死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

「聖地巡礼」の働きに係る雑感―『アニメ聖地巡礼の観光社会学』を読んで―

  私が聖地巡礼というものを意識的に行ったのは、やはりWake Up, Girls!の舞台探訪として宮城・仙台に赴いたのが初めてで、「7人はここで活動していたんだな」というようなある種の感動を覚えたのですが、それはとても不思議な感覚で、今日が初めてであるのに帰ってきたように思えたこともあわせ、街を歩き回るだけで非常に楽しかったわけです。

 後になり、「どうしてその空間に居るだけで楽しいと感じられるのか」という点、また「一般的な旅行と聖地巡礼には実態的な違いがあるのか」という点で疑問が湧き、何かそういうことについて書かれた本はないかとAmazonで検索をかけましたら、岡本健さんの『アニメ聖地巡礼の観光社会学: コンテンツツーリズムのメディア・コミュニケーション分析』という本が目に入ったので読みました。

 本書の主題は「観光は他者性を持った他者(=自分との同質性を持たない他者)との回路を開くのか。開くのであればどのようにか」というものであり、他の価値観を排除して同質的な人間だけで集まってしまいがち(=島宇宙化)な現代において、「観光」そのものが島宇宙を開放する役割を果たすのかにつき、「聖地巡礼*1」と「(内的世界にこもりがちな)オタク」という観点からアプローチしたものです。私の調べものにズバリ当てはまる内容ではなかったのですが、それはそれとして、意識したことのなかった観光の潮流変化や、聖地巡礼の歴史、かの『らき☆すた』と『けいおん』ブームで起きていたことの詳細等、全編を通して非常に面白く読み進めました。

 中でも、実体験も重ねて興味深く感じたのは、WEB上でのアンケートや各聖地でのフィールドワークからうかがえる巡礼者像です。「最初は舞台探訪が目的だが地域そのもの(コンテンツ外の事柄)に興味を持つようになる」とか「自分事のように地域の今後を案ずる」であるとか、「地域の人との交流を楽しむ」等、頷く部分が多くありました。

 また、聖地巡礼が多様な価値観を認め合う場として機能しており、巡礼者が地域住民に受容されていく過程で、現実世界において自分の存在が認められる体験をしているとの指摘も合点がいきます*2。本書では「観光」のコミュニケーション上の役割を考察する目的から、企画当初より自治体が協力しているような事例を除外しています。言い換えますと、ファンの間で生じた盛り上がりを、後発的に地域が認知し、互いが協力しながらその後の展開を図っていくという、(イメージとしては)旧来的な聖地巡礼の事例を基にしているわけですが、だからこそ聖地巡礼に異文化コミュニケーション的な側面のあることが際立って理解されます。

 地域住民からすれば、その場所がコンテンツの舞台になっていることなど露知らず、ある日を境に(または漸次的に)これまでは出会うことのなかった種類の人間(住民が見向きもしないような場所に訪れたり写真を撮ったりする、ともすれば不審者にも思われる人間)を多く見かけるようになり、「何が起きているのか」とコンタクトが行われます。そうすることで、巡礼者-地域住民という、ものすごく雑に式化すれば、オタク-非オタク*3間の交わりが生じることになるのです。

 お互いを拒絶するのではなく、未知の価値観を(少なくとも)知ろうとするこの関係性は、ダイバーシティだなんだと強く叫ばれる現代にとって意味のあるものと感じます。もちろん、それは純粋な好奇心のみならず、恐怖心からくる接触ということもありましょう。しかし重要なのは、(結果的にできなかったとしても)理解しようとする姿勢にあり、そこに(コミュニケーションの一方法としての)聖地巡礼の可能性が見出されるのでしょう*4

 そう理解する一方で、本書で除外されている「企画当初から自治体が協力している」ような場合の聖地巡礼は異なる性質を持つのか、という点は個人的に気になるところです。WUGもそうですが、隠すことなく「◯◯が舞台です!」との触れ込みで始まるコンテンツは増加しているように感じます。となると、始まりの時点で、異文化が混ざり合う過程はある程度すっ飛ばされているわけです。もちろん、結果として巡礼者が「地域に受容されている」という感覚を得られるのは同じなのですが、むしろ最初から同好の士が集まっている状況に近しいとも捉えられ、結局同じ島宇宙の中でコミュニケーションが完結してしまっていることになってしまうのではないかと思います。*5

