死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

カメラとパスタはどこへ行く

 道端には大抵何かが落ちているものだが、その日転がっていたのはカメラだった。昨今では結婚式ぐらいでしか目にしない、いわゆるインスタントカメラである。

 人の行き交う街中で、その姿を見かけること自体が珍しい。とはいえ、今も普通にコンビニで売っているはずだから、それは言いすぎかもしれない。ただ、私の人生において、今後インスタントカメラを手にする確率は相応に低いだろう。それぐらいは言っても差し支えない。

 

 翌日、カメラは変わらずそこにあったが、原型を留める程度に砕けていた。どれぐらいの力が加わると、インスタントカメラは破損するのだろうか。一般的な成人が踏むだけでは難しいだろう。ストンピングなら分からなくもないが、繁華街ならともかく、高層ビルしかないこの地域で、地面に落ちたカメラに向かって強く足を振り下ろす人がいる可能性はおそらく低い。

 とすると、自転車の下敷きになったのかもしれない。それなら軽く事故になっていそうである。運送屋の配達員が行き交うので、台車の下敷きになった可能性もあるか。その衝撃で荷積みが崩れてしまったかもしれない。インスタントカメラは、その本来の役割を失ってもなお、人の営みに影響を与える。

 言うまでもなく、そのカメラが最初に人の手へ渡ったときには、何かを撮影する目的があったはずである。しかし、結果として投棄されるに至った。ここに捨てなくてもよかろうに。それとも、やはり落とし物なのか。はたしてフィルムは入っていたのだろうか。

 

 翌日、そこにカメラはもうなかったが、代わりにパスタが落ちていた。円形のプラスチック皿に入った、(おそらく)カルボナーラである。具はない。同じくプラスチックのフォークを添えて、まだ内容量の半分以上が残っていた。

 カルボナーラが街中に落ちている、というのはやはり脈絡がない。いや、カメラよりはあるかもしれない。しかし、どうして食べかけのカルボナーラを捨てる必要があったのか。昨日の夜にはなかったから、その後朝を迎えるまでに起きた出来事である。夜食として買ったものの、単に食べきれなかったか。それとも、口に合わなかったか。あるいは、唐突に何者かから逃げる必要があったか。カルボナーラは何も語ってくれない。はたしてベーコンは入っていたのだろうか。

 

 翌日、カルボナーラもまた姿を消していた。人はどこから来てどこへ行くのか。カルボナーラはどうか。その行方を私は知らない。