今だけ月見食べ美のMVを見て、なんだか感動してしまうのは、そこに人生を感じるからだろう。
ここで言う人生とは、おそらく抽象的で概念的な人生だ。私は食べ美をとおして、人に積み重なった何かを受け取る(ように感じる)。これは食べ美の正体がなんだとか、MVのラストの演出がどうだとか、そういう要素ももちろんあるものの、一番には、食べ美がそこに実在するように感じられるからだと思われる。ただ、なぜそのように感じられるのかといえば、そこに人生を感じるからだというただの循環論法に陥るので、あまり明確な答えは持っていない。
そのうえで、あえて一つ要素を挙げるとすれば、私がMVを見る前に、下記のツイートを見ていたからであろう。前提として食べ美は実在しており、そして私が見たMVは、現実にロケをして撮影されたものなのである。
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— マクドナルド (@McDonaldsJapan) 2025年9月17日
という前提でMVを見ると、私はMVをMVとして見るのではなく、ある種のドキュメンタリーとして見ることになる。冒頭で足をぶらぶらさせている食べ美、を定点で写しているカメラがある。カメラの後ろには多くまたは数人のスタッフがいる。朝のうちにいくつかの撮影素材を集めたら、どこかで休憩したのだろうか。日が傾いていくタイミングを見計らってまた1シーンずつ撮っていく。
サビで挟まれる食べ美にズームしたカットは、別撮りだろうか。それとも、もう一台カメラを使っているのか。どこまでを1カットとして撮影しているのだろうか。食べ助のソロカットはカメラを地面に置いて? そういった、画角に映らない空間への想像が膨らんでいく。
夜道を歩くシーンはどうだろうか。一旦通しで1カット? スキップのシーンは別撮りだろう。カメラも後ろに移動しながらの撮影だ。しかも食べ助はかなり頑張ってジャンプし続けている。うさぎだから当然だろうと思うかもしれないが、彼はハムスターである(たぶん)。
ラストの月を見上げるシーンはどうか。普通に高低差を作って、そこによい横風が吹いているのか。もしかしたら横から扇風機をまわしているのかもしれないね。
もし気が向いたら、ぜひミュートにしてMVを見てほしい。実際の撮影は、おそらくそのような環境で行われたと思われるからだ。特に夜の住宅街ではそうだろう。合図とともにカメラが回り、ピンと張り詰めた静けさの中、食べ美と食べ助の足音が聞こえる。あるいは反対に、冒頭に戻って、道路横で車が行き交う音を想像してほしい。そういう環境で二人は踊っているのだ。その姿を、あなたもカメラの後ろ側から眺めてみてほしい。
一般的にこのような映像の撮影にかかる時間は知らないが、素人感覚からすると一日で全て撮り終えているような気もする。それだけでもなかなかのプレッシャーであろう。すべてのシーンを1テイクだけで終えられているとも思えない。時間との制約の中で、もし焦りがあったとしても、カメラの前で笑顔を崩すわけにもいかない。あの画像の涙には、達成感のほかに、苦労を経た安心感も含まれていたのではないか。
食べ美がどんな人生を歩み、どんなふうに成長してきたのかは分からない。今、どんな思いでこの仕事に向き合っているのかも分からない。しかし私は、画面の中の食べ美をとおして、彼女の積み重ねてきた時間の重みを感じた気がするのであった。