死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

眠れない夜には青木瑠璃子さんのYouTubeを聴けばいい

 どうしたって眠れない夜がある。日曜の夜、明日から仕事が始まる不安で眠れない。今の生活を続けていて大丈夫か、自分の将来が不安で眠れない。頭の中が堂々巡りでとにかく眠れない。珍しい話ではないだろうが、何にしても眠れないのはしんどい。

 

 このようなときにはどうすればよいか。青木瑠璃子さんのYouTubeを聴いて寝よう。生配信が好ましいが、もちろんアーカイブでもいい。

www.youtube.com

 

 配信ジャンルとしてはゲームと雑談である。あるいは、雑談とゲームかもしれない。青木さんの配信は面白い……と私が言い切れないのは、ひとえに真剣に聴いていないからに他ならないけれども、何も構えずに延々と流していられるところこそが、その魅力なのではないか。私は完全に子守唄として流し続けている。

 と、さも面白くない可能性を提示する表現をしてしまったが、決してそんなことはない。それこそ言うまでもないことだが、青木さんの喋りのうまさは折り紙付きである。他愛もない世間話然としながら、耳を傾ければくすくすと笑ってしまう。そして気がつけば2時間が経っている。

 起伏が少なく心地よい。Peercast時代のような……と回顧できるほど入り浸っていわけではないのでアレだが、ニコ生文化に近いと言えるのかもしれない。しかし、私はニコ生を通っていないのでこれもアレである。変に例えようとするのはやめよう。とにかく、聴き心地のいい声質でやかましくない、小気味良いトークが続くということだ。

 この「やかましくない」のが私にとっては非常にありがたい。ラジオ番組等と異なり、一定の間が生じるのを良しとする。青木さんが喋る、これに反応してコメントが流れる、その内容を青木さんが目で読む。そのリズムの中では、ゲーム音だけが聞こえてくる場面も多く、次第に私の意識は遠のいていく。聞こえてくる音と無音に集中していれば、いつの間にか眠りに落ちているというわけだ。

 

 配信を聞きながら私は幼少期を思い出す。何かと言えば、「他人が起きている中で自分が先に寝る」感覚を覚えたということである。

 自分が家の中で最も遅く寝るようになったのはいつのことだっただろうか。実家暮らしが長かったので、余計にそんなことを思う。思い返せば、幼い頃は寝室がリビングの隣だったこともあって、そしてまだ両親の方が夜ふかしだったこともあって、人の会話がなんとなく耳に入る環境で寝床についていたのだった。耳をすませば聞き取れないこともないが、基本的には声であること以外の判別がつかない状況下で、私は夜を過ごしていた。しかし、いつからか、リビングの電気を消すのは私の役目になっていた。

 勝手な話ではあるが、「誰かが起きている」という感覚は安心感を生むのかもしれない。それが上記のような経験からくるものか、それとも単に「自分が最後ではない」実感からか。思えば、年末年始につい生放送のお笑い特番にチャンネルを合わせてしまうのもそういうことではないか。どこかで誰かが起きているのを認識しながら、眠りにつきたい欲求があるのだ。

 

 今日も枕の横にiPadを置き、再生ボタンを押して目を閉じる。間に挟まる広告に驚くことがあるので、そろそろプレミアムに入るか……と思っている。とはいえ、それはそれで良かったりもするのだけれど。