特に普段から忙しくしているわけではないのに、年の瀬というだけで業務が滞り、気持ちも焦ってくるのは不思議なものである。忙しさがみるみるうちに形成されていくのに重ねて、この時期の(相対的)若手サラリーマンには、忘年会の幹事という望まれない仕事が課せられるから手に負えない。
「望まれない」と言っても、それは他の社員が忘年会を「やってもやらなくてもいい」と思っている程度の意味である。誰しも忘年会を「やりたくない」わけではない。確証はないが、弊部署内の統一的見解であるように思う。実施されないのならば早々に家へ帰り、実施するならほいほいと行くだけである。
しかし、このようにシンプルに考えられるのは、自分が参加者の場合だけである。例外があるのは知っているが、多人数の飲み会幹事を好んでやりたい人はいないだろう。もちろん社内の飲み会であり、得意先をもてなすわけでもないから、そこまで気を張る必要はないのかもしれない。「(飲み食いできれば)どこでもいいよ」と先輩方も言ってくれる。しかし、多くの人間が金と時間を使うのに違いはなく、幹事としては、せめてもの変な店にはしたくないとの思いがある。「変」とはなんだ、と聞かれれば明確な定義はないが、例えば10人参加者がいたとすれば、文句を言うのが2人以上の店のことを言う(と今定義した)。
「忘年会の会場は予約できた?」
と、いつも優しい上司がいつものように優しく聞いてきた。
「大丈夫です。皆さんからも情報もらって、個室のええとこがありましたわ。2時間飲み放題で4500円。味の質は知りません」
「おおそうか。まあ味なんか誰も気にせんからええよ。飲めて話せたらええんや。おつかれさま。忙しいのに幹事ありがとうな。ところで、何か催しはやんの?」
「いや、何も考えてませんけど。何かやったほうがいいんですか?」
「実は部長がな、折角やからゲームでもやったらて言うてはる」
「ゲームですか?」
何を言い出すのかと思ったが、趣旨としては分からないでもない。単に飲むだけではなく、一年の節目に楽しくやろうやということだろう。しかし企画する側としては面倒なことこの上ない。なぜならば、その催しに参加したい人などいないだろうからだ。多くの人に望まれていないだろうことを考えるのは面白くない。
「トランプでもやったらって。案に挙がってたのはな、ババ抜き最強王決定戦」
「料理積まれたテーブル席でどうやってやるんですか。それに90分ラストオーダーですし、時間も足らんでしょ。それだけやってこの日終わりますよ」
「事前に予選をやっといたらええんとちゃうか。ほんで当日は部長含みの決勝戦だけをやる」
「会の参加者30人超えてるんですよ。なんでか知らんけど一区画だけババ抜きやってるみたいな感じになりますよ。嵐でもなし、そんなん誰も見ませんて」
「それはそうやなあ…」
「考えるの面倒くさいですし、ゲームに限らず単に賑やかしでええんやったら僕がフリップ芸かなんかやりますよ。面白さは保証しませんけど」
今度は我ながら何を言い出すのかと思ったが、いたたまれない空気を自分が我慢すればよいだけだから問題ないとの判断だった。関わる人が少なければ少ないほど、手間の総量は小さくなる。
「いや、そんなに手間かけんでええよ。ただでさえ忙しくしてんのは分かってるから。うーん…もうビンゴでええんちゃう。ビンゴ」
「実はゲームて言われたときに真っ先に思い浮かんだんですけど、景品代がネックとちゃいますか。参加者から強制徴収もよろしくないし」
「そんなもんは! 役職からとったらええんや。嫌がるような人はおらんやろ」
「それはそうですね。せやけど誰が景品用意するんですか」
「悪いけど頼むわ」
「なるほど」
言わずもがな、そういうことまで含めて、忘年会幹事の仕事なのであった。
ビンゴというゲームは基本的にその場にいる全員が参加することとなる。したがって、景品は万人受けするほうが良いはずだ。「うまい棒百本とかでええんちゃう」との助言もあったが、ネタに走るのはリスクがある。言うのは勝手だが、当たった人から白い目を向けられるのは幹事である。そもそもうまい棒を百本も食べられるほど若々しい胃袋を持った人材はここにはいない。
