物事を評価する際、何をもって「終わり」とするのかは実際のところ一義的ではないような気がします。続いているけれども終わっていると看做される(捉えられる)ものもあれば、その逆も然りであり、ともすればまだ始まってすらいなかった、なんてこともありえるでしょう。
人生で考えますと、出生に始まり死によって終わると解するのが素直と思います。中には死してなお終わらない方もおられるでしょうが、それは非常に特異な例であって、原則的に死は誰しもに平等に課せられた不確定期限であります。明日、明後日に自己が自己として存在するかは、実は何にも保証されないわけですが、普段の生活でそれを意識することはほとんどないところ、何かの拍子に私たちはその現実に気付かされ、「ではその時を迎えるまでにどのように生きるべきか」なんてことを考えたりするわけです。
この点、究極的に人間というのは「死が訪れるまでは終わらない」と言い換えることができるでしょう。私たちは生きていく中で、様々な節目や区切りを迎えるわけですが、それらはあくまでも、物事が一段落するだけなのであって、私たちの人生そのものが終わりを告げるわけではありません。例えば、6年間の小学校生活を終えたとき、私たちは小学生という身分から「卒業」するわけですが、言うまでもなく、だからといってその先の未来までが途絶するわけではない。1ヶ月もしない内に、今度は「中学生」という身分になり、また前へ進み始めることになるわけです。
2019年3月8日金曜日。さいたまスーパーアリーナで開催された『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』をもって、声優ユニットWake Up, Girls!は約6年間の活動に幕を下ろしました。惜しまれながらの解散、と表現するのが適切でしょう。「もっとWake Up, Girls!による表現を見たかった」というのが、今の私の素直な気持ちでもあります。しかし、「解散」の事実を悲しむ気持ちは、実のところ今となってはほとんど持ちあわせていません。
「明日から人生の第2章が始まる」との青山さんの言葉は、いつも通り本質を捉えているように思います。「解散」がWUGを取り巻く様々な関係に別れを生じさせるのは事実ですが、結局それは(私たちにとっても)一つの「区切り」なのであって、何かが終わるわけではありません。コンテンツとしてのWUGはこれからも続き、私たちがワグナーであること、そして7人がWake Up, Girls! *1であることは変わらないのです。
吉岡さんは再び「忘れないで」と言いました。無論、私が忘れることはないでしょう。この日のこと、そしてWake Up, Girls!のことを。いつまでも輝ける思い出として覚えているでしょう。公演中、わたしは随所で涙を流しましたが、それは寂しさからくるものではなく、純粋な感動と感謝によるものでした。それもまた面白いなあと思うわけなのですが、ともあれ自分がこの日何を見て何を感じ、そして涙を流したのか、いつか見返して「そうだったね」と言えるように、想い出話を書き残しておこうと思います。
というわけで、以下には2019年3月8日金曜日に開催された『想い出のパレード』のネタバレが含まれます。また、一個人の記憶に基づく記述であり、正確性は保証されません。加えて、長文(約15000字)・乱文であるため、お読みいただける際には予めご了承いただけますと幸いです。
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