死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

胃カメラをのむ

 どうにも腹の具合が悪く、まあいつものことかと過ごしていたら、だんだん座っているだけでもしんどくなり、なにやら頭痛もし始めたので、胃カメラを撮ることにした。まだ定期的に撮るような年齢ではないが、検査を受ける決断の早さには昔から定評がある。

 検査全般がそうであるが、なかでも胃カメラというのは忌避されがちであるように思われる。たしかに機械を飲み込む行為は怖い。異物を口に入れてはならないと教えられ、育ってきた人間である。医療行為といえども、カメラをのむなんて当たり前にできることだろうか。下から入れるという点で、大腸カメラのほうがまだ自然と言える。言えるか?

 と言ってみたものの、実際のところ胃カメラを撮るのはそんな大層な話ではない。経験していないから怖く感じるものの一つであるように思う。やってみればあっさりしている。事前準備も簡単だ。大腸カメラのように、腸内からひたすらモノを出す必要はない。検査日前日の夜から検査終了まで何も食べなけばそれでよい。水分は摂ってもOKなので、この季節でも安心だ。

 ということで久々に胃カメラをのむことにした。よもや大きな疾患が見つかることなど……ないと信じているので、とにもかくにも早く楽になりたかった。検査をしたからといって治るわけでもないのだが。

 

 偉そうなことを言ったが、たかだか人生二回目の胃カメラである。昨今は鼻から入れることもできるが、前回が口からだったので今回も同様。もとい、行く医者が揃って「こだわりがなければ口からを勧める」と言うので、そういうものかと思う。

 口からの場合、鎮静剤を使うかどうかを選べる。寝ている間に検査を終えられる魔法の一つで、前回も使ったのだが、検査中に目が覚めてしんどかった。とはいえ意識を保ちながら管を入れられそうにはないので、今回も使うことにする。途中で目が覚めた話をしたら「じゃあ強めに使ってみますね」との返答。それはそれで別の怖さがある。

 

 検査当日、昼に予約を入れていた私は、盛大に腹を空かせた状態で病院に向かった。ちなみに、予約はやはり午前中の早い時間から埋まっていくそうである。

 熱を測り血圧を測り液体を飲む。これは胃の中を見やすくするための薬剤らしいが、いかんせん味がよくない。と悪態をつくだけの余裕はまだあった。

 検査室のベッドの上で横になり、腕に点滴の針を刺すとともに、喉の麻酔を行う。体を横に向け、マウスピースを咥えると、医師がニコニコしながら入ってきた。「強めにね!」と、笑顔で再確認を行う。これはこれで別の怖さがある。

 

「目をつぶって深呼吸してくださいね」と看護師に言われた後、腕に刺さった注射針から、冷たいものが流れ込んでくる感覚があった。ああ入ってきているなと、いつ意識が飛ぶのかを待っていると、喉の違和感で目が覚めた。

 またか、と取り乱さずにいれたのは私が冷静だったからではなく、薬でボーッとしていたからである。盛大に咳をすると、その振動によって、体内を通る管が殊更に意識された。すると、何かが体内に刺さっているその状況が不安に思われてくるのだが、看護師に背中をさすられながら深呼吸を促されると、背中の感触を通じて安心感が湧き出てきた。新型コロナから回復したボリス・ジョンソンは「社会というものが本当に存在する」と言ったそうだが、同じ感想だった。医療従事者のみなさんいつもありがとうございます。

 

 結局検査が終わるまで意識は保たれたままだった。ベッドに載せられたまま移動し、鎮静剤が抜けるのを待つため再び眠る。ある程度歩ける状態になったのを見計らい、診察室へと向かう。「やっぱり起きてしまいましたね」と笑いながら言うと、医者は「何でやろねえ」と不思議そうな顔をしていた。