一体何がよいか。予算の問題もある。特賞をいくつか用意し、あとは参加賞的な小さいものを人数分といった感じになるか。その上で、(少なくとも表面的には)個人個人の好みを考慮しなくて良いもの。であれば答えは一つ。洋菓子である。百貨店で洋菓子を適当に見繕おう。アレルギーや味の好みの諸々は、当選者内で調整してもらえればよい。そもそも降って湧いた利益である。何であれ大きな文句は出ないだろう。
日本各地で百貨店の閉店ニュースが聞こえてくるご時世だが、歳末の食品売り場は人に溢れており、不景気を全く感じさせない。もとい、食品売り場はいつ行ってもそうである気もする。結局はアパレル不況ということだろうか。無秩序な人の流れにのまれながら、良いものがないか陳列された諸々を見ていく。
選ぶ基準はまずもって価格だ。1000円程度をベースとする。どこの店でもそれぐらいの商品ラインが必ず用意されている。あとは適当にジャンルを散らばせばよい。味の質はやはり知らない。よっぽどの好き嫌いに当たらない限りは、まあ大丈夫だろう。どんなものにしたって、洋菓子は基本的に美味しいのだ。
隅々に至るまでフロア内を歩いていると、これだけの人だかりであっても、やはり店によって人気に差があることに気がつく。もちろんタイミング的なものが大きいのだろうが、列を作っているその横の店には客が一人もいない、なんてことがある。
待つ必要がないのは私にとって好都合である。というのは、待ちたくないからである。理由になっていないが、そういうことだ。と、精算手続きをしている最中、ふと後ろを見ると待機列が形成されていた。こういう場でもコンビニと同じような現象が起きるようだ。
思うに、誰もいないところで商品ディスプレイを見るのが精神的に憚られるということなのかもしれない。店員さんは満面の笑みで接客してくれ、店によっては試食を突き出して来てくれるわけだが、そういうのが苦手、みたいな。それこそ服屋と同じか。
物色していると、列を成している店にも共通点があるような気がしてくる。いや、ないのかもしれない。よく分からないが、「やっぱり見た目は大事」とは言えるように思った。人気の店の商品には、どれも「かわいい」か「きれい」といった印象を抱くことが多い。これは商品自体だけでなく、外箱や紙袋も含む。贈答用途も多いだろうから、そりゃそうだろと言われればそうである。
あとは何らかの媒体に取り上げてもらったかどうか。これも身も蓋もない話だ。「○○で紹介されました!!!」とのポップがつけられた商品には、必ずと言っていいほど「完売」の札が提げられていた。どこかで紹介をされているから売れているのか、それとも何も知らずに来た客がその謳い文句を見て買っていっているのか、先後関係は知らない。ともあれ、私自身が日頃そういった情報に触れることはないが、影響力は大きいのだろう。当たり前か。
ビスケットとクッキーの違いは何なんだろうなと考えながら、気がつくと両手いっぱいに紙袋を持っていた。これだけあれば十分だろう。あとはビンゴカードを買えばよい。ビンゴマシーンはアプリで代用できる。良い時代になったものだ。とはいえ、簡単にビンゴができるようなったことをもって「良い」と評価するのが妥当かは分からない。
帰るついでに和菓子コーナーを通っていく。洋菓子と比べると客足はまばらだ。クリスマスシーズンでもあるから、それも仕方がないことなのかもしれない。もとより和菓子と行列はなんとなく紐付かない。実際のところはいっぱいあるのだろうが。イメージの問題である。
並べられた和菓子を見て、突然にくるみゆべしが食べたくなった。通販で頼もうか、などと思いながら外に出る。人に溢れているのは店内だけではない。あらゆる場所の人口密度がいつもよりも高いように感じられる。慌ただしい雰囲気ではあるけれども、行き交う人々の顔は心なしか朗らかに見えた。
今年ももうすぐ終わる。