死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

探していたブラウザゲームが見つかりました(あるいは、アドベンチャーゲーム『BARATARIO(バラタリオ)』について。)

 

 二年前に以下のような記事を書いた。

 

sorobanya.com

 

 見つかりました。

 

 私が探していた、

 

・ブラウザ上で遊べるポイント・アンド・クリックアドベンチャーである

・2000年代前半には存在していたと思われる

・ホラーとSFと何かが混ざりあったような世界観である

大航海時代っぽい世界で大型の木造船に乗ったり、バイオハザードの研究施設的なところに赴いたりする

・ヒロイン(実写か3Dで表現)を追いかけてこの世界に迷い込んでしまった、みたいな感じだった気もする(非常に曖昧)

・リアルなゾンビ(っぽいグロテスクで怖いモンスター。それこそバイオハザードに登場しそうな)が敵として登場する

・なぜか作中にドンペンくん(ドン・キホーテの公式キャラクター)が登場する

 

といった特徴を持つブラウザゲームは、2000年当時にドン・キホーテが開設した、PC向けのWebサイト「ラマンチャ・ネット」にてプレイが可能だったアドベンチャーゲームBARATARIO(バラタリオ)』でした。

 

ryuji.s1.xrea.com

 

k-tai.watch.impress.co.jp

 

 

 まさかのドン・キホーテ直営だった。ドンペンくんを無断使用するほどに無法なインターネットではなかったようである。上記のリリースを見ると、全3部構成だったようだが、私が触れたのはおそらく第1部のみだ。シリーズ展開する前に終わってしまったんだろうか……と思ったが、どうやらそうでもないらしい。ラマンチャ・ネットを含めて制作を担当した、ティファナ・ドットコム社の実績に説明があった。

 

 

www.tifana.com

 

当時としてはめずらしい、全面フル3DCGによるFlashのWebゲームを制作しました。
「怖すぎる」などの苦情を頂きつつも、段階的に公開し、感動のエンディングまで制作し、その後もケータイ小説による裏設定の展開など、エンタメ性の高いコンテンツの制作を行いました。

 

 説明書きがもう「それ」でしかない。きちんと完結し、他メディア展開までされていた。惜しむらくは、エンディングにしろケータイ小説にしろ、それらに触れる機会は今後訪れそうにないことである。

 

 以下、悪あがきでしかないが、せっかくURLが分かったので、みんな大好きウェイバックマシンで時間を遡ってみよう。最古の記録は2000年。画面上には「ラ・マンチャ」の文字と海上に浮かぶ島が映っている。再度、先述のリリースを見るに、ラマンチャ・ネットはポータルサイトっぽいので、島のアトラクションの一つとして、バラタリオがあったということだろうか。ちなみに、そのようなサイト構成の記憶はまったくない。

 以降、どこかのタイミングでFLASH化したようだが、サポート切れした現代では残念ながらなにもできない。そんな中、2001年当時のサイト構成が何となくうかがい知れる。サイト上に存在するゲームコンテンツはバラタリオだけだったようだ。続いて、サイトマップがあるので覗いてみると、そこではサイトの更新情報が掲載されており、2001年12月12日付けで「バラタリオ第3フェーズ「眉の森」の章、公開しました。」との記載がある。やはりしっかりとコンテンツの展開はなされていたようだ。ところで、「眉の森」の章と聞いて非常に内容が気になるのだが、やはり確かめようはない。

 

 さて、そうしているうちにラマンチャ・ネットが一区切りすることとなる。2001年4月12日時点ではラマンチャ・ネットがすでにその役目を終えている。すなわち、「ラ・マンチャアイランズドン・キホーテのHP「ドンキ王国」と融合し、「ラ・マンチャパーク」と名前を変え」ることとなったそうだ。いつの間にラマンチャ・ネットがラ・マンチャアイランズに変わったのかもよく分からないが、ともあれ独立したコンテンツとして運営されていたサイトが、企業サイトの一部分として形態を変えることとなったようである。

 

 ということで、ドンキ王国の方も辿ってみると、2001年2月1日時点ではトップページ下部にバラタリオのバナーが貼られており、メインコンテンツの一つとして扱われていたように見受けられる。

