定期的に仕事が変わるのは、規模のある会社で働くメリットの一つとも言えるが、定期的に仕事の強度が自動的に上がっていくシステムだと言うこともできる。望むと望まざるとにかかわらず、様々な要素からストレッチが求められ、新しい業務は容赦なく押し寄せ、多言語の資料を睨みつけながら、気がつくと打ち合わせで一日が終わっているというあるある話が現実化し、知らぬ間に労働基準法のハードルが近づいている。
新たな仕事の波に溺れそうになりながら、金曜日の深夜にインターネットを漂っていた。それ自体はいつものことである。しかしながら、いつもと比べた変化もある。新たな環境に身体が順応し始めていたのか、ようやく力の抜き方を覚え始めた私は、休日に遊ぼうという意思が芽生えていたのである。
遊ぶと言っても、正直なところ、それがいったいどのような行為を指すのか、私はよくわかっていない。思いつく行為といえば、買い物とか、映画とか、何か食べに行くとか。さしあたり、「関西 イベント」などで検索をしてみた。しかし、別にほしいものも、見たいものも、食べたいものもない。何かの展示を見に行くにしても、興味のないものを見ても仕方がない。大カプコン展は面白かったが、美術や芸術一般に興味があるわけでもないから、美術館巡りみたいなものへの欲求もない。モネ展に赴いて、「睡蓮だなあ」としか思わなかったぐらいである。
何の目的もなしにとりあえず外出するのもよいのだが、この暑い中でそれをやると、真の意味で徒労になる可能性がある。できればそれは避けたい。そう思って眠気に耐えながらページを繰っていくと、知っている名前が目の前に現れた。『Yuki Kajiura LIVE vol.#21~60 Songs~』。作曲家の梶浦由記、FictionJunctionのライブである。その大阪公演があるらしく、そして当日券が出ているようであった。
梶浦由記の楽曲を初めて聞いたのはいつだっただろうか。これは明確に答えがあった。See-Sawの『あんなに一緒だったのに』である。しかし、この頃はSee-Sawの読み方も知らなければ、梶浦由記の名も知らなかった。ただ、ガンダムSEEDのエンディングテーマとして認識していただけである。そして、FictionJunctionの存在を知ったのはいつかと言えば、これもまた明確で、.hack//Rootsのオープニングテーマであった『Silly-Go-Round』である。しかし、やはりこの時はFictionJunctionの読み方も知らなければ、FictionJunctionが梶浦由記のプロジェクトだとも知らなかった。この後、おそらくニコニコ動画を通してヤンマーニこと『nowhere』を知って、このあたりであらためて調べ始めて、驚きを覚えたような記憶がある。この曲も、あの曲も、梶浦由記の音楽だったのだと。
そんな梶浦由記によるライブである。私は迷った。はたして、梶浦由記のライブは、私のようなレベル感のユーザーがふらっと行ってもよい催しなのだろうか? 具体的な楽曲を認識していない、直前で予習をしようという気もない私である。
こういう場合は一拍置くに限る。一旦、風呂に入ることにした。そして寝る支度をしてから再度チケットページを確認して、それでも残っていたら行くことにしよう。これは、「ご縁」に任せることで自ら選択する責任を放棄する他責化メソッドである。ただし、このようにして売り切れてしまっていた場合、相応の悔しさに蝕まれることになる。
風呂から上がり、歯を磨きながら再び確認したところ、変わらずチケットは残っていた。であれば、今回はご縁があるということだろう。私は購入ボタンをクリックした。
当日、会場のNHK大阪ホールに到着すると、まず観客の年齢層の広さに驚いた。ステージ上にはすでに様々な楽器が置かれているのが見え、久々の生バンドにうきうきである。梶浦由記の音楽である前に、そもそも私は音楽を聞きに来たのであろう。