 また、これは本書の射程から外れますが、コンテンツ・ツーリズムが生む経済効果の規模感が、現状いかほどなのかも同様に気になるところです。「リピーターになる」とか「客単価が高い(人もいる)」といったことも巡礼者の特徴に挙げられていますが、いかんせん旅行者の分母から見たときに、大きな影響力を持つとは思えません。例えば、平成29年度における仙台市への観光入客は22,001,714人でしたが、この内WUGをきっかけに訪れた方は何人いたのでしょうか、と考えるわけです。*6

  とはいえ、一定の旅行者を見込めるようになるのは事実であり、「全く意味がない」と切り捨てることもまた間違っていることは、感覚として分かります。聖地巡礼とは異なりますが、マチ★アソビ並の規模の催しが定期に行われれば、少なくとも地域の店舗レベルでは賑わいが生じているでしょうし、「地域振興」というお題目に、私たちの愛するコンテンツが少しでも寄与できているのであれば、まずもってそれでいいのではないか、という気もします。商業的な効果については、また別の文献を読んでみたいですね。(おすすめがあれば教えてください(人任せ))

 近時では、『温泉むすめ』のように、より地域と密接な連携のもと推し進められるコンテンツ(またはプロジェクト)が登場し、またアニメツーリズム協会の名前を見かけることも増えました*7。傾向としては、仕掛ける側の情報発信が多くなっていくことになるのでしょう。それは聖地巡礼の枠組み自体が変化していくということでもあります。もしかすると、もはやそこに他者性を持った他者との回路を開く役割は存在していないかもしれません*8

 しかし、一消費者としては、それでもふるさとがにぎわい広がっていくのであれば、それは素晴らしいことだろうと思う次第です。コンテンツをきっかけとして、その土地自体に興味を持つという経験を私はしました。これもまた少しずれますが、WUGのHOMEツアーで訪れた場所は、翻ってHOMEツアーがなければ訪れることがなかったでしょう。演者の出身地もまた聖地になりえると分かったことも面白かった。だから決して無益ではない。コンテンツは大きな「きっかけ」になり得ます。

 オタクと地域振興、持続性という点では他の観光施策と同様の課題を持っているように思われますが、どうすればより良い形で展開できるのか、それこそ過去の聖地巡礼のように、地域のみならずそれを消費する私たちも同様に頭を働かせる必要があるのでしょう。もちろん、いつもと同じく、何か具体的な考えがあるわけではないのですが。

*1:本書中では区別のため「アニメ聖地巡礼」と定義されていますが、ここでは慣用的に単に聖地巡礼と書きます

*2:「(アニメ)オタク」ということだけを取り出して考えるのであれば、私たちの趣味がとかく世の中から排除されがちだったことも相まって、現実世界に受け容れられることへの安心感を一層に感じやすいという側面はあるような気がします。

*3:もちろん地域側にファン間の盛り上がりを認識している場合もあるので、この関係性は一般化できるものではないでしょう。

*4:巡礼者側には「巡礼時には地域の迷惑にならないように!」という共通認識が(巡礼開拓者による呼びかけのおかげもあって)あり、その時々において適切にコミュニケーションが行われたことも寄与しているのは言うまでもないでしょう。ただし、そもそも聖地がある程度外部から人の集まる環境(端的には非住宅地)であることが前提として必要になると思われます(そうでなければ『苺ましまろ』のようになってしまう)。

*5:なお、仕掛ける側からの情報発信が多くなる点で、本書内で比較対象として挙げられている大河ドラマに性質的には近くなるように思いますが、(感覚論ですが)それでも多くの巡礼者は地域自体にのめり込むようになるのではないでしょうか、と自分の観測範囲のオタクを見ていて思います。

*6:平成29年度を取り出す合理性はありませんが、規模感を知る材料として。

*7:私が興味を持つようになったからだけかもしれません。

*8:または「開かれた結果すでに他者性を持った他者ではなくなっている」と言えるでしょうか。