企業勢のVTuber、その中でも特に著名な方が卒業との運びになると、そのVTuberの帰趨はどうなるのかが話題に挙がる。
VTuberの卒業とは言いつつも、意味合いとしては「引退」が正しい。そして、よく「どうせまた他のVに転生するんだろ」とか「配信者時代の名義で活動するんだろ」などと言われ、それはそれでまた正しい。実際のところ、他の企業VTuberや個人勢VTuberとして、名前と格好を変えて活動を始める可能性がある。しかし、そうだとしても、今のそのVTuberとしての存在が終わりを迎える事実は変わらない。ここが普段VTuberに触れない方からすればイメージのわきにくいところだと思われる。
VTuberとはVTuberはキャラクターとしての側面と、演者の個性が組み合わさった存在である。同じアバターを被れば、誰でもそのVTuberになれるわけではないのだ。あくまでも、アバターとその魂である配信者が二位一体となって初めて存在する。どちらかが欠ければそれは別の存在である。
したがって、VTuberの卒業とは、実質的には存在としての消滅を意味する。死と言ってもよい。もしかすると、その面影を持った存在とは、運が良ければインターネットの海で再会できるかもしれない。しかし、それまでである。あくまでも彼ら彼女らはまた別の存在である。
といった感覚をVTuberコンテンツの消費者は持っている、との前提を置いて、例えば株式会社アノニ所属のVTuber「増田はてな」が卒業することになったとしよう。増田はチャンネル登録者数200万人、総再生数は1億回、配信すれば同時接続者数が最低でも1万人を超える超人気VTuberである。
卒業によって表舞台から消失したVTuberの諸権利は、変わらず所属元の企業が保有している。ここで言う諸権利とは、当該VTuberの名称に係る商標権、およびイラストに係る著作権、その他増田名義で発表した楽曲・動画等のもろもろに係る権利等である。例えば、J-PlatPatで「湊あくあ」で検索してみると、複数の区分で商標権の登録がなされていると分かる。他の大手VTuberでも同様である。
当然ながら、アノニ社が保有するこれらの権利は、VTuberの卒業によって当然に消滅するわけではない。したがって、アノニ社は、増田の卒業後も、増田のイラスト等を用いてグッズを作成し、販売することができる。
しかし、おそらくアノニ社はそのような事業活動を行わないだろう*1。まず商業上の理由がある。端的に言って、グッズ展開をしても売れるかどうかがよく分からない。増田ファンからすれば、増田グッズを購入する行為には、増田を応援する意味を含んでいる。増田自身が活動を辞めるのに、グッズを購入しても意味がない(一方でキャラクター(造形)としての増田が好きであるために増田卒業後の継続的なグッズ展開を喜ぶファンや、復帰の可能性を願って積極的に購入するファンもいるだろう。)。
次に、VTuberという存在の構造上の理由がある。VTuberとは見た目キャラクターであるが、その実は実態をもったタレントである。そうすると、活動を終了したタレントのグッズを売るという行為には必然性がないのである。ファンからすれば、消失した存在を金銭的利益を得るためだけに利用しているといった印象を与えかねず、また死んだ者を黄泉から生き返らせて無理矢理に働かせているような嫌悪感も惹起するだろう。企業側には、そのようなデメリットを受容してまで、商品展開を行う積極的理由がない。*2。
そうすると、アノニ社としては増田の諸権利を塩漬けにしておくほかない。商品展開はできず、他社に売却することもできない。かといって放棄もできない。ただ、商標権の登録期間が経過するたびに更新料を支払うだけの死蔵品となる。
以上のような状況が生まれることから、卒業した本人に諸権利を譲渡するのはどうか、との議論が生じることになる。例えば、増田の魂である個人配信者:道長門左衛門に、増田の諸権利を一切合切譲渡する。この仮定は、道長自身が、今後も増田として活動する意思(活動したいという考え)を持っていることが前提だが、一旦さまざまな問題を全て横に置くと、道長、そして増田(および道長)のファンにとってはポジティブな選択肢の一つとなるだろう。
