理想的な形と言えるか。オタク要素はあくまでも副次的なものとして展開したほうが案外うまくいくのかもしれない。もちろん、最初のきっかけづくりとしてそういった要素を利用するのは大いにありだろう。結局のところ、楽しければ人はお金を落とす。(身も蓋もない)

 

翌朝

 お渡し会は昼からであったため、午前中は福山駅周辺を散策することにした。具体的には、とりあえず駅近くにそびえる福山城へと向かった。

 この日、城公園内では菊花展が行われていた。まだ時期ではないのか、満開というわけではなかったけれども、咲いたら壮観なのだろうとは思った。複数作品出展している方や、学校の部活動として出されたもの等、世間の広さを感じた。どういうきっかけで菊を育ててみようと思うのか、純粋に気になるところである。

 また、丁度(なのか)ひろしまトリエンナーレのプレイベントとして、月見櫓内で作品の展示が行われていた。つい最近にあいちトリエンナーレに行ったこともあり、若干そういうものへの興味が大きくなっていた私は、ほうほうと思いながら見に行った。そこにあったのは、非常に謎解きパズル感のある空間だった。などと言うと「分かってない」と怒られそうであるが、すぐにゲームと結びつけてしまう人間の個人的な感想として、ここは一つ大目に見ていただきたい。

 

 城からふくやま美術館の方へ向かうと、唐突に大聖堂のような建物が視線の先に現れた。アノール・ロンドである。調べれば結婚式場だとわかるが、後ろにはSEKIRO、前にはダークソウルとも言える布陣に、フロムファンは多分興奮する(何の話)。

 またこの日、美術館横では囲碁の百面打ちが開催されていた。といっても、私が行ったときにはその準備段階だったのだが、芝生の上かつ青空の下にズラッと並ぶテーブルと碁盤の姿は、非常に平和な光景だった。というか百面打ちってなんや。一手何秒でやるんや。

 

 その後もふらふらと辺りをさまよい、お渡し会の時間が近づいてきたところで、再度シネマモードへと向かった。さあ、いよいよである。

 

お渡し会

 「いよいよである」と意気込んだものの、「ステッカーお渡し会」が何であるのか、やはり分かってはいなかった。まずステッカーとはなにか。そして言葉を交わす時間はあるのか。そもそもどういう構成で行われるのか。様々なことがわからない。わからない時にできることは待つことだけであるから、昨日と同じように前方スクリーンを見つめながら、「もし会話する余裕あったとして何を伝えるべきか」を延々と考えていた。

 そうこうしている内に定刻となり、お渡し会が始まった。運営さんの説明によれば、客席前列から順番に後方の出入り口へと向かい、扉の向こうでステッカーの交付が行われるということである。客席は言わば豪華な待合室であり、どこの位置に座っていようが関係がない。オタク皆平等である。

 扉の向こうからは何となく二人の明るい声が漏れ聞こえてくる。その時私が思い出したのは、最近読んだ『スナックバス江』(第17夜)から得たさしすせそだった。

・さすが~

・しらなかった~

・すご~い

・せっかくだから~

・そうなんだ~

 壁一枚を隔てた空間から聞こえてくる「そうなんですね~!」に、私はコミュニケーション強者の実力を感じ、震えていた。それは恐怖からくるものではない。これからそのレベルの人間と対峙することへの武者震いであった。

 

 私の座席は比較的後方だったため、時間的な猶予があり、そのおかげで対応方針を固めることができた。端的には、ありがとうbotと化すことにした。

・去年にWUGを知りました
・最初で最後の一年間を一緒に走れて本当に楽しかったです
・そんな時間と空間を作ってくれてありがとうございました
・これからもお体に気をつけてお仕事頑張ってください

 ただひたすらにこの4項目を伝えることに集中する。早口にならないように意識して、頭の中で口になじませる。もし途中に相手の相槌が挟まったとしても、10秒超で終えられるだろう。何秒もらえるかは分からないが、できれば剥がされないようにしたい。剥がされるということは、持ち時間をオーバーしているということだからだ(個人の感想です)。

