今週もよく働いたものだ、と一人ため息をつきながら私は万博記念競技場へと向かっていた。目当てはサッカーではなく、推しのライブである。この一ヶ月間、この日のために働いてきたと言っても過言ではない。
悲しいかな、日々を働き、生き続けていくためには何か理由が必要だ。「働かない」選択肢が存在しない以上、どのように自分を働かせるかを考えなければならない。それがあるからこそ日々を乗り越えていけるような、そういうものが不可欠である。そして私にとっては、声優のAさんがそういう存在だった。
エキスポシティが生まれてもなお、万博記念公園周辺のアクセスが改善されることはなく、たしかに駐車場は大幅に増設されたものの、結果として沿線道路の渋滞が生まれただけであった。この日は大阪空港や新大阪から臨時のシャトルバスも運行されていたが、全国あるいは世界中から集まる約20,000人の観客を捌くには心もとなく、結局のところ、多くの人は当地に赴くためにモノレールを使うほかなかった。
しかしながら、このモノレールは相変わらずの4両編成であり、増便もなく、大阪空港駅のホームには人が溢れ、すでに輸送能力の限界に達していた。とはいえ乗らないわけにもいかない。私はない隙間に何とか体を滑り込ませ、どうか過積載で止まったりすることのないようにと無言で祈りを捧げていた。
いつ乗ってもモノレールには慣れない。というのは、単純に高いところを走るからだ。高所恐怖症にとっては絶妙な高さというか、落ちればまず助からないのだろうが、何とか死なずにすむようにも感じられる。こういう高さが一番怖い。
とはいえ、幸か不幸かぎゅうぎゅう詰めの車内のおかげで、物理的に窓の外を見ることすらできず、なぜ休日にも満員電車に乗っているのかと悩んでいる内に、無事万博記念公園駅に到着した。会場最寄りの公園東口駅へ行くには、ここで乗り換える必要がある。しかし、たった一駅ではあるが、すし詰めの車内に戻りたくなかった私は、ここから会場まで歩くことにした。
いつの間にか姿を消したディリパを横目に、エキスポシティは発展を遂げていく一方である。しかし、その敷地横を通る歩道は今も変わらずに残っている。ここを歩くとモノレールの高さを実感できる。さっきまであんなところ居たのかと考えるだけで足がすくむ。すくみながら歩いていった。
公園東口駅は文字通り人で溢れており、辺り一帯に出店が立ち並んでいた。それはもうお祭り騒ぎである。併設の運動場では、カラオケ大会が開催され大いに盛り上がっているようだ。やはりライブはこうでなくては。喧騒にまとわれながら気持ちがますます昂ぶっていった。
競技場に歩を進めるにつれて、ますますその存在感を大きくするのは高さ約50mの観覧車だった。近くにOSAKA WHEELというものがあるにもかかわらず、新しく競技場南スタンド近くのグラウンド上に鎮座することとなったそれは、この日のためだけに建てられたもので、開演前に乗って楽しめるのはもとより、ライブ中の演出にも使われるらしい。建てるのに8ヶ月の期間を用しながら、閉幕と同時に解体作業が始まるとのことで、でかい図体をしながらなかなか儚い存在である。
不景気と叫ばれる中、こんなものを建てるお金がどこから湧いてきたのか。言うまでもなく私たちの懐からであった。唐突にクラウドファンディング企画としてぶち上げられ、誰もこんなものに金は出さんだろ、と冗談半分で支援を決めた人間が、蓋を開けてみると100万人を超えていたのだった。
それこそ冗談のような存在感を前にたまらなくなった私は、一度立ち止まり深呼吸をした。もうここは別世界なのである。黙って気合を入れ直し、再び足を踏み出し始めた。
自分が舞台に立つわけではないのに、ライブの開演前はいつも緊張してしまう。お腹が痛いし、気がつくと呼吸を忘れている。でもそんな空間が好きでたまらない。熱気と活気と期待に溢れた空間。指定の席に座って、もう一度深呼吸をする。辺りを見渡してみると、イヤホンをつけて目を閉じている人、一人で少し不安そうにしている人、連番者と笑顔で話している人、様々である。
生まれも育ちも違う人間たちが、またたった一人の人間を目当てに一箇所に集まっている。そこで新たなコミュニケーションが生まれることもあれば、生まれないこともある。今日という日が終われば、また散り散りに去っていく。その後またどこかで会うこともあれば、それっきりなこともある。他者をありありと認識して、逆に個としての自分が浮かび上がってくる。ライブを通して私は自分自身と対話する。時と場合によっては、もはや推しが第一の目的ではなくなってしまっている。そんな感覚を得るのもまた、私がこの場に来る理由の一つだった。
開幕の合図に花火が上がり、顔が自然と上を向く。そうしているところに、いつも私の手を引いてくれる声が空高く抜けていく。視線を戻すと、夕日を背後に、推しが観覧車のゴンドラの上に立っていた。かけらも安定していない足元だろうに、意にも介さず踊っていた。
始まってしまえば後は終わりに向かうだけ。それは寂しいものだけれども、どこか心地よかったりもする。ゴンドラが回転するのに合わせて、時間は着実に進んでいく。屋根もないのに、観客の歓声が反響していた。そこに彼女の声が合わさって、世界がますます拡張されていった。
真下の位置に戻って来たゴンドラから、彼女はふわりと飛び降りた。少しも体制を崩さず着地し、すぐさま観客席に顔を向ける。遠目に分かるはずもないのだけれど、なぜかどんな顔をしているのか想像がついた。今日も笑っているのだろう。いつものように、笑っているのだろう。