死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

「ここに来られなかったかもしれない」という感覚

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 大きな本屋や図書館へ行くだけで楽しいのは、視覚的に「本がめっちゃいっぱいある!!!」と感じられるからだと思う。自分が読んだことも、読もうと思ったことさえもないような本が、世の中には山のように存在していると実感できる。それがとてつもなく楽しい。一方で、悲しくも感じる。一生かかっても、そこにある本をすべて読むことはできないだろうから。もちろん、自分にとって読まなくてよい本もあるだろうけれども、あることすら知らないままに死んでいくことに、寂しさを覚える。もちろん、これは本に限った話ではなく、何にでも言えることではある。


 三連休を前にした金曜の夜、養老天命反転地に行こうと思い至った。唐突というわけではなく、前々から気になっていたものの、何やかんやで後回しにしていたところ、天気予報が晴れだったのでそうすることに決めた。

 とはいえ、私は車を持っておらず、そもそも運転というものをしたくないのでレンタカーの選択肢もない。したがって、まずもって鉄道かバスが通っていなければ(気持ち的に)行けない。調べてみるとそれは杞憂で、しっかり鉄道が通っているらしい。最寄り駅は養老鉄道養老線養老駅。養老づくしである。経路検索曰く、名古屋からであれば、JRで大垣駅か桑名駅へ行き、乗り換えればよいとのこと。どちらから行くか。とりあえず往復で違うルートをとることだけは決め、後は朝起きた時の雰囲気で選ぶことにした。

 予定より一時間遅く目が覚め、寝ぼけながら口にコンビニのサンドイッチを詰め込んでいく。「名古屋駅に着いた段階で早く行ける方から行ったらええか」と、もはやスケジュールも何もない様相を呈しつつ、適当に着替えて外に出た。予報の通り快晴だった。


 発車三分遅れをものともせず、ほぼ定刻で桑名駅へと到着した。余裕をこき、のんびりと乗り換え口に向かったところ、「ICカードの人間は一度改札を出て乗車券を買ってね」との案内が目に入る。時計を見ると出発時刻まで残り5分。その次の電車が数十分後であることを私は知っていた。時間的猶予が少ない上に、勝手を知らない駅での回れ右は焦りの極みである。出口と乗車券売機を探し求め、震える手で1000円札を入れ、急いでホームに戻る。電車が発ったのは、乗り込んだ30秒後のことだった。


 車内は思っていた以上に空いており、その内、観光客然とした人も少なかった。出会うのは、自転車とともに乗ってくる学生服の少年や、一駅で下りていくお祖母様方。どうやら私は勘違いしていたらしい。てっきり養老鉄道なるものは、養老を中心に据えた観光路線なのだと思いこんでいた。しかし、実際のところは市民の足としての役割が大きいようだ。

 そうなると、空き空きの車内にも納得がいく。通勤・通学の時間帯であればともかく、休日の昼間はこんなものだろう。と、納得しかけたところで今度は心配になってくる。もしそうだとしても、平日に満員で人が溢れる、なんてことがこの路線にあるのだろうか。端的には、採算は取れているのだろうか。

 電車に揺られながらスマホWikipediaを開く。平たく言えば、赤字体質であるらしい。近年、赤字額は圧縮してきているけれども、難しい経営状態が続いているとのことだ。

 珍しい話ではないだろうと思う。北海道にしても、四国にしても、不採算路線の取り扱いについて見聞きする機会が増えた。ただ、自分がこれまで都市部で生活してきたこともあってか、身近にそういった路線はなかった。知らなかっただけかもしれない。しかし、何にせよ私は今、まさに存続が危ぶまれているインフラを利用している。そう思うと、まことに変な話ではあるし、部外者が勝手に感傷に浸っているだけではあるのだけれども、この時間がとても貴重なものであるように感じた。

 今日この日、私が養老町へ行こうとして、養老鉄道を利用しなければ、自分の人生の中で、この路線に乗ることはなかったかもしれない。そして、行かぬままに、万が一にも廃線になってしまったとしたら、それ以降にきっと私は養老町に赴こうとはしないだろう。先に行ったとおり、これは養老だけの話でもない。自分が歳を重ねていくのにあわせて、鉄道を介して行ける土地は減っていくのだろう。どんなスピードかは分からないけれども、自分は過渡期を生きている。ともすれば、日本各地に赴ける最後の世代かもしれない。あるいは、世界各地か、などとまで考え始める。そして行き着く結論は「人生短いなあ」である。

 

 とはいえ、人生の短さへの対抗手段はほとんどない。せいぜい平和を祈りながら、心身ともに健康でいるのを心がけるぐらいであり、その殆どは心がけにかかわらず、勝手気ままな結果に終わる。現実はままならないものだ。今日だって、そんなままならない現実から離れようとしてやって来たんじゃないか……と思ったところで養老駅に到着した。ホーム天井に吊られた瓢箪たちが私を迎えてくれる。駅舎から出ると、空はやはり快晴だった。