死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

何が記憶に残ったか。何を記録に残したか。―Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME - PARTⅠ・ⅡのBDを見ての雑記―

 人間は良くも悪くも忘れる動物であるが、その性質はなかなかにままならない。忘れたくないことを忘れる。忘れたいのにいつまでも覚えている。全くもってままならないものである。

 1年前の今日、私は何をしていたか。もちろん記憶はおぼろげだが、記録を辿ればすぐに分かる。何を隠そうブログの記事を書いていた。そして、何について書いていたのかと言えば、その前日に初めて観た、声優ユニットWake Up, Girls!のライブについてであった。

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 幕張メッセのイベントホールで開催された『Green Leaves Fes』。本公演は、残念ながら、現時点ではBD化等されておらず、当時の様子を観るには自分の記憶を頼るしかない。だから「映像があればなあ。記録があればなあ。」と思うところはある。これまた残念なことに、私の脳容量では、その光景を仔細に思い出すことが困難だからだ。ただそれでも、「ある種の衝撃を受けた」との抽象的な記憶が、私の中にはしっかりと残っている。

 2019年3月をもって、声優ユニットWake Up, Girls!は約6年間の活動に幕を閉じた。『HOME』と銘打たれ、最後の約八ヶ月を通して実施されたライブツアー(以下、「HOMEツアー」という。)は、年を跨いでの三部構成。インフルエンザも麻疹も何のその。メンバー誰一人欠けることなく、7人は(そしてワグナーも)全12会場33公演を走りきった。一つ一つが忘れられない公演であり、忘れたくない公演であり、そうであるから私も、一つが終わる度に、その記憶を無心に文字へおこした。決して正確とは言えないが、もとよりそんなことは自分に期待していない。とにかく「何かがあった」ことを私は覚えていたかったのであり、それゆえに不格好な記録を残していったのである。

 ところで、残された「記録」はどういう意味を持つだろうか。より正確に言えば、私のような一ファンではなく、「公式の立場によって残された記録」はどういう意味を持つだろうか。思うに、それは「正しい」歴史を構成する資料の一つとなる。当事者(語り部)がいなくなった状況下において、歴史を教えてくれるのは資料だけである。資料を通して何があったのかを知れる。資料にないことは知れないし、実際にかかわらず、資料の示す内容が、すなわち真実だと解されてしまいうる点は否定できないだろう。一歩間違えれば大本営発表だが、記録を残す側は「後の世代にどのように解釈してほしいか」を念頭に置くことができるのである。

 3月29日、HOMEツアーPart1のBDが発売された。

  収録されているのは千秋楽・大宮公演(夜)のみ。ファンクラブ特典を付けて売り出すわけでもない、例によってシンプルなケースにシンプルな収録内容。らしいと言えばそうかもしれない。個人的には、省スペースでとてもありがたい仕様である。

 それはそれとして内容の話である。ANIMAXでの先行放送を視聴した時から思っていたのだが、全編を通して視聴し、重ねて思う。このザラついた画作りは何なんだろう。 

 「ザラついた」という表現が適切かは分からないが、とにかく私は、このような色調で収録されたライブ映像を見たことがなかった。とはいえ、私が近時で見たものといえば、WUGの過去作を始めとして、アイマス9thにデレマス3rd、そしてワルキューレ3rdぐらいしかないので、もしかすると最近はこういうのが流行りなのかもしれない。もしくは、照明やスクリーンの影響か。はたまたカメラの性能でそうなっているだけか。3月以降に、どこかでどなたかが語っていたら恐縮だが、要はこの画作りが意図的なのかそうではないのか、私は分かっていない。

 そう思いながら、先週に届いた5周年記念ライブの映像を見てみると……ザラついていない。ということは、意図的な編集と考えた方が(もちろん本当のところは知らないが)面白そうである。

 こうすることで、映像にはどのような効果が生じるだろうか。素人目には、端的に「映像作品感」が増す。どこか現実感がないのである*1。カメラワークや照明効果もそれを倍加させている。「当時のライブを収録した映像」というかは、もはや「ライブをテーマにした創作物」のように見えてくる。通常であれば、視聴者を現実に引き戻しかねない映像中の観客も、この場においては、もはや出演者の集合体として存在しているかのようだ。はたして、数年後(もっと長いスパンでもいいが)にワグナーでも何でもない人が、この映像を見た時にはどう感じるだろうか。大げさにはなるが、Wake Up, Girls!という1コンテンツの劇中劇のように感じられるのではないか。

 加えてセットリストはキレイでありオシャレで格好よくてかわいい。過度におちゃらけるわけではないMCや、キャラを演じるリーディングライブは楽しくて面白く、「いろいろなことができるユニットだったんだな」ということが分かる。ファンとしての贔屓目はあろう。しかし、このBDを見た人は「いいユニットがいたんだな」と感じてくれるのではないだろうか。だから私は、「そういう風に見てもらえる」ように、比較的きっちりしっかりキレイにまとまった構成の映像を残しているのではないか、言い換えれば、それが「記録」として残したかった姿なのではないかと、ぼんやり考えていた。