 そうは言っても順番はなかなか回ってこない。待てば待つほどに緊張感は高まっていく。周りを見渡すと、同じように硬い表情をしている人が見受けられた。一人一人がその時を待つ空間は、何に選ばれるわけでもないけれども、さながらオーディション会場のように感じられた(行ったことないけど)。中には複数のチケットを購入し、楽しそうに2,3回と繰り返し列に並ぶ方もいた。そういうのもあるのか。

 

 体感60分、実質その半分以下の時間が経過し、とうとう私の列の順番がやってきた。集中を切らさぬように意識しながら移動する。扉が近づいてくるにつれて、二人(とオタク)の声は大きくなる。ついにその姿を目で捉えたとき、再び私はそこに二人が存在していることに感動していた。ホログラムでもなければアンドロイドでもない。現実の人間なのである。さらに言えば、マイクを通した電気信号ではない、二人の本物の声が、私の鼓膜を揺らしている。

 と、涙目になっている場合ではない。私は先達の会話時間を計った。剥がされるまでは場合にもよるが、大まかに言って10~15秒。これであれば文章の再構成は必要ない。イメージ通りやればよい。そうして、ついに私の番がやってきた。スタッフに促され、まずは山下さんの前へと足を進めた。

 

 お互いに「こんにちは」で口火を切る。山下さんからステッカーを受け取る。さあここからだ。「私、去年からWUGを知りまして、」と言葉を発したところで、山下さんが「そうだったんですね!」と相づちを打つ。ここまでは想像通りだ。何の問題もない。後は言葉を流し続けるだけ。それは一方的な感情の吐露であり、もはや会話ではないかもしれないけれど、今日はそれでいい。

 「お仕事頑張ってくださいね」と言い終えた私に、山下さんは「また色々なお仕事やってるのでぜひ来てくださいね!」と明るく返してくれた。「はい!」と言いながら目線をずらすと、隣も丁度話を終えたところ。後ろを確認すると、まだスタッフの手が伸びてくる気配はない。目配せをしてお互いに頷く。第一戦は問題なく終えられたようだ。山下さんにお辞儀をして、一歩右へ移動した。

 

 再度、お互いに「こんにちは」で口火を切る。違うのは目の前にいるのが高木さんという点だけだ。面白みは薄いけれど、奇をてらう必要はない。言うことはさっきと同じ。しかし、一戦を終えて学習したありがとうbotは、よりなめらかに言語を処理できるようになり、少しであれば発する言葉以外に注意を向けることが可能となっていた。話しながら目の前の存在をじっと見つめる。そこにはあの高木さんの笑顔が、いつものように弾けていた。こんなに素晴らしいことがあるだろうか。人生もなかなか、悪いものではない。

 

 お渡し会を終えた私は、会場外で一人感慨にふけっていた。その感慨が何であるのかは相変わらずよく分からない。純粋に近くで会えて嬉しかったのだろうし、あるいは初めて直接に「ありがとう」を伝えられたことに満足感を得ていたのかもしれない。とにかく言葉がなかったし、言葉にならなかった。他のオタクと合流してもそれは変わらず、お互いに「何なんでしょうねえこの感情…」と言いながら尾道ラーメンを食べた。

 帰りの新幹線でも思考は巡った。その中で一つ思ったのは、「今後、どこかで残りの5人にも感謝を伝えられたら」ということだった。よくよく考えれば、別に直接である必要性はない。ただ、そのときはそれを名案と感じたのだ。

 二人から頂いたステッカーは、それぞれ紫と橙色だった。はたして、まだその面影を追いかけることは許されるだろうか。7人全員に感謝を伝え終えられたとき、私のオタク人生はまた一段落を迎えるように思う。もちろん、その日が来る保証は全くないことも含めて、とりあえずは心身ともに健康で生きていきたい。来年は鞆の浦に行こうかしら。
 

*1:その点で言うと、私が遠征で地域に落とすお金といえば、平均的な宿泊費と飲食代(お土産含む)ぐらいであり、実際どれぐらい有意に貢献できているのかはいつも疑問である。もちろん貢献する義務があるわけでもないのだが…一方で場を用意してくれたことへの感謝の意を態度で示す必要はあるのではとも思う