 バラタリオとは別に「ラ・マンチャ」へのリンクもあり、そこがラ・マンチャパークということらしい。更新履歴によれば、2001年1月16日にパークがオープンしたことが分かる。その時にここへバラタリオも引っ越ししてきた。なお、同日付でバラタリオのカルトクイズも公開されている。加えてバラタリオ内の(ドンペンが急に出てくることでおなじみの)ミニゲームを分離させて、独立して遊べるようにしたようである。その後、2003年に入るとドンキ王国はリニューアルされ、ラ・マンチャというワードとミニゲームは残るも、バラタリオは見られなくなった。そして2005年~2006年ごろには再びサイトリニューアルが行われ、ラ・マンチャの姿は消えた。

 

 以上が推察ではあるものの、今分かることの全てである。何かがどうにかなってSteamで配信されたりしないだろうかと思うが、受託開発であることからすれば、バラタリオの権利関係はドンキ側に帰属していそうで、根本的にそんなことをするメリットもないだろうから、望みは薄いと感じる。さみしいね。

 

 

 なお、本作にたどり着けたのはツイッター上でのやり取りがきっかけだったため、この場を借りて各位に厚く御礼を申し上げる。サンキューインターネット。フォーエバーインターネット。

 

 

自省録を読みに図書館に行って人生の短さを感じる

 唐突に自省録を読みたくなった。そういう作品を読んでおくとなんだか教養が深まりそうだからだ。毎度ながらこの考え方がそもそも無教養である。とはいえ、そのような単なる中二病の延長線心だけでなく、「自省するか~」の心持ちになったからでもあった。

 自省録を読むのは初めてではない。最後に触れたのは数年前で、その時も同じように自省心が芽生えていた。しかし、その時は途中で読むのをやめた覚えがある。もとい、そもそも通読するタイプの作品ではないのだと思う。物語じゃないからね。

 古典を読むには図書館に行くに限る。まず間違いなく所蔵しているし、高い確率で誰も読んでいない。そもそも書架に保管されていて表に出ていないことも多い。そういう書物を図書館で借りると特をした気分になる。案の定、自省録は誰にも借りられていなかった。

 あらためて読むと、マルクス・アウレリウスも現代人さながら、同じことをぐるぐると考え続けている感がある。複数回似たような話が出てくるのを見ると、そうは言ってもなかなか実践できないんやろなという感じがする。

 よく言及するテーマの一つに、人生はそう長くないという話がある。もう君は若くないのだからすべきことをしなさい、みたいな話である。程度は分からないが、そう何度も書くのだから、本人も人生に迷っていたのか。名言集によく引用される「一万年も生きるかのように行動するな」とか、やたらと過去でも未来でもなく今を見るように言うのも、裏返しから出た言葉だったのか……どうかはさておくとして、悩んでいるうちに人生終わってしまいますよ、今を見ましょうねというのは、マインドフルネス的な思考にも近しいし、漂流教室窪塚洋介も言っている。とはいえ、現実的にはなかなか振り切れないところでもある。

 今が永遠に続くかのような錯覚は、主に不幸を通じて覚めることが多い。身内が亡くなる。災害に見舞われる。当人にとっての衝撃が大きければ、それによって当たり前がないことに気がつく。気づいたほうが幸せなのかどうかは議論があろうが、錯覚したままよりかはよいように思う。ただ、一度そのように気づいたとしても、そのうち忘れてしまうことも多い。

 かくいう私も忘れるのだが、図書館や大型書店に来ると少しばかりは思い出すことができる。目の前に広がる本をすべて読もうと思っても、おそらくそのような時間は私に残されていない。健康体で老いを重ねられていったとしても、また実際に読むかどうかは関係なく、物量的に不可能であると思い知らされる。友人が母にひぐらし業を見せた時に「老い先短い人間になんてものを見せるんや!」と怒られたらしいが、このような感覚は歳をとるとなお強くなるのだろう。

 特別コンテンツ消費に限る話ではなく、一秒ごとに一秒老いているのは避けられない事実であり、そのたびに選択肢や可能性の幅は狭くなっていく。それこそ、どうこう言っても仕方がなく、すべきことをしようがしまいが時間は過ぎる。であれば、せめてもの悩む時間は少なくしたいところだが、そう簡単にもいかない。ただ、良くも悪くも、選択肢が少なくなることで楽になる部分もあるだろう。であれば、悩めるうちに悩んでおくのも、結果的にすべきことをしていることになるのではないか。一般悩んだ日々は決して無駄じゃない、と言う人もいるのだから。

 そしてこんなことを書くのは一度目ではないので、その意味で人間は変わらないのである。マルクス・アウレリウスもそう思うよな?