死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

読書時の姿勢に迷う男

 本を読むという行為をするようになって数十年が経つが、いまだに姿勢に悩む。精神的な方ではなく、物理的な方の話である。通勤時などは必然的に立ちながら読むことが多い。首にダメージが行くのを避けたいがため、微妙に上方向を向くのだが、決して読みやすくはない。けれどもこれは仕方がない。つり革に書見台を付けてくれとは到底求められる話ではない。

 外出時は仕方がない。問題は家で本を読むときである。どのような姿勢で読むのが正解か。言い換えると一番楽であるか。人によるだろう。しかし共通的な最適解もあってしかるべきだ。なぜなら世界中の人間が人種国籍性別を問わず本を読んでいるわけだから。こうするのが一番楽だよ情報があるはずである。

 それはそれとして個人的な探求も怠るべきではない。まず椅子に座って読む方式。本は机の上に置く。非常にオーソドックス。一般的に言って、定番には定番になった理由がある。端的に言って、読みやすい。注意すべきは照明の位置だろう。机と照明の位置関係によっては、自分の影が文面を覆ってしまう。卓上のライトがあれば解決と思いきや、逆に眩しくて目が痛い場合もある。そして、首が痛い。見下ろす格好になるのは立って読むときと変わらないのである。

 では机上にさらに土台的な何かを設けて、その上に書見台を置いて読むのはどうか。面倒くさい。あまりにものぐさな感想。しかし、アクセス性の良さは重要である。ゲーム機が起動するまでの時間でゲームをする気がしなびていくのと理論的には同じだ。読みたい気持ちそのままに本を開いて読む。その間にインターバルが挟まると、あれやこれやが頭をよぎり、もはや読書どころではなくなってしまう。

 では、机上に置かない選択肢はどうか。椅子には座る。しかし、本は机に置かない。どうするかといえば手で持つのである。立って読むときと同じ、片手・両手で持って眼の前に掲げるタイプ。自分が土台に近づくのではなく、土台を自分に近づける。いわゆる逆の発想である。これはよい。読みやすい。ただ、重大な問題点がある。手がしんどいのである。必然的欠陥。しかし、解決策もある。肘を支点として机の上に置くのである。さながらシーソー、テコの原理。くの字に折れ曲がった私の両腕は、私と本の重みを適切に机へと逃がしてくれる。あるいは、机の縁に本の背表紙をもたれかからせる。効用は同じだ。これぞ物理学。科学の勝利である。ところが、このようにするとまた一つ課題が生じる。下向きになって首がしんどいのである。

 そのほか、寝転がって上に掲げる、同じく寝転がって横向きに読む、このようにいろいろと方法はあるが、いずれも手・腰・首・目のどれかまたはどれもに負担をかけることになる。つまり読書とはどうあがいても身体的負担を避けられない行為であり、その意味で身体的限界が存在する行為なのである。というわけで、何よりも重大な結論はただ一つ。読めるうちに読んでおきましょう。