「みんなの人生も、明日から第二章です」と彼女は言った。2019年3月に解散した、声優ユニット・Wake Up, Girls!のリーダー、青山吉能さんの言葉である。
「第二章」というワードの意味を一義的に定めることはできないが、少なくとも彼女は、自分たちの新しいスタートを指してそう言った。そしてその言葉通り、メンバー7人が各々に活動の輪を広げつつある。明日仕事があるかわからない世界に身を置きながら、しっかりと歩みを進め、さらには結果を出していく姿勢には感嘆するし、尊敬するし、遠目で見ている自分も「頑張らなきゃな」という気持ちになる。
一方で、自分の頑張る方向がなかなか見えず、気持ちだけが急いている状況がある。最近では確信を持って言えるようになったが、私が7人に惹かれたのは、先行きが不透明な今の世の中において、「自分のなりたい姿」を(程度はあっても)明確に持ち、そこに向かって進もうとする、また進めるチャンスを掴んでいくところにあった。オタクが推しを推す理由は様々にあり、「自分と似ているところがあるから」という方も居るが、私の場合は「自分にないものを持っているから」だった。
というわけで自分語りである。一年間の振り返りをしよう。なぜこのタイミングなのかと言えば、個人的にそういうタイミングを迎えたからである。この記事のWUG要素はここまでである。
多能工化の名目の下、ほぼ畑違いの仕事をやることになった。延々悪戦苦闘しながら今日を迎えたが、残念ながら現職の内容自体に汎用性や専門性はなく、その点は不安でしかない。そんな中であえて得たものを探せば、いわゆるヒューマンスキルと呼ばれるものになるだろう。
個業が中心であった頃と比較し、協業という名の調整事が増えた。調整根回し根回し調整である。特に、部門を跨ぐ調整は言うまでもなく面倒だ。それぞれがそれぞれの部門利益を第一に考えるから、話がややこしくなる。しかし、それが彼らの仕事であるし、部門が変に不利益を被ることになれば、批判を受ける立場にもなるのだから仕方がない。仕方がないが、私も「そうですよね~」で終わらせるわけにもいかず、とりあえず話をする。話を聞いてくれる人がほとんどなのが救いで、だから何とかなっていると思う節がある。
全体最適と部分最適は往々にして対立するのだろうし、その狭間に身を置く立場として、「どうして分かってくれないのか」と、各方面に不満を抱くのもナンセンスだろう。本来は、そもそも今やろうとしていることが本当に全体最適につながるのか、という部分から疑ってかかるべきなのだとは思うが、思ったところで、施策に影響を与えられる程のパワーを自分が持っているわけでもないから、それもまたナンセンスか。できることと言えば、上から降りてきた施策について、(二度手間にも思うが)各部門に納得してもらえる説明を考え、「そちらのご意見も仰る通りですけど何とかお願いしますわ~」と、論理と感情を上手く組み合わせて対応を進めるぐらいのものだ。言うまでもないが、一方的に押し付けたところで物事が上手くいくはずもない。そこはお互い様の精神で。もとより、同じ会社の人間なんだから、いがみ合う必要なんてないのだし(と私は常日頃思っている)。
そう考えると、WUGは各メンバーが別の方向を向いているのに、同じ方向に進んでいる良いチームだったなと思う。芸能の世界で生きる人間の個性や思考回路は、我々サラリーマン界のそれとは比べ物にならないぐらいに、軋轢を生じさせうる要素であるはずだ。それにもかかわらず、一つの集団としてまとまっていたのは、個人の資質に加え、彼女たちをマネージメント(コントロール)していた人々の力によるところも大きかったのだろうと思っている。
さておき、最初にヒューマンスキルと書いたが、一年間こんなことを続けてきたから、そんな能力がうすーく自分の中には蓄積されたように思う。というか、されていてほしい。と言っても、所詮は社内調整であり、胸を張って言える類のものではない。色々と抽象的な書き方しかしていないのは、ネット上に書ける事項が少ないのはもちろんだが、具体的な成果がなく、数値的な表現もできない、自己満足的な何かでしかないからだ。しかし、何も得ることない一年だったと断じるのも違う実感があるから、ここらへんが自分の中の落とし所だろう。
もうしばらくは今の仕事が続く予定だが、前の一年と比べて何を得に行くかについては、一層に考えていかなければならない。薄い二層を重ねるのに、二年の月日をかけるのは勿体ない。加えて言えば、その後自分の身がどうなるかもわからない。元の仕事に戻るのか。また別のことをするのか。まあ、例えば民法改正に全くキャッチアップしていない程度の現状では、何をやろうが結局一からのスタートに等しいから、深く考えるところではない気もする。
そんな意識の高そうなことを言いつつ、別に仕事から何かを得ようとしなくてもよいのでは、とも思う。だって志の大きい人間じゃないのだから。なりたい姿の啓示を他者に求めるような人間は、いかに日々をのんびり生きていくかに力を注いだほうが、幸せな最後を迎えられそうである。もう青少年じゃないのだから、無駄に相反する自意識に囚われるのもやめたい今日この頃だが、40、50と歳を重ねても同じようなことを言っているのだろう。
このように、歩く道を見失っている成人男性が頼るものと言えば占いである*1。しいたけ占いを始めとして、無料占いを漁った結果、今の私は「過去を顧みて、新しい一歩の踏み出し先を考えるとき」であるとの見解に一致を得た。バイアスがあることを否定しないが、なるほどなと納得する。顧みるほどの過去があるかは怪しいが、ひとまずもう少し頑張ってみようと思う。
感覚的には、私の第二章は就職をした時点から始まっていて、その点ではWUGちゃんより先を歩いていたはずが、今ではもう彼女たちの足跡すら見えない。このままでは第三章に進めるかも怪しい。私というコンテンツは未完で幕を閉じる…などと言うとちょっと格好良いが、そうならないように、小さな一歩を踏み出すことだけは続けていきたい一年である。もちろん、笑顔だけはチャージしてね。
*1:諸説あります