一方で、企業側には譲渡するメリットがほとんどない。一応、諸権利譲渡の対価として金銭を受け取る選択肢がありうるが、企業側の母体が大きくなるほど、譲渡に際する金額も大きくなるだろうし、そうするとVTuber側が一括で支払うのは難しく、かといって企業側からすれば今後の資力が全く明らかでない者との間で分割の支払い契約を締結する理由がない(担保もなしに)。また、現在自社に所属する他の演者および今後自社への所属を希望する者に対して、自社に所属するからこそのメリットを訴求しにくくなる。この点、ななしいんくでは、小森めとがその名称とアバターをもって他社に移籍し、また周防パトラが個人勢へと転換したが、特殊な事例と言って差し支えないだろう。例えばアノニ社が資金繰りに悩んでおり*3、少しでも現金が必要な状況であれば、取引の交渉としては成立しうるが、そうでなければ選択肢として挙がらないと想定される。
そうすると、道長は増田の名前を使用できなくなるわけだが、ここで想起されるのは、契約上の芸名無断使用禁止条項が有効と言えるかが訴訟上で争われた事例である。
本件では、マネジメント契約において、タレントのパブリシティ権等すべての権利が何ら制限なく原始的に原告に帰属する条項、および契約終了後も事務所の承諾のない芸名使用を禁ずる条項があったところ、これら条項が有効と言えるかが争点となった。裁判所は、当該契約がすでに終了していることを前提に、芸名に係るいわゆるパブリシティ権が事務所ではなく本来的にタレントに属するものであるとしたうえで、合理的な範囲を超えて、被告の利益を制約するものであるうべきであり、社会的相当性を欠き、公序良俗に反するものとして無効になる旨、および芸名使用に係る条項についても、少なくとも本件契約の終了後も無期限に事務所側に芸名の使用の諾否の権限を認めている部分は同様に無効である旨判示した。
本件は芸名のパブリシティ権が本来的にはタレント側に帰属するものとの立場を取る。そうすると、VTuberでも同様の議論が展開できるのではないか。ただ、注意すべき点として、本件は商標権との関係において判断がなされたケースではない。あくまでも、芸名にパブリシティ権が生じるとの理解に立ったうえで、事務所とタレントとの契約上、当該権利が原始的に事務所側に帰属するとの条項が存在するところ、当該条項が有効であるかどうかが争われたものである。したがって、そもそもどのような契約条件であるかから話を始める必要がある。
その上で、仮に当該芸名が事務所によって商標登録されていた場合には、商標権とパブリシティ権との競合が生じる。このとき、パブリシティ権を人格権的利益の一つと捉えるならば、財産権的利益たる商標権との利益衡量はどうなるか。(このような論の立て方が妥当であるかは分からない)
近時の発信者開示請求訴訟において、VTuberの名称が魂たる演者本人を指すことが認定された事例が存在する。
そうすると、増田はてな=道長であることが法的にも認定される状況において、道長に対して増田の名称を使用することを禁じるのは、依然妥当であると言えるか。すなわち、増田が架空のキャラクターの名称ではなく、道長を示す一芸名であると認定される状況下において、道長に増田の名称使用を禁じることは妥当と言えるか。こうなると、事は芸名禁止条項に係る議論に接近しうるのではないか。特に、増田の名称・イラストを用いた商品展開がなされない(商標権等の利用実態が見受けられない)期間が一定程度経過したような場合にはどうか。
ただし、仮に名称使用が何らかの形で認められるとしても、アバターの権利はまた別であるから、それで一体どうするかとの問題は残る。名称はそのままに、アバターは変更して活動することができても、VTuberの場合、視聴者の立場からすると、感覚的に難しい問題を孕むことは冒頭で述べたとおりである。また、楽曲等、企業所属時代に制作したコンテンツを継続的に活用できるかも別問題である。すなわち、名前と語り口は全く同じだが、容姿は異なる。過去の資産は無い。そのような状態で活動を続けるのが、本人・消費者にとって良いと言えるのかどうかは分からない。
そのほか、元同僚の参加するイベントには実質的に参加できないことによって不利益を被ると言える場合はどうだろうか。
言い換えれば、VTuberだから認められない権利・事項の境界線はどこにあるか。