 続く4月26日には、HOMEツアーPart2のBDが発売された。

Wake Up, Girls!  FINAL TOUR - HOME -~ PART II FANTASIA ~ [Blu-ray]

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART II FANTASIA ~ [Blu-ray]

 

  Part1のそれと同様、収録されているのは数ある中の一公演。千秋楽・横須賀公演(夜)のみ。印象的だったのは、あの楽しかったクリスマス企画部分が、ほぼ全編カットされていたことである。歌のお姉さんにカラオケの二人、とらドラの三人もここにはいない。

 しかし、そうすることによって、結果的には内容全体が引き締まったように思われる。権利関係上そうなっただけの気もするが、ここもまた、「ワグナーでも何でもない人がこの映像を見たときにどう感じるか」との尺度で考えてみよう。後にSSA発表の瞬間を迎えることを考えると、リーディングライブに重ねて、クリスマス企画でさらに緊張を緩和させる必要性はない。そこはFANTASIAにおける熱狂が最高潮に達する瞬間であるからだ(客席を捉えたあのカメラワークもそれを引き立てるための演出であろう)。後の視聴者がPart1から順番に見るだろうことを前提にすれば、彼らはPart1で7人が展開するエンターテインメントの基盤を理解した上で、Part2スキノスキルからJewelry Wonderland一連の流れでその多様さを認識し、リーディングライブで役者としての姿を見た後、雫の冠で緊張を高めきった上で、SSAからのBeyond the Bottomによってそれを爆発させるのである。*2

 残された記録は一定の時間を経て歴史となる。私は映像を見て、当時を追体験*3しながら、彼女たちが何を残したかったのかを考える。どのようなWake Up, Girls!の姿を残したかったのかを考える。楽しいだけがWUGではない。しかし悲しいだけがWUGでもない。そういった多面性を持つWUGが、一般市場に流通する映像として、歴史として残したかった姿とは何であるのか。それは抽象的には「すごい7人」であり、具体的には「素晴らしい楽曲群を背中に、様々な舞台効果を最大限に活用し、練度の高いダンスと歌をもって、ステージを媒介に一つの作品を生み出すことのできる表現者7人」の姿だったのではないか、などと考えるのである。

 ところで、「一般市場に」と書いたのは、そうではないがこの世に残る映像もあるからだ。すなわち、ANIMAXで放送された大宮公演ドキュメンタリー*4、わぐらぶに掲載された動画、東北6県ツアーパンフレットURAに収録された映像たちである。

 これらは、HOMEツアーBD群が紡ぐストーリーを補うものである。ともすれば、それら自体に特典映像として収録する選択肢もあったであろうに、そうはしなかった。単に商業的な判断からであろうが、結果としてこれらの映像を見るのは、当時の時点でわぐらぶに入会する程度にはワグナーであった人間に限られ、言うまでもなく、2019年4月以降にWUGを知った人がたどり着くのは難しい。したがって、間違いなく「記録」として残されているのだが、しかし「記録」ではないように思える。

 また、市原公演のワクワクや、岸和田・座間公演のワチャワチャ、そして各凱旋公演の感動の多くが映像として記録に残らない。それらもまた、WUGの魅力を表す重要な要素であるはずなのに、彼女たちの想いの多くが残らない。あるのは薄ぼんやりとした個人的な記憶だけである。

 だから私は、7人が私たちの「記憶」の中に残したかった姿と、「記録」として残したかった姿の間隙に想いを馳せる。5月31日にはPart3のBDが発売される。はたして、収録映像はどのような内容になるだろうか*5。それを見たとき、私は何を受け取るだろうか。自覚的に言えば、本記事の全ては与太話にすぎない。しかし、このようなことをつらつらと考える程度には、私の中では、「声優ユニットとしてのWake Up, Girls!」というコンテンツもまだ終わっていないのである*6。もちろん、上手に忘れつつあると、胸を張って言うことはできるのだが。

*1:ライブ自体がそうであっただけと言えるかもしれないが。

*2:「何かよくわからんが鳥肌がたった」とは、この映像を見た母の談である。(どうでもいい参考情報)

*3:などと言いつつ、大宮夜は参加していないから追いかけることはできないのだが。

*4:これが放映されたのはPart3終了後であったが、映像終わりの言葉を聞くに、本来はもう少し早く放送するはずだったのではないかと思っている。加えて言えば、Part2,3の分も制作するつもりだったのではと邪推する。

*5:仙台二日目夜であろうことは前提として。

*6:解散後にはメンバー間でもほぼ触れられなくなるんだろうなあと勝手に思っていたら全然そんなことはなく、物事を悪い方に考えるのはよくないなあと思った。