緊張が高まる中、ライブは『black rose』の暴れるヴァイオリンから始まった。思えば、生でヴァイオリンを聞いた経験はこれまでになかったかもしれない。縦横無尽に激しく駆け巡っている。歌詞のとおりオリエンタルな雰囲気を醸し出しつつ、早々に二重三重に歌声が重なっていく。それで「最後まで楽しんで」と歌われてしまっては、楽しまざるを得ないだろう。一言でいえば、梶浦由記っぽい音楽だなと思ったのだが、そうは言っても梶浦由記っぽさというのは一言で表されるものでもない。そういうことをこの後の時間で思い知らされた。
私が「梶浦由記の音楽」と聞いて思い浮かべるのは、印象的なストレングスと歌声のハーモニー、言い換えればそれはKalafinaの楽曲群に対して持っているイメージに等しいのだが、それはあまりにも表層的であろう。そもそも、私が当初に出会った楽曲は、一概にそうとは言えなかったのだから。ライブで演じられた曲たちについて、私に知識がないがために、それらが何の楽曲だったのかはちゃんと分かっていないのだが、梶浦由記の音楽は幅が広く、どれも魅力的であった。
アップテンポの楽曲があった。それまでとは異なり、ギターが躍るような。イントロが始まると、一階席の観客が即座に立ち上がった。声優のライブでよく見かけた光景であり、この場がアニメとも関わりが深いことを思い出させる。すごく「アニソンだ!」といった楽曲があった。まどマギやkalafinaで聞いたのとは異なる、いろいろな楽曲が、惜しげもなく演じられていった。
耳から入ってくる音が、古い記憶を喚起する。私は梶浦由記のライブを見たことがあった。アニサマ2009のBDである。この年のアニサマには、大槻ケンヂと絶望少女達が出演しており、当初そのパフォーマンスを見るために買ったのだった。そしていつかのタイミングで、ふとほかの演目も見てみようかとなり、そこでFictionjunctionとしての『nowhere』を見たのである。原曲は打ち込みっぽいというか、電子的で、どちらかというとシリアスなイメージを持っていた。しかしこの時はバンドサウンドにアレンジされていて、冒頭からドラムの音が鳴り響く、非常に尋常なく格好いい、ノリノリの一曲に仕上がっていた。それを、歌のうまいお姉さんたちが、笑顔で歌い上げていたのである。
今日ここへ来ることを決めた瞬間から、一つだけ期待があったとすれば、生で『nowhere』を聞くことだった。しかし、年代的には結構前の楽曲であるし、セトリのコンセプトによるとはいえ、その希望が叶う可能性は低いのではないかと考えていた。今日のライブも、おそらく終盤に差し掛かっている。きっと厳しいだろうと考えていた矢先、聞き覚えのあるドラムのリズムが鳴り響いた。ご機嫌なバンド陣。テンション高くはっちゃけた歌い手たち。にこやかな梶浦由記。何もかもが最高の空間がそこにはあった。
公演の終わり、梶浦由記は私たち観客に向けてこのようなことを言った。今日この日、この場に来てくれたから、今日の音楽は生まれた。その音楽が、私たち一人一人にとって何か残るものがあったのなら、それほど嬉しいことはないと。その言葉を聞いて、本当に唐突にふらっと来た内の一人である私は、何だか救われたような、そして音楽を通して贈り物を受け取ったような気がしたのだった。
良いライブを楽しんだ後は、ちょっと散歩がしたくなるものだ。NHK大阪局の近くに、なノにわという公園がある。その日も多くの人で賑わっていた。ライブの終わりに立ち寄ると、夕暮れとはいえまだまだ明るい。この日は夏祭りと称してイベントが行われており、MCの兄ちゃんが明るく場を盛り上げ、ファミリー層が盆踊りに勤しんでいた。トトロの『さんぽ』で盆を踊るとはなかなかユニークである。平和だ。良い音楽に触れた後は、少し感傷的にもなるものだ。涼しい風に背中を押されながら、私は少しずつ現実への帰路についた。願わくば、またこのような音楽に出会えますように。