真剣な顔をして歩いているが、その実何も考えてはいない。通勤というのはそういうものだ。起きているか寝ているか分からない頭で、せめて人様にはぶつからないように足を動かす。眉間に皺が寄っているのは、ぼやけてよく見えないからだ。そうしたからといって、目の前のモヤが晴れるわけでもないが、せめてそうしなければ歩きながら寝てしまう。
とはいえ、それも最初のうちだけである。一線を越えると脳に血液が回りだす。視界が少しずつ鮮明になる。暇だな、と思い始めればもう大丈夫。私の目は覚めている。
意識がはっきりとしてしまえば、移動はただの作業と化す。見知らぬ街を歩くのは楽しいが、見知った風景を行くのは面白くない。昨日まであったビルがなくなっているでもしたら、胸の鼓動は高鳴るだろうが、当然そんなことはない。
つまりは、暇である。体を動かしながら暇というのもおかしな話だ。もったいないという感覚のほうが近いだろうか。ただ移動するだけではもったいない。他に何かできることはないか。そうやって人はしなくてもよいことをする。歩きスマホなどは最もたるものだろう。
そういう私は、意識高く英語のポッドキャストでリスニングの練習、との名目で耳に音を垂れ流す。効果の有無はもはや本質ではなく、「聞いている」事実が脳を満足させる。私はただ歩いているわけではない。時間を有意義に使えている。何も無駄にしていない。そうやって、自分の中だけで納得する。
英語の会話が終わる度に、スマホを手に取り再生ボタンを押す。アプリにリピートの機能がないからだが、何度目からかは億劫になってくる。そうして、何も聞こえないイヤホンだけが耳に残る。ここまでは毎日の恒例行事のようなものだった。
カツッ カツッ カツッ カツッ
イヤホンの壁を通り抜けて、やけに硬い音が聞こえてきた。雑踏ひしめく中、背後から段々と近づいてくるそれは、誰かのヒールの音だろう。追い抜かさんとばかりに迫ってきているのか、私と音との距離は縮まっていく。しかし、予想に反して追い抜かれはせず、一定の間隔が保たれたまま、ヒールの音が小気味よく辺りに響き渡った。
カツッ カツッ カツッ カツッ
空間が一定のリズムに支配されていると、そこから外れる動きをするのは難しいものだ。自分の足並みが、自然とヒールの音に合わさっていく。それはあたかも楽器のようで、乱れず安定したビートを足で刻む彼の人は、きっと頼もしいリズム隊になれるだろう。
歩いて行くにつれ、この音を使わぬことに、それこそもったいなさを覚えてきた。マッシュアップとはいかないまでも、何か音楽と組み合わせることはできないか。耳にはイヤホンも挿さっていることだし。
BPMは120ぐらい? 何の曲がそれぐらい? 考えても仕方がない。スマホのライブラリを辿っていく。いくつか上がった候補の中、物は試しと再生ボタンを押した。
思いの外よく合致していた。新しい楽器の音が一つ、違和感なく演奏に加わる。
満足しながら歩みを進めていると、ふと揺れる何かが視界に入った。よく見れば女性の髪の毛だった。高い位置で一つに括られたそれは、持ち主が一歩を踏み出す度に、左右に元気よく揺れていた。さながらメトロノームであり、行き来のリズムはヒールの音と同じであった。
それに気づいたとき、私の視点は宙に浮き、私たちを俯瞰的に捉えていた。そのとき、私たちは三位一体で動くリズム場を形成していた。お互いに一定の距離をとり、一定のリズムを刻み続ける。さもそれが存在意義であるかのように。世界にも誰にも影響を与えるわけでもない、されど特異な空間が間違いなくそこにはあった。
その時間は永遠に続くかのように思われたが、ある時を境に少しずつヒールの音が小さくなっていった。どこかで道を曲がったのだろう。そして、前にいた女性も消えていた。いつの間にか、私は一人になっていた。
さっきまで私はどのようなリズムを刻んでいたのだろう。すでに思い出せなくなっていた。もう一度曲を聞けばいいではないか、と再生するも、どうにもしっくりこない。はたして私は本当にこのリズムで歩いていたのか。誰に聞くこともできず、また聞けたとしても、誰も答えなど持ってはいなかった。