死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

本に書き込めない男

 昔から、本に書き込んだり、マーカーでラインを引いたりすることに対して抵抗がある。一方で、学校で使う教科書のような本であれば問題なくそうしていた。むしろやたらと書き込んでいた。しかし、一般的な書籍、例えば小説や専門書などには、線を引くことを避けたいという気持ちが強くなる。行為自体もそうだし、書き込まれた書籍を見るのも少しつらい。

 読書術を紹介する人の中には、「本に線を引くことで内容を整理できる」「色分けをすることで理解しやすくなる」と推奨する方もいる。しかし、私にとってはそもそも本に線を引くという行為自体が心理的なハードルとなっており、それを実践しようという気持ちにはなれない。

 この抵抗感の理由を考えると、「本を汚したくない」という思いが根底にあるのではないか。では教科書やテキストの場合はどうか。これは書き込みをすることが前提となっており、それが許容される状況にある。そういう前提であると特に言われたわけでもないのだが、私の頭がそのような認識を持っている。一方で、一般書籍は書き込みを前提としていないという感覚があり、そこに線を引くことに対する抵抗が生まれるのかもしれない。

 振り返れば「本は大切にせよ」と大人たちに教えられたからとの理由に尽きるのかもしれない。本は汚さず、壊さず、丁寧に読むものなのだ。と、それを当たり前のように指導された気がするが、その指導は図書館の本を対象としたものであって、購入した、自分の所有する本であればどうか。これも、結局子どものころであれば、親に買ったもらったがゆえに「自分の本」ではないのであって、大事に読みなさいと言われた気がしないでもない。

 大学で使われるような専門書は、メモ書きができるように余白を持たせた体裁にしているものもあるが、その厚意を受け取ることもない。折衷案として行き着いた行為が、付箋を貼るということであった。