死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

Wake Up, Girls!の楽曲『ハートライン』について―ツアーを通じた役割の変化―

 ライブとは生物(なまもの)であるとよく言われるが、生物(いきもの)でもあるように思う。特にツアーという形式では、一定期間に亘って同種の演目が繰り返されるため、演者と客席が洗練されていくのにあわせ、曲自体が果たす役割というのも移り変わっていくように思われる。

 2018年7月から2019年2月(SSAも含めれば3月)に亘って開催された『Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -(以下、「ツアー」という。)』では、数え切れないほどの楽曲が、やはり数え切れないほどの回数演じられたわけであるが、中でも『ハートライン』は、ツアーを通して自身の立ち位置が変化していった、最も印象的な演目の一つであったから、今回その点を取りあげて備忘的な記録を書くことにした。内容としては、徳島公演の感想で言及したことの書き足しになる。なお、恐縮ながら、私はハートラインが生まれた頃のWUGを詳しく知らないため、いつも通り諸々話半分に読んでいただければ幸いである(6000字程度)。

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扉の向こう側へ―Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~に行ってきました―

 物事を評価する際、何をもって「終わり」とするのかは実際のところ一義的ではないような気がします。続いているけれども終わっていると看做される(捉えられる)ものもあれば、その逆も然りであり、ともすればまだ始まってすらいなかった、なんてこともありえるでしょう。

 人生で考えますと、出生に始まり死によって終わると解するのが素直と思います。中には死してなお終わらない方もおられるでしょうが、それは非常に特異な例であって、原則的に死は誰しもに平等に課せられた不確定期限であります。明日、明後日に自己が自己として存在するかは、実は何にも保証されないわけですが、普段の生活でそれを意識することはほとんどないところ、何かの拍子に私たちはその現実に気付かされ、「ではその時を迎えるまでにどのように生きるべきか」なんてことを考えたりするわけです。

 この点、究極的に人間というのは「死が訪れるまでは終わらない」と言い換えることができるでしょう。私たちは生きていく中で、様々な節目や区切りを迎えるわけですが、それらはあくまでも、物事が一段落するだけなのであって、私たちの人生そのものが終わりを告げるわけではありません。例えば、6年間の小学校生活を終えたとき、私たちは小学生という身分から「卒業」するわけですが、言うまでもなく、だからといってその先の未来までが途絶するわけではない。1ヶ月もしない内に、今度は「中学生」という身分になり、また前へ進み始めることになるわけです。

 2019年3月8日金曜日。さいたまスーパーアリーナで開催された『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』をもって、声優ユニットWake Up, Girls!は約6年間の活動に幕を下ろしました。惜しまれながらの解散、と表現するのが適切でしょう。「もっとWake Up, Girls!による表現を見たかった」というのが、今の私の素直な気持ちでもあります。しかし、「解散」の事実を悲しむ気持ちは、実のところ今となってはほとんど持ちあわせていません。

 「明日から人生の第2章が始まる」との青山さんの言葉は、いつも通り本質を捉えているように思います。「解散」がWUGを取り巻く様々な関係に別れを生じさせるのは事実ですが、結局それは(私たちにとっても)一つの「区切り」なのであって、何かが終わるわけではありません。コンテンツとしてのWUGはこれからも続き、私たちがワグナーであること、そして7人がWake Up, Girls! *1であることは変わらないのです。

 吉岡さんは再び「忘れないで」と言いました。無論、私が忘れることはないでしょう。この日のこと、そしてWake Up, Girls!のことを。いつまでも輝ける思い出として覚えているでしょう。公演中、わたしは随所で涙を流しましたが、それは寂しさからくるものではなく、純粋な感動と感謝によるものでした。それもまた面白いなあと思うわけなのですが、ともあれ自分がこの日何を見て何を感じ、そして涙を流したのか、いつか見返して「そうだったね」と言えるように、想い出話を書き残しておこうと思います。

 というわけで、以下には2019年3月8日金曜日に開催された『想い出のパレード』のネタバレが含まれます。また、一個人の記憶に基づく記述であり、正確性は保証されません。加えて、長文(約15000字)・乱文であるため、お読みいただける際には予めご了承いただけますと幸いです。

*1:多少概念的な言い方になるが、解散するからといって彼女たちがWake Up, Girls! でなくなるというわけではない。これは、解散後も彼女たちにであったことを意識させたいという話ではなく、実際そうでしょう、ということである。

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